第2話 女神の決断



 純白な空間が広がっていたであろうこの場所は、今や硝子に奔るヒビの様に亀裂が埋め尽くしている。

 少しずつだが、それでも確実にこの空間の破滅を物語る黒き力が伝播していく。

 しかし、そんな景色に意も返さず、純白に青のラインの散りばめられた神聖な装いをする者が目の前の光球に齧り付いていた。

 白銀の長髪を揺らし中の勇者と魔王の対峙にして表情を曇らせる。

 間に合わなかった。全ての命は握り潰された。

 手遅れでも……。それでも……。

 

「どうか、どうか負けないで下さい……」


 帰らぬ者達の為に、どうか勝利を。

 女神フォーレリアは祈りを捧げる。

 例えそれを受ける立場であっても、存亡を賭け始まるであろうこの戦いにせざるを得なかったのだ。

 絶望の淵に立たされようと信じる心だけは揺るがない。

 それこそが繋がりの唯一神が持つ権能でもあった。


「……いやはや、お困りのようですね」


 唐突に意図しない者の気配と、その声がフォーレリアの耳に入った。

 途端に六芒を模る錫杖を光の粒子で構成し振り返る。


「何者ですか! この神域に何処から」


 そこに立つ上下白色のスーツに身を纏った男はあたかも最初から居ましたと言わんばかりに馴染んでいた。

 女神は警戒する。

 どうして気付けなかったのでしょう。私の空間に異物が入れば察知出来る筈なのに。

 空間の亀裂に目が向かってハッする。

 そうか。これのせいで……。

 異物を異物と認識出来ないほど、暗黒の障気は影響していたのだ。

 強迫観をも感じる白色の男は、頭に乗せたシルクハットを取りアタッシュケースを前に寄せる。

 そして女神に向かい頭を下げた。


「怪しい者ではございません。それは貴女の目で見ればよくお分かりになれるのでは?」

 

 短い黒髪に皺の入る優しげな顔付きを見せた。

 その者の持つ性質を見定めるのは神の本領。

 フォーレリアは彼の纏う物に既視感を感じ取った。


「これは……。まさか勇者と同等の……」


 この世界の理では聖気と定めた、選ばれし者だけが携える無二の性質。

 それをこの男は宿していた。


「単刀直入に述べましょう。このままでは、この世界の勇者は敗北致します。生命力に依存した力な以上彼のみでは歯が立たない」


「勇者足り得る力に不足があるのは私も理解の及ぶ所です。ですが、その程度で立ち行かなくなる程柔な者を勇者には選ばない」


 私の精神の一部を切り取って鍛造した聖剣。

 生命の枯渇した現在力が弱まったとしても勇者の持つ聖気と合わされば充分に対抗出来る。

 劣勢だとしても必ず勝機を見出してくれます。


「通常なら問題は無い。だが今回は話が変わって来ます」


 白色の男はアタッシュケースを横手に開き、中の物を返す。

 すると中の紙束が落ち蝶に揺られる様に一枚一枚それらが舞っていく。

 空間を机と見立て、几帳面にも縦横と並び静止する。


「数多の世界に於いて、立ち塞がる脅威を打ち払って来た彼ら。我らブレイブカンパニーに所属する派遣勇者達を選んで頂ければ、必ず力となるでしょう」


 そう言って指を鳴らすと、漂う用紙から人の造形が淡く浮かび上がった。

 複数の中で女神が一つに目線を向けると、ホログラフィックを思わせるその人物像と共に文字も現れる。

 『包鉄』の二文字と。

 これは、名前ですか。


「ブレイブカンパニー。派遣勇者……」


 聞いた事がない。少なくとも女神の支配が及ぶこの世界に於いては、その様な組織など存在しない。

 そして用紙の者達が宿す聖気にも、勇者に連なる力を持つことは疑う余地も無い。

 このレベルの聖気を持って私が気づかない筈が無い。

 感じ取れるからこそ、彼らの在り方が保証できたのだ。

 ……別の世界。次元を抜けた先の光の可能性。

 女神はそう推察する。

 白スーツの男を見やると、まるでその通りと言わんばかりの会釈を示す。


「私達はモットーに魔神の残滓の根絶を掲げています。彼の力は隔てる次元を渡り、魔王と化した者へ更なる悪性を与える。……本来ならばこの世界の勇者で事足りた事案でしょう。そんなインチキに対して手助けをするのがブレイブカンパニーなのです」


「他世界の悪意が、こちらに干渉を……?」


「はい。そして有り得ざる勇者の負け筋に繋がるのです」


 彼の語る魔神とやらの協力を得ていたのなら、この事態に陥ったのも納得出来る。

 魔王の障気が急に増したタイミングがあった。きっとその時に……。

 そう考えると女神は合点がいった。

 歯車が狂って行ったのも丁度その後だ。

 順調だった勇者の旅に暗雲がかかり始め、そして現在の有様と為った。

 

「貴方達の活動内容とそして目的は概ね理解致しました。……ですが、やはりお断りします」


「何故です?」


「その力を借り受けるという事は、勇者を選んだ私自身が彼を信じないという事と同義です。最後は必ず打ち勝つと疑わず、見守るのもまた使命」


 この状況もまた、試練。勇者ならきっと乗り越えてくれる。

 その信頼に値する生き様を今までの戦いで魅せて来てくれた。

 女神はそう思った。


「……勇者とは等しく孤独な者だ。都合の良いお言葉ですね」


「一人で戦う勇者など居ないでしょう。託されて来た物が彼を支えます」


 今は一人でも勇者が感じた仲間達への想いが心を奮い立たせ、足を進ませる。

 正義が勇者を見放す事はないのだ。


「例え隣に立つ仲間が居ようと、その使命は勇者だけに与えられた特権。必ず果たさねばならない敗北を許されない生き地獄でもある。……きっと此処の勇者も死ぬ間際であって諦めはしない」


「その通りです。勇者は諦めない」


「でも、それで迎えるのは何だと思いますか? 使命を為せず蹂躙され尽くしたという結果なんですよ。今までに数多と見て来た惨事だ。それはあんまりにもあんまりではありませんか」


 白スーツの語り口は憐憫に包まれて、まるで遠い日を思わせる様に目を細めた。

 ……あぁ、そうか。この男は。

 終わりを間近にした世界を前に決して許容が出来ない。

 その想いがきっと他の世界だろうと関係無く脅威を知らしめる原動力なのだ。

 力だけでは無く、内に秘めた善性も正しく勇者に他ならなかった。


「……それが正義だと信じた勇者私達に寄り添えるのは、私達勇者しかいない。どうか考え直して下さい女神よ。貴女の意地で、果たせぬ使命に殉じるのを良しとしないで下さい」


 白スーツの勇者は懇願する様にそう続けた。


「…………」


 女神は言葉を持てなかった。

 それでも此方の勇者の決意を無碍にする行いなのは変わらない。

 しかし、白スーツの勇者が述べる様に魔神の残滓を受け取った魔王が、運命をも変質させる力を得たのも事実。

 果たせぬ使命……か。

 女神は小さく息を吐いた。


「世界の法則を凌駕する悪意には、更なる善意を持って対するしかないのです。それ程に魔神の残滓の力は色濃い。反則に違反で抗うのは決して間違いでは無い」


 そう言って右手を空に添えると、2枚の用紙が煌びやかにそこへ収まった。

 女神の前に立つとそれを差し出す。


「苦しむ唯一人の勇者を他に誰が救ってやれると言うのですか、女神フォーレリア」

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