70年代から目撃例が広まったツチノコには懸賞金がかけられていた。実は江戸時代の文献にも登場してるようだけど、一応はUMAの類だし、ばっちりそれってモノを見つけたって例はない。アオジタトカゲって外国の太った容姿のトカゲとの見間違い説が有力らしいけど、あくまで仮説に過ぎない。子供の頃に観たテレビで捕獲に成功したというのがあったけど、神格化されていたツチノコの祟りや呪いを恐れてリリースしたとかで、その正体がテレビ越しにお茶の間にさらされることはなかった。


 小学生の時、番組放送の翌日、私のクラスはツチノコの話題でもちきりになった。ちょっと足を運べば低い山々にピクニックができるような、そんな土地だったから、だから誰の心の中にも、もしかしたらツチノコを見つけられるかも……そんな妄想が芽吹いていたんだ。


 皆が口々に「呪いなんて」「ウソだ」「でももしかしたら」と騒いだ。


 四年生だったと思う。どうせ嘘だと言いつつも、まだツチノコのヤラセ番組に夢中になれる年。楽しいことだけを実行できる、考えられる年。私は皆と一緒になって屈託なく笑っていた。


『あんたっていつもムボービだよね』


 だしぬけ、女ジャイアンみたいな子が言った。


 ムボービ? と私はあまり使わない言葉をおうむ返しした。笑いながらだ。ムボービってなに?


 でも向こうは1ミリも笑ってなどいなかった。


『あんたってツチノコみたい』


 どっと笑いが起こった。まさかそんな一言からイジメが始まるなんて田舎娘の私には想像もできなかった。初めはゆるやかなものだったけど、小学校卒業までダラダラと続き、中学に入ってからはじっとり陰湿化していった。ツチノコ、デブチンとなぶられた。物はなくなるし、机が廊下に出されていることもあったし、その机にはペットボトルの花瓶にタンポポやツツジやらの花が詰め込まれていたりと。


 2週間にわたって自画像を描く美術の授業があって、私はついぞ自分の顔を描ききれずに、学校に行くのをやめた。


 まるで本当に冬眠する蛇のごとく、一年の冬が来ると同時に私は引き篭もった。


 不登校というやつだった。


 いじめ自体もそうだし、まさか自分が登校拒否するだなんて夢にも思っていなかった。でも寝ても覚めても私はツチノコで、ずんぐりむっくりした体型も、朝起きたら吐瀉物で濡れている枕も、全て現実だった。


 布団の中からSNSを介してたどるクラスメイト達のツブヤキや投稿から、私は、私の姿に懸賞金がかけられていることを知った。中学二年生の春、「そういえばこんな奴いたよな」から始まった学校の裏サイトの掲示板に、私の顔に雑なイラストでツチノコ図体を書き足した写真が貼られた。中学生が終わればある種の希望ができるはずだったのに誰かが過去をむし返して、中学卒業の年齢となっても、ときおり掲示板は更新された。小さなケータイを通して私のビラは町中に広まった。


 毎日は秒針の動きを数えるように遅くて、永かった。


 やがて腹の底で憎悪の炎が燃えだした。それでも私は決して町の人を怨むことはしなかった。

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