五ノ葉 武芸稽古と呼びだし


 聖天城はいつも通り日天丸の脱走と捕獲で騒がしくなりはしたが、これもまた、いつも通りですぐ静かになった。この時間、日天丸は武芸の先生に師事。鍛練をしている。


 武道場には泣き声。これまた常通りなのでそばを通る兵士たちはなにも言わない。


 中からは困り果てた老人の声が聞こえてくる。声は呆れていくつかの言葉を吐いてはいたが、それに応える声はない。代わりにあるのは啜り泣きの声。老齢の声がため息。


「本日はこれまでにしましょう」


「ありがとうございます、先生」


「いいえ。日天丸様、もう少し辛抱強くなりませんと困ります。泣いてばかりでは」


「先生、あとは私から言っておきます」


「……。そうですか。では、お頼みします」


 お頼みしますと言った老人の声には呆れとかすかだが、嘲りがある。嫌みだった。


 そうと聞こえにくい言いまわしで嫌みを吐いた老師に影和はだが丁寧に頭をさげ、月謝を渡して帰ってもらう。道場で泣き声は続く。武道場にはふたり、影和と日天丸。影和はでそうになるため息を堪えて日天丸に近づいた。日天丸は先からずっと泣いている。


 いつものことだ。鍛練の時間、はじまって少し、四刻半約三十分も要らない。日天丸は泣きだしてしまう。それも、ただ痛いから泣いているので、師範は呆れ、影和とて頭が痛い。


 このままでは困る。だけどでも、どう改善したものか? 解決方法がわからない。


 無理強いしてはいずれ鍛練そのものも嫌いになり、鍛練から逃げるようになる。今もある意味で逃げているが、投げだすまではいかせないよう影和が言葉を尽くしているのだが、限界がある。そのうち、あまりの泣き蟲ぶりにあの老師は愛想を尽かしそうだ。


 困る。本格的に、困る。彼でなければならない理由は特にない。ただ昔から世話になってきた鍛練を教える家の当主。彼が育ててきた他のコたちは今現在立派に戦士として戦場を引っ搔きまわしていると風の噂に聞いているだけ、日天丸はより一層落ち込んだ。


 はじめてその手の噂を聞いた時、「俺は落ち零れだな」と落ち込んで沈み込んだ。


 それが最近より落ち込みが激しくなってきた気がしてならない影和は焦っていた。


 今のままではいけないのは明白。だが、よい策、というものは一向に浮かばない。


 師事するひとを変えてもきっと日天丸の泣き蟲は変わらない。どうしたものか、と影和は泣いている日天丸を前に頭を抱えてしまった。果たして、今日はどう言えばいい?


「影和、いますか?」


 今日の日天丸は先生にちょっと、本当に軽く、だったが籠手を打たれて泣いた。戦場であればあの一撃で手首から先が切り落とされる、永遠にさようならだ、というのに。


 そのことを指摘されてさらに激しく泣きだしたので、先生もお手あげ状態だった。


 そうであっても次の指導日までには再びやる気をださせなければ本当に愛想を尽かされるので影和は頭が痛い。だから、今だけは邪魔をしてほしくないと思っていたのに。


「ちょっと、よいですか?」


「なにか?」


 影和の声が冷える。武道場に現れたのはいつもなら来ないひと。結。影和の腹違いの姉が現れて影和は途端、不機嫌に。ただし、彼女が用向きを話すまでの短時間。結は弟の態度にやはり悲しそうにしていたが、簡単に用向きを伝えた。それは重要項であった。


「聖蓮様より言伝を預かって参りました」


「聖蓮様、から?」


「はい。本日の鍛練が終わり次第、日天丸様と部屋まで来るように、とのことです」


 聖蓮。それはこの城、聖天城の主の名前。


 結は呼びかけた時とは打って変わり事務的に言伝を述べた。そして、用向きを伝え終わった彼女はすぐ日天丸のそばに屈んで小さな彼の顔に手拭いを当てて顔をこすった。


 涙と鼻水でべとべとになった日天丸の顔を拭いてやって、結は優しい顔で微笑む。


「ゆ、い……っ」


「日天丸様、お疲れ様です。お爺様がお呼びでございますよ。その涙が落ち着いてからでいいので、どうか、いつものように、元気なお姿で訪ねて差しあげてくださいませ」


「う、うん。ありがとう、結」


「いえ、私はなにも。では、これで失礼しますね。そろそろ夕餉の支度をしますわ」


 それだけ言って結は立ちあがり、武道場を静々とでていって遠くくりやへと向かった。


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