倒産と就活と

かいばつれい

終焉より生まれしもの

 長年勤めていた会社が経営不振により倒産した。

 コロナウイルスが流行する前から業績が悪化していたにもかかわらず、四年もよくもったと思う。倒産する二ヶ月前から給料は未払いだったが。


 すっかり意気消沈した上司から解雇通知書を渡された僕は、失業手当を申請しにハローワークを訪れていた。

 待合席に腰掛け、呼ばれるのを待つ間、僕はこれからのことを考えていた。正直、失業手当だけでは生活できない。かといって以前の手取りと同じくらいになるように働こうとすれば、たちまち失業手当の資格を失ってしまう。とても不安だ。昨日の晩はその不安に苛まれ、僕はほとんど眠ることができなかった。

 非生産的に日々を過ごすニートに抵抗感があったため、とにかく、すぐに働きたかった。これについては、ニートで祖父母を困らせてきた伯父の影響が大きい。何をやっても続かず、働けと叱責する祖父母に暴力を振るう伯父を幼少の頃に見ていた僕は、ぜったいにこんな大人にならないぞと伯父を反面教師にして生きてきた。高校進学と同時にバイトにも行った。伯父のようになりたくないという一心で無我夢中で働いた。

 実家には大学に進学できるほどの余裕がなかったので、高校を出たあとはバイト先の先輩の紹介で、カフェをいくつか経営している会社に就職した。ホールスタッフとキッチンスタッフを兼任し、店長の補佐として各店舗をまわる忙しい毎日が続き、盆暮れ正月は全く休みがなかった。それでも僕は、忙しい日々に不思議と充実感を覚えていた。今になってみれば、考えが浅はかだったと思う。忙しい日々に満足しきって、他に食べる術を持たず、持とうとも考えなかった僕は何も資格を取らずに過ごしてきた。その結果がこれだ。唯一の取り柄といえば、中学生の頃からの趣味である小説の執筆くらいだが、アマチュアレベルでとても人に見せられたものではない。役に立つ趣味とは言えなかった。職業訓練校に通うという選択肢もあるが、実家暮らしで親に収入を入れている現状では、呑気に勉強している暇などない。失業手当と訓練校の受講手当だけでは持病がある両親を養えないだろう。生活保護も審査が厳しく、僕の世帯では通らなかった。

 選びさえしなければ、仕事はいくらでもある。いっそのこと、上京して出稼ぎに出ようか?だが、誰が親を見る?もしもの時は誰が親を助ける?あの伯父では当てにならない。

 いずれにせよ、ニートだけはごめんだ。一刻も早く日常に戻りたい。朝目覚めて身支度をし、出勤する所と目的があるあの日常に今すぐ戻りたい。土方でもコンビニでもピッキングでもなんだっていい。すべて立派な労働だ。以前の手取りでようやく生活できていたのだから、同じ額かそれ以上の収入が得られれば、掛け持ちしてでも働きたい。何か、何か仕事は無いだろうか?

 僕は呼ばれるまで、貼り出されている求人票を確認しようと思い、席を立った。

 求人票には多種多様な職種が掲載されており、手取りもそこそこ良いものがあった。これなら安定したところに就けそうだ。少しだけ希望が湧いてきた。しかし、採用条件に目を向けた途端、湧き始めた希望が消えてしまった。どれも「要普通免許」と書かれていたからだ。

 免許を持つことがどれほど贅沢なことか!

 その日暮らしが精一杯の僕にはハードルが高すぎる。自家用車は両親の持病が悪化したときに、父が手放してしまったし、中古車やリース車を得られる貯金も僕にはない。電車やバスなんて論外だ。交通費を支給してくれる求人もあるが、それらは手取りが少ない。僕の想像力不足がこのような事態を招いてしまったのだ。全部僕自身のせいだ。

 絶望に打ちひしがれた僕は、失業手当を申請してハローワークを後にした。

 外は茜色の空が広がり、西の空の遥か上空には、宵の明星、金星が瞬いていた。遠い金星の瞬きは、決して手に届かない希望の光に見えた。

 フリーペーパーの求人誌を貰いにコンビニに立ち寄り、何も買わずに求人誌を貰う事に気が引けたので、いちばん安い缶コーヒーを一本買って店を出た。自宅近くの人気のない電灯の真下で求人誌を開いてみたが、結果はハローワークの求人票と同じだった。二度目の絶望を味わった僕はその場にしゃがみ込む。もう打つ手がない。


 落胆したまま帰宅すると、父がロフストランド杖を左手に握りながら、おぼつかない足取りで玄関にやってきた。

 「お帰り雄治」

 「父さん、無理しちゃ駄目じゃないか」僕は慌てて父に駆け寄った。

 「雄治。おまえ、何をした?出版社から、応募した作品について話があると連絡があったぞ」

 「え!?」

 「帰宅次第、連絡してほしいと言っていたぞ」

 「まさか」僕はすぐに出版社に連絡を取った。

 出版社からの話とは、去年、仕事の休憩中や就寝前の僅かな時間を使って書き上げた短編小説が、駄目元で応募したコンテストで新人賞を受賞したという内容だった。賞金は家族が数ヶ月間食べていける金額だ。僕は小説の件を両親に伝えた。

 「地道にやってきたおかげだね」震える手で自らの涙を拭う母。父も「よくやった。よくやった」と僕の肩をぽんぽん叩く。勤め先を失い、絶望の淵に立たされていた僕に舞い込んできた新たな希望。でもわかってる。これは僕たち家族が一時的に救われただけにしか過ぎないということを。

 「父さん、母さん。賞金は全部生活費に充ててよ。僕、そのためにコンテストに応募したんだから」

 「雄治。おまえ本気で物書きになるのか」

 「もちろん。ただ、それだけじゃ生活が不安定だ。だから、ちゃんとした勤め先を探して再就職するよ。物書きとは別に、しっかりした定職に就いてね。今度は安定した収入を得られるところがいいな」

 「おまえ、二足のわらじで話が書けるのか」父が尋ねる。

 父の問いに僕は迷うことなく答えた。

 「やるよ。だって、この受賞は終わりじゃなくて始まりだもの。ヘッセやチャンドラーも働きながら小説を書いたんだ。ブコウスキーは郵便局員、ブラッドベリは新聞の販売、スティーヴン・キングはクリーニング屋で働きながら短編を書いていた。みんな、その日その日を必死に生きながら創作を続けた。僕も彼らのようになりたい。彼らのように生きたい」

 「雄治······」

 そうだ。これは始まりに過ぎない。いや、始まりではなく過程のひとつなのだ。僕の作家としての始まりは、創作を趣味として始めた中学生の時にすでに始まっていたのである。家族を養いながら、人様に読んでもらえるのに値する作品を生み出す。言葉で表すのは簡単だが、それを実現させるのは至難の業だ。だが、今の僕にはそれしか考えられない。そうとなれば、善は急げだ。僕は再び外出の支度をした。

 「雄治、おまえ何処へいく?」

 「仕事を探してくる。それこそが僕の今すぐやるべきことだ」

 もう不安も迷いもない。

 僕が再び外に出た時、宵の明星はもう見えなくなっていたが、僕の胸の内には、生まれたばかりの眩い星が輝き出していた。

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