三二五ノ葉 ああ、今日も可愛い
「にい、部屋は?」
「ああ、俺が借りているところの隣。ここでて、右側の廊下、突き当たりを左にいってしばらく進むと、とっつぁんがご丁寧に「楓どん」って書いて札を立てているからすぐわかるよ。片隣は倉庫で、部屋は俺が片づけておいたし、荷物も好きに置いていいって」
「ん」
それだけ確認し、闇樹は聖縁が酒を飲み終わるのを待って席を立たせ、いまだに盛りあがっているふたりへほどほどにっ! と再度釘をぶっすり刺してから部屋を辞した。
暑い暑いといっても涼しい冬の夜。廊下の材木はひんやり冷たい。そこを無音で歩く闇樹と少し音がでている聖縁。聖縁の斜め後ろを無音で歩く闇樹に振り返ると、彼女は敏感に察知し、きょとんと首を傾げる。もう、このやり取りにもなんか慣れた気がする。
ついてきているか、消えていないか。それが最近はより一層深く思考に沁み込む。闇樹は風の子。いつかおおいなる全に還る宿命を背負っている。そして、大きな、枷を。
ふとした瞬間、不意に消えてしまうのではないか、そう思うくらい闇樹は儚い。本来ならば
すべてを捧げ、すべてを投げだし擲ち、すべてを懸けて聖縁の為に。それが彼女の切実な願いであり本望。どんなに聖縁が悲しんでもその涙すら闇樹は「もったいない」と言って拭ってしまうのだ。いつだったか、冗談めかしてただの女の子にと願おうとした。
だが、闇樹は聖縁の言葉を勘違いし、必要とされていない、と思い詰めて自ら喉を刃物で衝こうとしたことがあった。あの時は本当に大騒ぎになったっけな、と思いだす。
「聖縁様?」
「なんでもないよ、葉。あ、ここが楓――」
つい、言葉に詰まってしまった。たしかに楓は義弘が楓の名を看板よろしく立てていると言っていたが。せいぜい小さな市の座に立てて置くくらいのものを想像していた。
そこにあったのは老舗店の巨大立て看板もよろしい感じのブツ。無駄に迫力のある文字がでかでかと「楓どん」と、でん! なんて音がつきそうな感じに書かれてあった。
いや、わかりやすいけど。と思ったが、これ、これは恥ずかしくないのか、楓? と聖縁が別の、要らん心配をしたと同時に後ろを風が通り、巨大看板の隣部屋を開けた。
「にいの看板、気になる?」
「気になる、というか気にしないのか?」
「にい、細かいことこだわらない」
「いや、これって一種の羞恥儀式じゃ」
「平気。にい、存在が恥」
ひでえ。存在が恥とかなんということを。闇樹が楓をどう思っているのかがすごくよくわかるが、兄妹である筈。よくもまあ、ここまで貶せるものだ。ある意味感心する。
間違った感心をしつつ聖縁が闇樹に続いて部屋に入るとかなり広い大部屋だ。これはふたりで使うにしても広すぎるぞ。ってか、闇樹は遠慮して屋根裏にいきそうな予感。
「なあ、葉?」
「?」
「今日は一緒にすごさない?」
こんなだだっ広い部屋にひとりはいやだ、と思っての提案だった。だが、闇樹の反応は予想に違わず、だった。かちん、と凍りついたと思ったらあせあせおろおろしだし、流れるように土下座。そして土下座のまま後退りという実に不気味な動きをしなさった。
――いや、闇樹だから可愛いけどこれ、他の人間がやったらかなり気持ち悪いぞ。
なんて、聖縁も闇樹の予想通りすぎる反応に困って頬を搔いちまうのだが、とりあえず顔をあげさせて立たせ、縁側へ導いた。で、自分の隣に座るように座布団を叩いた。
闇樹はあわあわし、どうしたらいい!? としていたが聖縁が困ったようにはにかむと頬を真っ赤にしておずおず、といったふう座布団にちょこん。律義に正座で。かちんこちんの闇樹と違い、寛いだ様子の聖縁は夜空を見上げてみる。ずいぶんと星が綺麗だ。
寝っ転がったらもっとたくさん見れないだろうか、と思ったのと提案は同時にでていった。聖縁は隣でギシギシに固まって主のお隣であああぁ、している闇樹におねだり。
「膝貸して、葉」
「? 諾」
突然どうしたんだろう、というのが伝わってきたがそれでも闇樹は聖縁がそれを望むならばと正座の足、ももの上を簡単に払って掃除してからどうぞ、とすすめてくれた。
なので、聖縁は遠慮なく闇樹のお膝にごろん、と寝っ転がる。おほほ、ふわふわ。
忍として絞り込まれた体をしているが、やはり女の子。太ももの柔肉が聖縁の頭をふっかり包むように支えてくれる。闇樹は不思議そうな顔。なぜ聖縁が急に膝枕をねだってきたのか不可解なのだ。が、聖縁は気づかないフリで空を見上げる。やはりだ。綺麗。
星屑散りばめられた濃紺の空に月ひとつ。淡い月光ときらきら輝く星々は美しい。
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