16 ムラクマ

「今ここの家主は俺なんだがな」


 入ってきた伊織に目を向け、律が不服そうに言う。けれど激高したりはしなかったので、結華はホッとした。


(ちゃんとおかゆも食べてくれてるし)


 律の言葉に湊が「まあまあ」と言い、


「で、律には少し話したけど、また一から話すかな」


 と、湊は言う。


「ほら、座って座って」


 状況が飲み込めない伊織へ、また湊が促す。


「で、でも……?」


 伊織にチラチラと視線を向けられる律は、


「別にもういい。一人増えたくらいで変わらない」


 と、食べ終わった粥の器を床に置き、「遠慮すんな」とキツイ目つきだが、威圧感などはないそれを向け、伊織に言う。


「で、では……失礼します……」


 伊織は結華の左隣に座った。湊は結華の右隣、律は壁に凭れたままなので、結華の正面。ディアラはなぜか小さくなり、結華の肩の上。


「あ、中館さん、器貸してください。水に浸けますから」

(このままおかゆがカピカピになっていくを見ていられない……)

「え? あ、ああ……」


 結華は律からスプーンと器を受け取り、


「じゃあ、説明しててね」


 と、立ち上がって、キッチンへ行き、食器を手で軽く洗い、


「でだ、一番重要なことを最初に言うけど、おれ、結華がいないと死ぬ」


 湊のその言葉に、食器を落としそうになった。


「はあ?」「えっ?」


 案の定、律は呆れた声を出し、伊織は驚く。


「湊、それ、もっとマシな説明の仕方はないの?」

「これからするから。で、どうして結華が必要なのかって言うとな──」


 結華は軽く洗った食器を水に浸け、周りにタオルが見当たらなかったので自前のハンカチで手を拭き、元の場所に座り直す。

 湊は魔法を見せたりディアラに指示を出して技を出させたり、自分の出自──と言う言葉が合っているか微妙だが──をざっくりと、結華が聞いている程度のことを話して、


「で、だから結華が必要なわけよ」


 と、結華の手を握って持ち上げ、ゆらゆらと揺らした。


「……信じらんねぇけど、その、ディアラってのが、作りもんには見えねえし」


 律は諦めたようにため息を吐き、


「そういうことだったんですね……」


 と、伊織は素直に信じてしまったようだった。


「みんな良いやつだなぁ」


 それを見て、湊が笑う。


「俺はほんと、良いトコに越してきたなぁ。……あ、じゃあさ、みんなでラインのグループ作ろうぜ」

「何がじゃあさ、なのか分かんねぇんだけど」

「ただのご近所付き合いだよ。これ作っときゃ、お前もまた、倒れる前にヘルプ送れるしさ」

「倒れる?」


 首を傾げた伊織に、


「こいつな、ほとんど物食ってなくて倒れたんだよ」


 と、湊が律を示して言う。


「ええ?! 大丈夫だったんですか?!」

「……問題ない」

「結華のおかげでな」

「……そもそも中館さんは、──いえ、この話は後で個別にお伺いしますね」


 結華は深く聞こうとして、やめた。

 プライバシーに関わる問題、保護者との関係、ストレスなどなど、律がどうしてこうなったか分からないからこそ、他の人がいるこの場で詳しいことは聞けない。そう判断してのことだった。


「ほら、グループ作ろうぜ」

「あ、はい」


 湊の言葉に、伊織は素直にスマホを取り出し、結華も取り出すが、


「……」


 律は何もしない。


「なー律、別にこんくらい良いだろ。さっき言ったみたいにお前にもメリットがあるんだしさ」

「私もそう思います」

「……メリット、ねぇ」

「また倒れられたら困ります」

「住居人に問題が起こるのが困るってんだろ」

「中館さんのことを心配してるんですよ」

「勝手にしてろよ」

(このやろう……!)


 どうしてそこまで意地を張るのか。食糧問題を別件としても、グループに入るくらいならなんの問題もないと思うのに。


「……はぁ……」


 けれど、当人がここまで拒むならしょうがない、と結華はため息を吐いて。


「それなら、一旦、私達三人のグループを作りますから、入る気になったら言ってくださいね」

「入る気に、ねぇ」


 律はそう言って、ハッ、と嗤う。


(いっちいち煽るんじゃねぇよ……! このヤンキーが……!)

「お前さ、そこまで心配しなくていいと思うよ?」

「えぇ?」


 湊の言葉に、結華は眉をひそめた。


「あ、違う違う。結華じゃなくて。律だよ」

「あ?」

「ほら、言ったろ。お前は良いやつだ。そんで、自分に関わったやつが何かの拍子に不幸になるんじゃないかって思ってるだろ」

「はあ? 何でそんなことが分かんだよ」

「そりゃ、族長の息子として大量に人を診てきたからな」

「族長?」

「あ、前世の話。で、それにお前、少しでも心を開いたやつを、分かりやすいほど心配するみたいだな。今、どうしてか知んないけど、俺達三人のことをすっごく心配してる」

「はあ?」


 顔をしかめた律に、


「……へえ?」


 結華はスマホを差し出す。


「……なんだよ」

「グループ、入ってください」

「なんでだよ」

「入ってほしいからです。それだけです。あなたにグループに入っていただけるととても嬉しいんですけど、駄目ですか」

「……」

「ほら」


 ずい、と結華が律に迫る。


「……」

「ほら」


 また寄って、


「聞いてます?」


 その眼前まで顔を近づける。


「っ……いっちいち距離が近えんだよお前!」


 律が結華の肩を掴んで、押し返そうとした時。


「クルル」

「ん? どしたディアラ」


 結華の肩から離れていたディアラが、部屋の棚の一つへ近寄った。


「クルゥ、クルルゥ」

「へ? そこから結華の匂いがする?」

「え?」「はあ?」


 湊は律へ顔を向けると、


「あそこ、なに入れてんの?」

「……別に、何でも良いだろ。大したもんなんか入れちゃいねえ」

「じゃ、中見ていい?」

「見るな」

「なんでだよ」

「なんでもだよ」


 なぜか苦い顔で言う律に、


「悪意なんて感じないぜ? むしろ、すごく大切にされてるって感じがする」


 その言葉に律が驚いた顔をした時。


「あ」


 伊織が声を発した。全員が伊織へ顔を向ける。


「あ、いえ、僕じゃなくて……その、ディアラが……」


 伊織が指差す方向へ、また全員が顔を向けると、


「あ」「あーあ」「はっ?!」


 ディアラは棚の引き出しをいつの間にか開け、そこに顔を突っ込み、


「テメ、こら!」


 ディアラをそこから引き離そうと律は立ち上がりかけ、


「クゥ」


 くるりとこちらに顔を向けたディアラが咥えているそれに、律の動きが止まった。

 それは、可愛くラッピングされた手のひらサイズのなにか。詳しく言うと、薄い紫色のフェルトで作られた、クマのように見えるなにか。が、透明で白い小花が散る小さなラッピング用の袋に入れられ、白いリボンでその口を結び止められている。と、いうもの。


「……えーと。ディアラ。そういうのはあんまり良くないから、やめなさい」

「クゥ」


 湊に言われたディアラは、咥えているそれを、前足で持ち直した。


「いや、持ち方じゃなくてね……」


 その場のほぼ全員が、ディアラが出したそれにどう反応すればいいか分からず、微妙な空気が流れる。

 その中で。


「……む、ムラクマ……?」


 結華が呆然と呟いた。



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