繋ぐ糸の色を教えて

尾八原ジュージ

姉妹

 瑞枝の姉は、とうとう赤い糸を吐き出し始めた。

 家族はもうあきらめて姉を離れの座敷でいいように過ごさせ、病院に行こうとか入院しようとかいうのを一切止めた。二十一世紀になってもまだ、糸繰病の治療法は見つかっていない。発症したらその女性は絹糸を吐き出し続け、一年ほどで死ぬ運命と決まった。

 瑞枝は、姉が長男を出産したとき、ああよかったと呟いたのを覚えている。糸繰病は女にしか発症しないものだから、我が子が男で安心したのだろう。彼女たちの家系は代々この病を発するものが多い。

 すりすりとかすかな音をたてて、姉は糸を吐く。それを繰って糸玉にするのは瑞枝の役目だった。

「ねえさん、痛くないの」

 そう尋ねると、「痛くはないの。喉がすうすうする」と姉は答えた。

 糸は最初、白かった。姉の口からつるりと垂れているのを見つけたのは、彼女の幼い息子だった。

「おかあさん、お口からなんかでてる」

 その言葉に居間にいた家族が全員振り返った。姉は口元に手をあて、細い細い糸を手にとって「ああ、ほんとうだ」とつぶやいた。

 それから姉は当たり前の食事をしなくなった。朝と夕に薄い粥をつくって食べるだけなのでみるみるうちに痩せて、体がうまく動かなくなった。母の異様な容体を見た子供が泣くので、姉は自ら離れの座敷に籠った。

「あたし機織りをやっておけばよかった」

 瑞枝と糸を繰っている最中、姉はそんなことをよく言う。

「自分の糸で織物をつくれるじゃないの」

「大叔母さんがやってたみたいに?」

「そう」

 大叔母の布で作った振袖は本家にある。白から黄色、緑、水色、青、紫、赤と変わって裾の色は黒い。柄も刺繍もない、無地の振袖である。大叔母はむろん織りかけの布を遺して死んだわけで、だから仕上げと仕立ては本家で雇った職人がやってくれた。

「あたしの糸で着物を作ったら、あの子は着ないまでもあの子のお嫁さんが着てくれるかもしれないじゃない」

 それか妹のあんたがと言いたいような顔をしていたが、瑞枝は厭だった。姉の吐く糸は美しかったけれど、姉の命が吐き出されているのだと思うと怖ろしかった。

 それでも糸を繰るのは瑞枝の役目だった。


「おばちゃん、お口からなんかでてる」

 まだ幼い口調の甥がそう言ったとき、その場にいた家族全員がぱっと瑞枝をふり返った。瑞枝はそうして初めて、自分の口から白い糸が垂れ始めたことを知った。

 離れに行くと、木乃伊のようにげっそりと痩せた姉が赤黒い糸を吐き出していた。瑞枝の姿を認めると、ふいっと笑って「おいで」と言った。何もかもわかっているような口調だった。

「ねぇ、姉さんの糸とあたしの糸でさ」

 姉の糸を繰りながら、瑞枝は言った。「一緒にひとつの着物をあつらえてもらったらどうかしらね。本家にあるのより袖の長い、昔の大振袖みたいなやつができるんじゃないの」

「そうね、それがいいかもしれない」

 姉はいつになく楽しそうに笑った。「本家のとおんなじ柄になっちゃつまらないから、あたしとみぃちゃんの糸を模様になるように繋げてもらいましょうか」

「そうね。あたし、水色のところに赤いのを繋げたいわ」

 瑞枝は言った。「あたしは黄色と赤を繋いでほしい」と姉が言った。

 姉の吐く糸はその夜のうちに真っ黒く変わった。夜明け前に一度ぴんと張ったと思ったら、するりと喉の奥から抜けた。そうして姉は眠るような顔で死んだ。


 瑞枝の糸はいま、黄色と緑の境目の、若葉のような色をしている。

「姉さん、これは、何色のところへ繋ぎましょうか」

 答える声はない。

 ひとりで自分の糸を繰りながら、瑞枝は離れの座敷で命が尽きるのを待っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

繋ぐ糸の色を教えて 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ