第18話 追放

 色とりどりの花咲き誇る庭園を、ラベンダー色の髪の少女が軽やかに駆け抜ける。

「うふふ、ヒナツ様。こっちこっち!」

 華やかなレースで縁取られた青いドレスの裾を、くるくると翻しながら。

「ねぇ、早く。こちらにございますのよ。ヒナツ様のように力強く美しいお花が!」

 子リスのように愛らしく、少女は赤髪の王を先導する。

「ははは、わかったわかった、そう急くな」

 ヒナツは大口を開け楽しげに笑いながら、ゆったりと少女の後を追った。

「花の中を軽やかに駆け回るお前は、まるで妖精のようだな。ソウビ」

「え……」

 利発そうな少女の笑顔が陰る。

「ソウビお姉さま?」

「ッと、間違えた」

 トーンを落とした少女の声に、ヒナツは過ちに気づく。

「ラニだ、ラニ。わははははは」

「……」

 ラニのまだ幼さの残る丸い頬が、プッとふくれる。

「ヒナツ様ひどいですわ。私をお姉さまと呼び間違えるなんて」

「怒るな、ラニ。うっかりだ。これまであれの名を呼ぶことが多かったから、くせになっているだけだ」

「それでもいや!」

 ラニはヒナツの元へ舞い戻ると、彼の胸へ一度顔を押し付け、そして上目遣いで軽く睨んだ。

「ヒナツ様の心にはまだお姉さまの面影が残っているのかと、私、不安になってしまいます」

 気の強そうな眼差しが一転、悲しげに曇る。

「だって私はまだ幼くて、ヒナツ様の恋のお相手としては不十分です。わかっていますのよ?」

 子どもらしい細い指が、すがるようにヒナツの服をキュッと掴む。潤んだ瞳から、雫が一つ転がり落ちた。

「私が大人になるまでに、ヒナツ様がまたお姉さまに心変わりされてしまったら。そう思うだけで、私、うっ……」

 いとけない少女の一途な眼差し。後ろ盾を失った高貴な少女が、今、俺だけを求めている。かつては野良犬のようだとあざけられたこの俺を慕い、俺の心が離れることをこんなにも恐れている。そう思うとヒナツの心は踊った。

「すまなかった、ラニ」

 ヒナツは身をかがめ、ラニを包むように抱きしめた。

「そんな悲しい顔で泣くな、ラニ。あれのことはもう、何とも思っておらん」

「本当に?」

「あぁ、もちろんだ」

 ヒナツの傷だらけの指が、少女の柔らかな髪を梳く。

「ラニ、俺の心が誠であること、どうすれば証を立てられる?」

 ヒナツの問いに、ラニの目がスッと冷える。

「……そうですわね」


 ■□■


 謁見室に呼び出された私とチヨミにヒナツが告げたのは、信じがたい内容だった。

「私とソウビに、この城から出て行けと!?」

(なっ……)

 玉座にふんぞり返ったヒナツは、頬杖をつきふてぶてしく私たちを見下ろす。

「あぁ、そうだ。可愛いラニのたっての願いでな。俺に、目移りしてほしくないんだと。自分以外の女を見るなとは、クク」

 ヒナツがおかしそうに、喉の奥で笑う。

「幼さに似合わぬ激情の持ち主よな。可愛いものよ……」

(ラニ……)


 ――お姉さま、私上手くやるわ。あの卑しい野蛮人に媚びを売ってでも、生き延びて見せる――


 あの夜のラニの言葉が耳の奥に蘇った。

(ラニがここまで本気だったなんて……)


「別に処刑というわけではない。東の離宮に移れ。生活には不自由しないはずだ」

「ヒナツ、あなたは……!」

「ほら、それだ」

 ヒナツは忌々し気に舌打ちをする。

「また王である俺に意見しようとする」

「……っ」

 チヨミが下唇を噛み黙る。意見すれば彼のプライドを傷つける、それを避けようとしたのだろう。

 だが、ヒナツは彼女の心遣いに気付くことなく、熱に浮かされたような眼差しを中空へと向けた。

「ラニが言うのだ。今のままでは臣下も俺を侮ると。女の尻に敷かれている王であってはならないと、な」

 ヒナツは玉座から立ち上がり、私たちに背を向ける。

「まぁ、そういうわけだ。荷がまとまり次第、離宮へ移れ。従者も好きに連れて行っていいぞ。お前にくみした者などいらん」

「……っ」

 チヨミの拳が震え、その頬を涙が伝う。

「ヒナツのばかっ!!」

 叫ぶなり、チヨミはその場から走り去った。

 王妃から王への言葉ではなかった。ここまで共に歩んだ、大切なパートナーから裏切られた、一人の女性の魂からの悲痛な声だった。


「……ふん」

 つまらなそうに鼻を鳴らし、ヒナツが振り返る。まだその場に私が残っているのに気づくと、不快そうに眉間にしわを寄せた。

「何をモタモタしている、ソウビ。お前もさっさと出ていけ」

「……ラニの側にいちゃダメかな?」

「はぁ?」

 先日、顔を見せるなとなじられたばかりだ。無駄だとは知りつつも、私は彼に問う。

「妹が心配だから、ここに置いてほしい、というのは……」

「そのラニが言ったのだ。誰よりもソウビ、お前にこの城から消えてほしいと」

「!」

「わかったら消えろ」

 王宮から追い出されるのは一向に構わない。

 けれど。

(私の至らなさが、幼いラニにあんな決断をさせてしまった。せめて側であの子を守れたら、そう思ったのに……)


 ■□■


 謁見室から部屋に戻ると、私は深いため息をついた。

(はぁ……、とりつくしまもなかったな……)

 これまでヒナツから囁かれた口説き文句を思い出す。あんな男の側に、まだあどけない少女を一人残していかねばならないのだ。

(ラニ、どうすれば……)

 その時、ノックの音が聞こえたかと思うと、使用人がゾロゾロと入室してきた。

「失礼いたします、ソウビ様。離宮にお持ちするのはこちらにあるものでよろしいでしょうか」

(追い出し作業が速やかすぎる!)

 さっき追放を告げられたばかりで、もう移動の準備をしなきゃならないのか。

 どれだけ私を追い出したいのだ、あのどすけべ王は!

「あぁ、うん。身の回りのもの一通りあればいいかな」

 使用人たちに罪はない。彼らを責めても仕方ないのだ。

「かしこまりました」

 使用人たちは淡々と持ち出し作業に入る。やがてドレスを詰め込んだ最後のカッソーネが運び出されると、部屋は寒々しい雰囲気となった。


(なんか、だんだん腹立ってきたな……)

 がらんとした部屋に一人取り残された私の中に、じわじわと怒りが湧きあがってきた。


(いや、よく考えたらさ、私そこまで悪くないよね!?)


 そもそもラニは『GarnetDance』において、ボイスすらついてない脇役。

 ヒナツという悪役がいて、そのおまけに「彼をたぶらかした悪女」としてソウビがいて、更にそのおまけとして「ソウビには妹がいました」程度の設定のラニがいたのだ。


(ラニへの気遣いが疎かだったのは認める! 牢から出てほとんど交流してなかったし、ぶっちゃけ完全放置だった。自分が助かる事ばかり考えてたのも否定しない。姉妹なのに冷たいって言われても仕方ない。でも妹って感覚が薄かったんだから仕方なくない!? キャラとしても印象薄かったし! だってプレイヤーからしてみれば、ラニはボイスなしのモブだったんだよ!?)


 幼い少女にあんな決断させたことには罪悪感がある。

 彼女がこの世界では生身の肉体を持ち、死に怯えていたことも可哀相とは思う。

「でもだからって、私が悪いの!? 我慢すべきだった?」

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