第3話

「僕らは大人にならないといけないんだよ」


 海はそう言って、まだ慣れていない珈琲を飲み始めた。


 海はああいったけど、まだ私は中学生。

 身長は去年より3センチほど伸びた。

 体重はそんなに変わらない。

 成長なんてそんなものでしょ?

 大人なんてそんなのまだ先。

 そのはずなんだよ。


 それに、お兄ちゃんを取られたくないって思うのはそんなに悪いことなの?

 大人になったらお兄ちゃんと離れ離れにならないといけないものなの?

 今を変えなきゃいけないものなの?

 そんなのが大人なんて嫌だよ。


「……大人なんて、変わっていくのなんて嫌だよ」


 私は思ったことを口に出していた。


「お兄ちゃんたちが付き合うかもしれない。そんなのは分かってる。それでも一緒にいたいって思うのはエゴなの? 普通じゃないの?」

「……僕は、僕は変わっていけたらって思うよ」

「それが大人なの? 違うでしょ」


 そんなのが大人だったら、漫画やアニメを見続けてる人は大人だって言わない。

 変わってないんだもん。

 それがただお兄ちゃんに変わっただけ。

 ね? 何も違くはないでしょ?

 そう言いたいんだけど声にはならなかった。


「斉藤さんも知ってると思うけど、僕は珈琲なんて飲めなかったんだ」

「知ってるよ」


 知ってる。

 最初ここに連れて来たときには、苦そうに顔をゆがめていた。


「だけど、今は少しずつ飲めてる。シュガーとミルクは必須だけどね?」 


 カップを持って笑う海にはどこか余裕が感じられた。

 これが大人になるっていうことなのかな。


 だったら私はお兄ちゃんと――いや、そんなことは絶対にない。

 お兄ちゃんはお兄ちゃんだ。

 怪我で少し変わっちゃったけど、優しいお兄ちゃんなんだ。

 そんなの――


「斉藤さんも少しずつ変わってけばいいんだよ」


 なんで海のやつ、こんなに堂々としてるのよ。

 お姉ちゃん大好きだったくせに。

 勉強するくらいなくせに。

 ああ、もう――


「分かった。あと一回だけ挑戦させて?」


 海はこういったけど、私たちはまだ変わらない!

 絶対に変わらないんだから!


「なにをするんだ?」

「もう一回同じことをする」

「あのとき失敗したのに?」

「それでもよ! 今回成功させれば、お兄ちゃんとはずっといられる」


 そう、ずっと。


「わかった。それでいこう。前と同じでいいんだよね?」

「そう、今回は止めてくるのはなしね?」

「わかってるよ」

「じゃあ、明日決行だから」


 作戦ノートで前回の反省をした後、海と私は喫茶店を出た。

 海は何も言わずに帰っていったけれど、今回は自信がある。

 だってもう次が無くなるかもしれないんだから。


「絶対にあの人にお兄ちゃんなんて取られはしない!」


 私は拳を天高くつき上げそう叫んでいた。


 そう思いたかったんだ。


    *     *     *


 次の日、私はお兄ちゃんが乗る電車の駅に来ていた。


 朝練を休むということは伝えてある。あとはお兄ちゃんが来て、その後をつけていくだけ。


 そしてその後に――


「祐介と名前を呼んでキスをする」

 

 もう失敗なんてしないんだよ!

 えっへん!


「今日もいるかな」


 あ、お兄ちゃんが来た。

 駅の階段を急いで駆け上がったお兄ちゃんはそのまま改札を通過していった。


「よし、行こう!」


 私はお兄ちゃんの後を追って、改札を通った。駅のホームではお兄ちゃんと唯葉さんが笑い愛ながら話している。


 どんなことを話してるんだろう。

 お兄ちゃんのことだから、多分ラノベのことだよね。


 そんなの今度から全部私が聞いてあげるんだから!


 さ、準備はOK。

 タイミングなんてない。

 私は大好きなお兄ちゃんと――


「祐介!」


 私はお兄ちゃんに飛びかかり、そのままキスをしようとした。

 しようとしたんだ。

 だけど――


「何やってるんだよ紗枝! 危ないだろ?」


 お兄ちゃんに止められた。

 優しく抱きしめられた。

 お兄ちゃんの匂いがした。

 やっぱりお兄ちゃんは私の――


「そうだ唯葉さん。こいつ妹の紗枝って言うんだけど、前一緒にゲームしたみたいに仲良くしてやってくれないかな?」

「もちろんだよ!」


 あれ? 私が思ってたのと違う。

 どうして?

 ここからもっと修羅場みたいになるんじゃないの?

 なんでどうして?


「良かったな、紗枝。あ、唯葉さんのこと知ってるだろ」

「……うん」


「よろしくね!」と手を差し出してきた唯葉さんは、さっきのことなんて何もなかったみたいに、にこやかな笑みだった。


 ……ああ、分かってたんだよ。

 それでもできるって思いたかったよ。


 もうお兄ちゃんは、大人になったんだ。

 

 学校から帰った後、私はお兄ちゃんが帰ってきてないことを確認して、お兄ちゃんの部屋に入った。


 こみ上げてくる何かを必死に押さえながら、バレないように設置していたものを鞄に入れていく。


 置いていたのは全部お小遣いを貯めて買ったもの。昔置いたものだったけど、全部回収できた。


 扉を閉めて、自分の部屋に戻る。

 こみ上げてくる何かは、すぐに崩れていった。


「……ありがとう、お兄ちゃん」

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