第4話 テンセイ・ユリスディ

 さやけき月明かりが窓から差し込む豪奢な部屋。

 カーテン、ラグ、ソファなど室内のあらゆる布製品は、今の私であるところのソウビによく似合う、真紅で統一されていた。王女として生を受けてから投獄されるまで、ソウビは多くの時間をここで過ごしてきたのだろう。そして牢から救い出され、再びここへ戻って来られたのだ。

(ソウビの部屋って、こんなんだったんだ)

 ゲームの中で描写されることが一度もなかった部屋。ソウビが登場する際に表示される背景は、いつも玉座の間や宴席だったから。

 私はふわふわのベッドに横たわり、天蓋を見上げる。目を閉じると、遠くの音がよく聞こえてきた。

(はぁ……、広間は盛り上がってるなぁ……)

 階下からは大勢の人間の、陽気な笑い声が聞こえる。その中で、ひときわよく通るのはヒナツの声だ。


(原作通り、ヒナツはあっさりと王になっちゃった)

 チヨミの実家アルボル家の下働きから、その能力を買われ重用されるようになり、チヨミと地位を得た時代の寵児ヒナツ。

 そして彼は、王殺しの奸臣フリャーカを討ったことで完全に救国の英雄となった。

(民衆にしてみれば、自分たちに近い立場だった人間が見事に成り上がったのが、痛快なんだろうな)

 人々に望まれ、ヒナツはこの国の王となった。今宵はその宴が催されている。

(いや、ここに王家の正当な血を引く人間がいるんですが?)

 ソウビだけじゃない。妹のラニも前王の娘だ。

(それにヒナツの戦功は、チヨミの立てた戦略のたまものなのに)

 主人公チヨミを操作してゲームをしていた時は、そこまで引っかからなかった設定に、妙にモヤッとする。

(まぁ、実際の歴史でも、女の扱いなんてこんなもんだけど)

 不意を突かれたとはいえ、家臣によって討たれた王家の人間より、時代の寵児を民衆は望むのだろう。


「はぁ~あ」

 私は勢いよく身を起こし、ベッドに腰かける。

(ラニ、もう寝たかな)

 牢から出され、自分の元いた部屋に戻されたとはいえ、今の私たちの立場は客人に近い。

 この城の主は今や、ヒナツなのだから。

(妹の様子を見に行くくらい、許されるよね?)

 ソウビの部屋は、ローズピンクの髪に合わせた真紅だ。なら、ラベンダー色の髪を持つラニの部屋はどんな色合いなのだろう。紫系? それとも青系だろうか。

(ちょっと行ってみよう)


 ベッドから滑り降り、扉に近づきノブに触れようとした時だった。

 扉が勝手に開いた。

 視界を塞いだのは厚い胸板。

「ソウビ殿、しつれ……」

「テテテテテンシェイィイイァ~ッ!? 」

 ゼロ距離で眼前に出現した最推しテンセイに、喉から奇声がほとばしる。

(うぉー、びっくりしたびっくりした!)

 ドッドッと激しく鼓動を打つ胸を押さえ、私はよろよろと距離を取り側の壁に手をついた。

(推しが3Dになって目の前に出現した!!)

 目だけを動かし、恐る恐る訪問者を見る。

(やっぱりテンセイだ……!)

 イクティオ王国の近衛騎士団長、テンセイ・ユリスディ。扉の枠に頭をぶつけそうな長身に広い肩幅、厚い胸、筋と血管がくっきり浮かんだ手の甲。茶色の髪は獅子のたてがみのように雄々しい。こちらを見る鋭い目は金色の虹彩が印象的で、しかしながらその表情は柔和そのものであった。

(完璧! 存在が完璧すぎる!!)

 私は荒ぶる呼吸を懸命に整える。この理想の具現化が、今の私、ソウビ・アーヌルスの婚約者なのだ。

(これまでも時々視界に入ってたけど、こんな不意打ちで至近距離は反則だって! あぁ、心臓止まるかと思った。だめだ、手足震えてる。心臓が限界の動きしてる!)


「ソウビ殿? お加減でも悪いのでしょうか?」

 テンセイは扉を開き、ずいと私に歩み寄ってくる。

 私はわたわたと、顔の前で伸ばした腕を大きく振った。

「ストップ! テンセイ、ストーップ!!」

「ソウビ殿?」

「それ以上近づいたら、私は……死ぬ!」(訳:推しの供給過多で心臓が止まってしまいます)


 私の言葉に、テンセイはピタリと足を止める。そして、目を伏せるとこちらへ向かって恭しく頭を下げた。

「失礼いたしました。前王の命令による婚約でしたが、ソウビ殿がそこまで自分を厭うておられるとはつゆ知らず」

「へ?」

 い、いとう?

 テンセイは顔を上げ、他人の表情をこちらへ向ける。

「ご安心を。前王亡き今、ソウビ殿はもはや自由の身。自分も束縛はいたしません」

(あ、あれ?)

「今すぐ下がりましょう。ヒナツ王がソウビ殿を呼んでおられることを、自分は告げに参ったまでのこと」

(え、ちょ!? なんか誤解させた?)

「では、御免」

 くるりと背を向け、立ち去ろうとしたテンセイに、私は慌てて追いすがる。

「ちょちょちょ、待ってテンセイ! ちがぁう!!」

 私がテンセイの服を掴むと、彼は怪訝な表情で振り返った。

「私がテンセイを嫌いとか、ないし! 顔が良すぎて、びっくりしただけだから!」

「はぁ……」

 テンセイは困惑した様子で、自らの頬に手で触れる。

「顔、ですか……」

「あぁっ、違う! 顔だけじゃなくて!」

 私はうろたえながら言葉を続ける。

「あと、声も! 声が天才! 匂いもいい! オーラが空気を浄化してる!!」

「……」

(いやぁああ、何を言ってるんだ私は! テンセイ、完全に面食らってるよ……!)

 無表情のまま、目だけこちらに向けている推しを見て、私は己の口走った内容を恥じる。

(ヲタクの、夢中になると本能のまま語りすぎる部分が出てしまった! 匂いがいいってなに!? 変態じゃん、私!)

「フッ」

 え?

 空気の擦れる微かな音に、私はテンセイを見る。テンセイは口元を拳で隠し、やわらかく細めた目を私に向けていた。

「笑った?」

「いえ、申し訳ございません。ソウビ殿の印象が、これまでとあまりにも違うもので」

(! やっべ)

 心の中で冷や汗をかく。そうだ、ソウビは王の娘、王女様、お姫様だ。こんなヲタクしぐさをするキャラじゃない。もっとこう、品位と言うか気高さと言うか。長年、婚約者だったテンセイから見れば、めちゃくちゃ怪しかったのでは?


 けれど意外にもテンセイの私に向ける眼差しは、好意的なものだった。

「今までソウビ殿は、自分と二人でいても静かに口をつぐんでおいでのことが多くございましたから。貴女が、このように親しみやすく楽しい方だとは存じませんでした」

(アリなの!? セーフ? とりあえず、ソウビ、イメージ壊してごめん!)

 テンセイの指先が、ローズピンクの髪に伸びる。

「もう少し早く、今の貴女を知っていれば……」

 そしてその指は、私に触れることなく遠ざかった。

「……いえ、最後まで知らずにいた方が良かったのかもしれません」

「?」

(どういう意味だろう……)


 テンセイは一度目を伏せ、それからこちらを見た。元通りの誠実な顔つきで。そしてその大きな手を、私へ向かって差し伸べる。

「宴席までお連れ致します。ソウビ殿、お手を」

「あっ、はい!」

 反射的に手を重ね、その熱いほどのぬくもりに触れた瞬間、とろけそうな快感が背筋を走った。

(うわぁああああ!! テンセイとおてて繋いだ!!)

 頬がじわりと熱くなる。

(手、おっきい! それにあったかい! テンセイって体温高いんだなぁ……)

 幸せと興奮が頂点に達したのか、頭がふわふわして、足元がわずかに揺らぐ。

「ソウビ殿?」

 ふらついた私の体を、テンセイの逞しい腕が抱き止めてくれた。

「もしや、牢に囚われていた時の疲れがまだ取れていないのでは? 体がおつらければヒナツ王には、ソウビ殿はすでにお休みになられたと伝えますが」

「えっ? ううん、大丈夫!」

 テンセイと手を取り合う、このひとときをまだ終わらせたくない。

「ならば、よろしいのですが……」

 気づかわしげにこちらを見るテンセイに、私は笑って見せる。

(前回の夢では、テンセイに抱きしめられながら胸を剣で貫かれたけど、あんな悲しい抱擁は二度とごめんだ)

 テンセイに手を取られ、私は城の廊下を一歩、また一歩と進む。この時が少しでも長く続けばと願いながら、ゆっくりと。

(幸い、今の私はテンセイの婚約者なんだから、恋を成就させられるよね?)

 テンセイの横顔を盗み見る。テンセイは私の視線に気づくと、かすかに口端を上げて微笑んだ。

(バッドエンドしか運んでこないヒナツなんて無視して、テンセイに一途でいよう。テンセイと結ばれるまでは、この夢から覚めませんように!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る