第17話 ラニの決意

 夕食後、私はラニの部屋へ訪れた。

 妹の部屋は、深い青色を基調としたもので統一されていた。

「ラニ、ヒナツのものになるって本気で言ってるの?」

 私の質問に、まだ幼い少女はこともなげに返事をする。

「えぇ、そうよお姉さま。私、あの男の妻になるわ」

「あんな色ボケ男やめたほうがいいって!」

 ラニの両肩を掴む。手の下にあったのは、まだ子どもらしい華奢な骨格だった。

「だいたい、ラニみたいな少女に手を出す時点で人として問題が……」

 こちらの言葉が終わらぬうちに、ラニは私の手を払いのけ、金切り声を上げた。

「お姉さまは何もわかってないのよ! 私が牢を出てからどんな思いをしてきたか!」

「ラニ?」


「あの男がお姉さまに気に入られようと、あれこれしていたことは私の耳にも届いているわ。お姉さまが、それを全てをはねつけていたことも! 私がそのたびに、どれだけ身の縮む思いをしていたか、お姉さまに分かる!?」

(え……)

 ラニはあどけない両肩を、自分の手でそっと包む。そしてぶるっと一つ身震いをした。

「お姉さまが不興を買って、あの王に斬られるようなことがあれば、私だって無事でいられない。またドレスを取り上げられ、地下牢に押し込められ、処刑に怯える日が来るんじゃないかって……」

 涙に潤んだ瞳が、キッと私を見据える。

「私、ずっと恐怖に震えていたのよ!?」

(あ……)

「だからね、私、もうお姉さまの力に頼らないことに決めたの。自分の命は自分で守ろうって」

 自分の行動がここまで一人の幼い少女を追いつめていたことなど、考えもしなかった。

 だけど彼女の判断を肯定するわけにはいかない。

「それが、ヒナツの愛妾になるってことなの? ラニ、愛妾って何をするのかわかってるの!?」

 私の言葉に、ラニは下唇を噛み、うつむく。

「……だいたいはね」

「だったら、そんなことは……!」

「殺されるよりましよ!!」

「……っ」

 それはこれまで聞いた中で、最も悲痛な声だった。

 言葉を失った私に、ラニが冷たく笑う。

「お姉さま、私上手くやるわ。あの卑しい野蛮人に媚びを売ってでも、生き延びて見せる」

 まだ幼さを残す少女の顔立ち。双眸だけが大人の諦めに染まっていた。

「……だから、もうヒナツに手を出さないでね。お姉さま」


■□■


 城の皆が寝静まったころ、私はヒナツの部屋へと向かった。

 そっと扉を叩くと、すぐにヒナツの声が返ってきた。

「入れ」

 私は部屋に入る。

 ヒナツはベッドに腰かけ、剣の柄に手をかけていた。

「ソウビか、何の用だ」

 暗がりの中で光るヒナツの目にゾッとなる。

 それはこれまで私に見せたことのない、ひどく冷たいものだった。

 彼の瞳と手にした剣に動揺しながらも、私は覚悟を決めて口を開く。

「ラニに……、妹に手を出さないで……」

「手を出す? これはとんだ誤解だ」

 ヒナツがせせら笑う。

「ラニは自ら望んで、俺の腕の中へと飛び込んできたのだぞ?」

(それは知っている。ラニの口から直接聞いたから……)

 私がうつむくと、ヒナツは剣を近くの壁に立てかけた。

「安心しろ、ソウビ。少なくともあと5年はなにもせん。さすがにあの幼顔にそんな気は微塵も起きん」

「だけど、それでも……っ」

 たった13歳の少女が、命を繋ぐために身を投げ出そうとしている。それを見過ごしにはできなかった。

「ヒナツ、やめてあげて……」

「……」

 みしりと、床のきしむ音がした。大きな影が私を覆う。見上げれば目の前にヒナツが立っていた。

「ならばソウビよ、今、俺を請え」

「請う?」

 乱暴に顎を掴まれ、しっかりと上を向かされる。爛々と光る凶暴な瞳が私を見下ろしていた。

「あぁ、そうだ。許しを請え、愛を請え、俺を請え!! ラニが自分を妻にするよう、俺に熱く激しく迫ったように」

「……っ」

「ラニは愛らしかったぞ。俺の足元に身を投げ出し、頬を染め、目を潤ませすがるように小さな手を俺に差し出した」

 ヒナツはうっとりと目を細める。

「初めてだ、あんなに懸命なまなざしで求められたのは……」

(ヒナツ……)

 ヒナツが再び私に目を向ける。その中に愛情らしきものは一かけらも見当たらない。

「お前もやって見せろ、ソウビ。ラニの純粋でまっすぐな求愛をうち消すほどにな。俺を満足させられたなら、ラニのことは忘れお前だけを愛すると約束しよう」

「くっ……」

「どうした、ソウビ?」

 獲物をいたぶるようなヒナツの言動に、胸の奥がギリギリと痛む。


(まだ幼いラニが、この男の毒牙にかかるのはいやだ)

(だけどヒナツの手を取れば、私はやがて国を滅ぼした悪女として殺される)

(それに私が好きなのは、テンセイだけ……!!)

 知らず涙があふれ、頬を伝う。

(テンセイ以外に触れられるのは、いやだ……!)


「……。たった1人の妹への愛情よりも俺への嫌悪が勝るか」

「っ! 違う! ただ、私は……!」

「もういい」

 飽きたおもちゃを放り出すように、彼は私から手を離す。

「でもヒナツ、ラニはまだ……!」

「不愉快だ! 今すぐここから出ていけ!!」

「っ!」

「二度とその面を見せるな!!」

「……っ」

 その剣幕に飲まれ、言葉は喉の奥で止まってしまった。


■□■


 ヒナツの部屋を後にした私は、無力感に苛まれながらただ天井を仰ぐ。

(私はどうすべきだったの……?)

 痛む胸を、拳で押さえつける。

(ラニ……!)


■□■


 ソウビが立ち去ったのを見計らい、ラニはヒナツの部屋を訪問した。

「ずいぶんな大声でしたのね。私の部屋まで聞こえてきましてよ」

「あぁ、起こしてしまったか。すまんな」

 ベッドに仰向けになり天蓋を睨むヒナツの側に、少女はそっと近づき、そのマットに頬杖をつく。

「いいえ、ヒナツ様のことを考えていたら、胸苦しくて眠れませんでしたから」

「ラニ……」

 苦労を重ねた傷だらけの手が、ラニの頬に優しく触れる。

「ラニ、お前だけだ。俺に一途な愛を注いでくれるのは」

 王の手が、ラベンダー色の髪をそっとすくう。

「下賤の者よと見下す目にはもううんざりだ。見返りを求め媚びる目にも吐き気がする」

 ヒナツは髪にキスをすると、すがるような眼差しを、まだあどけない少女へ向けた。

「ラニ、俺を愛してくれるか」

 ラニは王女として身に着けた完璧な微笑みを浮かべて見せた。

「えぇ、……もちろんですわ。敬愛なるわが君」


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