第5話 恋の自覚

すみれは東京に来てすぐに、近くの公立小学校へ転入した。


クラスメートは北海道から来たすみれを温かく迎えてくれた。


「野生のキツネ、見たことある?」


「北海道にはゴキブリがいないって本当?」


転校初日、すみれの机はクラスメートに囲まれ、質問攻めにあい、すみれはそれをひとつひとつ丁寧に答えていった。


そして一か月も経つと、すみれはすっかりクラスに溶け込んでいた。


ある日席替えがあり、川中琴子というショートカットで涼し気な目元が特徴的な女の子がすみれの右隣の席になった。


物静かで大人っぽく、話しかけるのに少し躊躇してしまうタイプのクラスメートだった。


今まで一度も話したことがなかったけれど、思い切って身体を横にして挨拶してみた。


「あの・・・川中さん。これからよろしくね。」


琴子は、少し驚いた顔をした。


そして目を逸らしながらそっけなく言った。


「・・・よろしく。」


琴子はクラスメートに、近づきがたい人物として認識されているようだった。


けれど隣で何気なく琴子を観察していると、理科で星座を習っている時には瞳を輝かせ、国語で「銀河鉄道の夜」を先生が朗読している時は悲しそうな顔をしてみせた。


表情がくるくる変わって感情が豊かな子なんだなと気づき、自分と感性が似ているかもしれないと思ったすみれは、自分から琴子に近づいていった。


体育の時間、ペアを組んで体操をすることになった。


すみれはすかさず琴子のそばへ近寄って声を掛けた。


「川中さん。一緒に組まない?」


「・・・いいけど。」


一緒に手を繋いで脇を伸ばしたり、背中合わせになって腕を組みお互いを背負ったりするうちに、すみれと琴子はなんとなく可笑しくなり笑い出した。


「野口さんって大人しそうなのに、けっこうグイグイくるよね。」


琴子に言われ、すみれはにっこり笑った。


「うん。好きな人には、私けっこうグイグイいくよ。」


「へえ。野口さんて面白い。」


「川中さんこそ。クールに見えるけどけっこう涙もろいところあるよね?銀河鉄道の夜を授業で習った時、泣きそうになってたでしょ?ねえ、ジョバンニとカムパネルラ、どっちが好き?」


すみれの質問に琴子はしばし考えた。


「カムパネルラかな。人を助けるって崇高なことだと思うから。」


「それで誰かが悲しんでも?」


「うーん。」


「天国ってあると思う?人って死んだらどこへ行くんだろう?」


「私、宗教的なことは何もわからないけど・・・天国はあると思うな。良い行いをしたら天国へいくの。でも悪い事をしたら・・・地獄にいくのかも。」


「悪い事・・・?」


「そう。」


悪いことをしたら地獄へ行く・・・その言葉にすみれは震えあがった。


すみれと琴子は給食を一緒に食べるようになり、通学時も並んで歩くようになった。


そして、いつしか「すみれ」「琴子」と呼び合うような仲になっていた。




琴子はよくすみれを家に呼び、すみれも琴子と遊ぶのが楽しくて、週に2回は琴子の家を訪れた。


すみれと琴子はもっぱら家の中で遊んだ。


好きな少女漫画の絵を真似して描いてみたり、琴子の家で飼っている三毛猫のリンと戯れたりした。


その日は琴子の家のリビングにある大きなテレビで、再放送のドラマを観ていた。


それは学園が舞台のラブストーリーだった。


主人公の女の子が好きな男子に告白をし、相思相愛になったふたりはぎこちないキスをした。


息を殺してテレビ画面をみつめていたすみれと琴子は、そのシーンを見終わると、ほーっと長い息を吐き出した。


「恋かあ。いいなー。」


琴子が夢見る乙女のように瞳をキラキラさせて両手を組んだ。


「でも恋ってどうやってするんだろう?」


「すみれ、恋っていうのはするものじゃないの。落ちるものなんだよ。気が付いたらその人のことばかり考えちゃうんだって。それが恋なんだって。」


「そんなこと誰に聞いたの?」


「従姉の咲子ちゃん。咲子ちゃんは中学2年生で、もう彼氏がいるんだよ。」


「へえ。」


琴子の家は母親がシングルマザーだった。


「ママは働きに出ていて帰りも遅くなるんだ。ひとりで家にいるのは淋しいから、すみれも気を使わずに遅くまでいてくれていいよ。」


すみれが帰ろうとすると、琴子はそう言ってすみれを引き留めた。


けれどすみれは6時の鐘が街に流れると同時に、琴子の家を出ると決めていた。


遅くなると航君と桔梗お祖母ちゃんが心配する。


だから決められた時間に家に帰る。


すみれの中でそれは絶対的なルールだった。


「すみれの叔父さんってそんなに怖い人なの?」


琴子の問いかけにすみれは目を丸くした。


「全然怖くないよ。怒られたことなんて一回もない。」


「それはすみれがいい子にしてるからだよ。私なんてママに怒られてばっかり。早く寝なさい、勉強しなさい、部屋を片付けなさい、ってすごくうるさいの。」


「ふーん。」


「ね。今度すみれの家にも遊びに行っていい?」


「うん。いいよ。ウチにはうさぎのららがいるから、来た時に会わせてあげる。」


「ほんと?うさぎ可愛いよね!」


「うん。可愛いよ。航君が飼ってもいいよって一緒にペットショップに行ったんだ。」


「すみれ、叔父さんのことばかり話すよね。ファザコン・・・じゃないか。オジコンだ!」


「そんなことないよ。」


そう抵抗しつつも、もしそんな言葉があるのなら自分はオジコンなのかもしれないとすみれは思った。


帰り道、すみれは学園ドラマの恋人達がキスしている場面を思い出していた。


夕焼けの空は赤く、誰もいない公園で、ふたりはそっと唇を重ねる。


ふとすみれは航の唇が自分の唇に触れることを想像した。


胸の鼓動がドキドキと早くなり、顔が赤く火照った。


それは幼く柔らかいすみれの心に、甘い痛みとかすかな罪悪感を運んできた。


こんなこと考えるなんていけないことだろうか?


恥ずかしいことだろうか?


でも・・・。


「大人になったら航君とキスしたいな・・・。」


このとき初めてすみれは、航への「恋」を自覚した。



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