三ノ葉 ちょっと一服


「ねえ、影和。ここはどういう意味?」


「ここはですね」


 時折日天丸が質問し、影和が答えるの以外で部屋に声はない。しばらくは本当に静かだった。日天丸がまじめに勉学へと取り組み直しはじめて、おおよそ半刻約一時間が経った頃。


 日天丸が疲れてきたのが目に見えてわかったので影和は激励を吐こうとした。が、より早く声がかかり襖が開く。廊下にいたのは穏やかな笑みを湛えた糸目の女性だった。


 彼女は暖かな橙色の着物を着て腰に白い前掛けをしている。城に奉公に来ている女中姿の彼女は部屋の中を見てにっこり笑みを深めてくれた。温かみ溢れる柔和な笑みだ。


「そろそろ休憩になさいますか?」


「す」


 すると即答しようとした日天丸。が、隣の影和が冷たい顔で女中の提案を潰した。


「いえ、姉上。放りだしていたのが取り返せていませんのでまだ休憩には早いです」


 女中を姉と呼んだ影和は冷たいつらでいる。ものすっごく、見事なまでに仏頂面だ。それくらい日天丸の脱走に怒り心頭に発している、ということであると同時に正論です。


 これには当然日天丸が文句をつける。


「いやだーっもう休憩したーい!」


「自業自得でしょう? もう一踏ん張りを」


 影和は、気分としては駄々っ子のお守をしているような、ぐずる赤子を寝るというかまじめに本来のやるべきことに向かわせるべく精進している心地で、なにかが違う感。


 なにか、激しく自分の本来の職務すら間違っている気がしてならない影和である。


 だが、これには女中の方が日天丸に味方して、影和に言葉を添えて助けてくれた。


「影和、あんまり厳しくしないで。日天丸様、饅頭と茶をお持ちしましたよ。食べてからまた、残りのものは頑張りなさいまし。絶対に今日の分は今日のうちに、ですよ?」


「わーい。ありがとう、ゆい。地獄に仏だ」


「くす。いいえ。では影和、あなたの分も持ってきていますからあなたも一服――」


「いえ、姉上」


 姉の言葉に影和は冷たく返す。彼は冷えた面で淡々とした口調で無愛想に言った。


「私は、甘味は好きではないのです」


「……そう、でしたね。ではお煎餅でも」


「要りません」


 日天丸に結と呼ばれた彼女は影和の言葉に淋しそう元の糸目をさらに細めた。姉弟であるのに冷ややかな関係が見て取れる。その理由を日天丸はちょっとだけ知っている。


 ふたりは腹違いのきょうだい。まったく同じ親から生まれていない、というのと。


 上のきょうだいである結は女。この乱世において、女性は軽く見られがちだった。


 少なくとも影和は姉に価値を見ていない。どうでもいい存在として認識している。影和の態度に結は悲しそうに表情を曇らせたが、それ以上粘ってなにか言おうとしない。


「では、盆は廊下にだしておいてくださいます? またあとで取りに参りますから」


「わかりました」


 素っ気なく返した影和のの態度に結はやはり悲しそうだった。結はすぐ部屋へ入って日天丸に一服の準備をして部屋からでていった。その背には悲哀がある、ので。


「冷血漢」


「なんですか、いきなり」


「いっつもいっつもずーっと結にばっかり当たりまくって恥ずかしくないのかよ?」


「……あの女の母がしたことを思えば」


 影和の冷たい言葉に日天丸はことさら悲しくなった。どうして、きょうだいでいがみあわなければならないのか、わからない。少なくとも日天丸には全然わからなかった。


 わからないまま日天丸は結が用意してくれた茶をすすっておやつの饅頭を齧った。美味しい。そこらの菓子屋で買ってくるより甘さが控えめにしてあり、とても優しい味。


 甘いものが嫌いでも食べやすいよう結が丹精こめてこしらえている絵が浮かんだ。


 影和の為にも甘さを調整している姿が。だというのに、弟は味見もせず拒絶した。


 結の悲しい背。弟に拒絶されて彼女は淋しそうだ。それが日天丸は悲しかった。どうして、と思った。だが、影和の言い分もうっすらわかる。彼女の母がしたこと。そのせいで影和がかぶった不幸。それはちょっとやそっとのことでは埋められない深い、溝だ。


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