二ノ葉 脱走者と説教者


「うわっ! なんなな、なにすんだ!? 放せっ、放せったらはーなーせーよーっ」


「なに、ではありません」


 ヒジリ国。聖天せいてん城の一階廊下でにぎやかなこどもの声が文句をわんぎゃん喚く。それに対し、静かな声がお叱りを吐いていく。それは、いつものこと。これぞ日常だった。


 なので、城で働く者は無視。感想を抱いてせいぜいまたか、と思うくらいだった。


 それくらい、この騒ぎは。なければなにかおかしいぞ、と言われるほどだ。


「日天丸様、あまりお戯れがすぎますとこの影和も本気で怒りますぞ? 毎度毎度」


「いつも本気じゃない? 嘘こけ! バカバーカげよりの怒りんぼーっ! 放せ!」


「……言いましたな」


「いっ!?」


 廊下で騒いでいるのはひとふたり。まだ四つ、五つの小さな男の子と十代後半くらいの青年。ふたりは廊下で怒るだのいつもだ、とか実にくだらない言い争いをしている。


 くだらなかった。なのに、男の子の発言を受けて空気が一変。青年の空気が変化。


 日天丸ひあままると呼ばれた男の子は青年、影和の雰囲気が変化したのに気づいてびくっと肩を揺らした。これは、うっかりもなにもなくがっつり琴線に触れてしまったようだ、と。


 日天丸の予感は的中。恐る恐る見上げた先で影和かげよりは額に青筋を浮かべる。整った顔立ちをして、普段からどことなく威圧的な面立ちの影和。今、三割増しで怖かった。小さいながら綺麗な顔になりそうな部品を持っている日天丸は顔全部で恐怖を表現している。


 しかし、それで許してくれる影和ではない。彼はずっと小さな日天丸の衿をむんずと掴む。日天丸はいやがって抵抗。も、あえなく終了。連行された先はまま広い部屋。そこには紙の束が山と積んである。ほとんどが文学の本だが、中には算学の問題集もある。


 まあ、簡単に言うと、だ。部屋にあったのは勉強の山々で山脈。日天丸はそれを見て影和を見て、山を見た。影和は怖い顔のままである。日天丸は不貞腐れた顔をしている。


「こんなにあるのに勉強を放りだすなんて」


「だって、つまんねーんだもーん」


「……今は例えつまらない、くだらないと思えるものであってもそれらはいつかかけがえのないあなた様の財になりますのでつべこべ言わずに課されただけはおやりなさい」


「じゃ、せめて教え、てください」


 日天丸の弱々しい言葉に影和は困ったように目を細める。黒い少しだけ長めの前髪の下で黒い瞳が揺れている。細められた目は仕方ない者を見るようだ。憐れみの眼差し。


「わからないところがあるのなら最初っからそう言って、訊いてください。脱走などなさらずに。そうでなくば、頼ってもらわねばこの影和も切のうございます。私は……」


「控えている、だろ? 聞き飽きたよ」


 日天丸の言葉に影和は苦笑。片手に捕まえた日天丸を部屋へと入れて戸を閉めた。


 日天丸を小さな勉強机に導き、座らせて影和はそばに座った。日天丸はまだ脱走を考えている様子でいたが、影和が見張っているので到底逃げられない、とやっと諦めた。


 諦めて手近にある本を読みはじめる。影和はその様子をそっと静かな目で見守る。


 日天丸に言ってやりたい説教は山のようにあったが、今は小言そういうのを言わない方がやる気をだしてくれる、とまあ、長年の付き合いでわかっているのでそっとひそめておいた。


 長年の、といっても日天丸が生まれた時から付き合っているというだけ。前世からとかではない。が、城の者はもしかしたらふたりは前世から一緒だったのではないか? と思っている。それぐらい、兄と弟のようにふたりは主とお付にしてはとても仲がいい。


 ……まあ、もっと、より正確に言うならば、主候補とお側付(仮)の方が正しい。


 日天丸はまだ誰かの「主」となるには器が未完成にすぎる。いつか大器晩成してくれることをみなが、臣下が、民が願っている。ただ、こう勉強脱走が多いと不安になる。


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