ここは最北の国
一ノ葉 最北端ヒジリ国
春うららかな陽気の気持ちよき日。人々はいつも通り商いに励む。いつもの日和。
いつも通りの毎日にまどろむひとは今日も平和と呑気を言っている。違う、のに。
平穏だからこその言葉。が、実際は違っていてどこででも不穏とは産声をあげる。
「聞いたかい? カンド村に賊だってよ」
「ヤダねー、物騒な世の中で」
「ここら辺はまだいい。南はひどいそうだ」
「そりゃあヒジリ城主様様、
道をゆく商人たちの歩き話。賊がでた、だのこの辺りは平和だ、なんだという話。
聞いていたこの城下に店を構えている者たちは誇らしさに心の中で胸を張る。通いの商人たちの言葉はここら一帯をおさめている城主、柊を讃えているのだから。それは住まう者として、店を構えている者にとっては一番の喜びだった。余所の評判がいいから。
北の奥地にある国。ヒジリ。山に幸あり、海に幸あり。加えて北方の国にしては日照りがあり、住まうに恵まれた、とてもよい土地だった。だが、だからこそ、絶えない。
通いの商人たちが歩き去った道、気持ちだけ舗装されたそこに吐かれる唾が地面にシミをつくりあげる。この近隣に住まう者だろう、まだ若い。隣には老婆がいて休憩の茶を青年に差しだしている。老婆も水筒を傾けて水分補給を行ってひとつ、ぽつりと呟く。
「……はあ。また、戦になるのかね」
「やめてくれ、婆さん。この間、ヒニチが攻めてきて追い返したばかりだってのに」
「大丈夫だよ。
「だといいが? 彼ももういい歳だろ? ご子息は病弱で孫は……まったく、いったいいつまで続くんだか、戦国ってのは。殿上の争いならこっちを巻き込むな。ったく、いいよな。いいもの食っていい暮らししているんだからよぉ。
「そんなこと言っちゃいけないよ。あの方は心削って民に奉仕してくれているんだ」
老婆の言葉を青年は鼻で笑った。そうでもしないとやっていられない。溜まった心の澱を吐きだす場所が、瞬間が必要だった。だから地に唾吐き、ぶちぶち濁りを呟いた。
老婆もそれ以上には言わない。老婆の友であり、彼の祖母がこの間の戦で巻き添えを喰って死んだ。亡くなった。が、それに対して国主たちの見舞いがあるわけではない。
見舞いが包まれるのはよほどのことがない限りありえない。それに別に、そんなものを期待しているわけではない。だが、ただ一言「すまなかった」と言ってほしいだけ。
それだけ。国主たちもわかっている。不平不満あれば一定の満足と幸福とてある。
互いを理解している。だからこそ他の国にあまりなく深き信頼が築かれている国。
国民は不満を普通に抱えていても日常をつくる。国主とて不安と安息を抱えて国をまわしている。この国にはよい空気がある。ただ、先には不安が横たわっている。人々は常に恐れている。国が抱える唯一の不安要素を最大の爆弾だと置き、破裂を恐れている。
唯一の不安要素を抱え、今日もヒジリの国はいつも通り。壊れることなく、廻る。
壊れない常をありがたく思い、民は遠く見える城を見上げた。けっして立派だ、とは言い切れない質素な城。しん、と静かなのに、今日もにぎやかな声が幻に響く。国が持つ唯一不安を取り除いてくれる可能性がある者の声。耳を傾けつつみな、商いに戻った。
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