関係者

「……?」


 あれからしばらく目を閉じていたが、何も起こらない。

 勇気を出して目をあけると、そこには作業着姿の見知らぬ青年が居た。

 彼の傍らには、先ほどまで元気に僕を襲っていた怪異男が倒れている。


「君、入ったでしょ」


 いつぞやも聞いたセリフだ。

 それが例の立入禁止場所のことを言っているのだというのは、今回は決定的だった。


「半端に関わっちゃだめだよ~」


 そう言いながら彼は僕の口に貼り付けられていたガムテープを外す。


「あ、ありがとう、ございます……」

「拘束も外すから、ちょい我慢してね」


 青年は慣れた手つきで拘束縄をほどいていく。大学生くらいだろうか。こなれている感じがする。


「すみません、僕、傍観者になれなくて」


 彼が色々知っているのだと踏んで、余計な説明は省略した。


「え? なに、傍観者って」

「……え?」


 予想に反し、小首を傾げる彼。


 僕は自分の身に起こったこと、そしてネット上で調べた怪異現象のことについて話した。


「へえ。ネットも捨てたもんじゃないなあ。少しおしいけど」


 感心した様子で頷く彼。


「おしいってことは、実際は少し違うってことですか?」


「うん。真実を言ってしまうとね、怪異は君の認知を少し歪めているだけ。目の前の出来事は、現実だよ」


 告げられた言葉に心がざわつく。 


「じゃあ、その怪異男は……」

「ふつーに変質者」


 一層恐怖が増してしまった。


「君が体験したことはあくまでも現実さ。怪異は君の中の罪悪感や思い込みを助長して、認知や解釈を歪ませているだけ。

 君の目の前で起きていたことと、君が脳内変換した光景にいくらかの差異があるってだけだ」


「では、傍観してればこの現象が終わる、というのは……?」

「それはほとんどデマ」


 言いようのない絶望感が、腹の中にずしりと沈み込む。


「ああ、でも心配しないで。現実はこんなもの、って正しく認識したのなら、もうここまでのは無いはずだからさ。バイアス解除ってやつだよ」


 青年の言っていることはちょっとよく分からなかったが、とりあえずは大丈夫と言うことで良いのだろうか。


「ただ、あんまり向こう側に行こうとするもんじゃないよ。関わり過ぎるとロクなことにならないからさ」


 青年は自嘲気味に笑う。

 それはつまり体験談だから、ということだろう。


「怪異は君を関係者として認識したけど、何事も関わるのは程々にしなきゃ。欲張りも欲足らずも、いずれにせよ身を滅ぼす」


 彼が言っていることは場にそぐわないほどに哲学的で、それでいて今の僕にはなんとなく分かる気がしていた。

 取捨選択を忘れず、それでいて、欲張り過ぎず、欲張らなさすぎず。

 そのバランスを忘れてしまったり、意識のバランスを崩してしまうと、今回のようにとんでもない目に遭ってしまうのだろう。

 だけど。


「だけど、分別なんてつけられないですよ。看過できることと、看過できないこと。僕には傍観者で居続けることも、関係者で居続けることもできません」


 関係無いと断ち切ることと、関係あると首を突っ込むこと。

 善人でも悪人でもない、中途半端に形作られた僕という存在は、酷く形容しがたい者だろうと思う。


「でも、それが苦しいんです」


 何をどれだけこの手で守ろうとするべきか、何をどれだけ見殺しにするべきか。

 救うべき命、助けたい存在、かけがえのない誰か。

 それらはひとたび目を開けば、「我先に」と視界に飛び込んでくる。


 なのに、この身体は、この心は一つだけ。


 両手を伸ばせる範囲も、両足で駆けて行ける場所にも限界がある。

 何かに出会う度に、胸が張り裂けそうな取捨選択をし続けなければいけないというのか?


 うつむく僕に、されど青年は淡々と告げる。


「……そんなもんだよ。それが普通。一つずつ折り合いつけて、まともな大人になっていってしまうのさ」


 じゃ、大いに苦しめ、と彼は言い残し、傍らの怪異男――改め変質者を担いでどこかへ消えていった。

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