真空
茉莉ちゃんと帰路を辿ってから
早くも5日ほど経つ。
1週間が経つ中で、
天気のよかった日々は消え失せ
本格的な梅雨が顔を表し始めた。
湿気を含んで重たい空気が
頭や肩にのしかかる。
陽奈「…。」
マスクの中で何度も息を飲みこむ。
その度にぎりぎりと
喉に痛みが走った。
茉莉ちゃんと会った日以来
喉の痛みが発生して
一向に引く気配がない。
学校を休もうかとも思ったけれど、
熱もなければ咳が出るわけでもなく、
お母さんには「頑張れそうなら行こう」
なんて言われてしまって
行かざるを得なくなっていた。
いっそのこと熱でも出てくれたら、
今はやっているインフルエンザにさえ
なってしまえたら楽だったのに。
しかし、ただでさえ部活を
休んでいる中、
学校まで休んでしまったら
2度と通えなくなるような気がしてしまって
お母さんの言う通り
学校へ足を運ぶことしかできなかった。
「おはよー。」
「おはよう。今日学校とかだるくない?」
「それな。休もうかと思った。」
「台風来てんのにあり得ない。」
「ばっくれね?」
「いやもう無理でしょ。」
「えー。」
「来ちゃったらもう受けてこうよ。」
「偉すぎ。うちも頑張ろ…。」
なんて、クラスの中でも
陽気な部類の女の子たちが
話しているのが耳に届く。
互いに愚痴を言い合ったり
励ましあったりできるのが
羨ましいとも思ったけれど、
私には遠いお話だ。
教室の隅で何となく本を開く。
美月ちゃんにおすすめしてもらったものだ。
文字を追いながらも、
時折周囲が気になって目線を上げる。
誰かと目が合いそうになって
活字へとまた目を向ける。
どう思われているだろう、という思考は
本を読んでいようと顔を出してきた。
集中することができないのかな。
物語の中に入れば、
没入すればいいだけなのに。
美月ちゃんから貸してもらった本は
人魚姫に関係あるものらしい。
昨今では人魚姫の映画も
放映されていることから
話題になっているのだろう。
それに合わせて本を選出
してくれたのかもしれない。
周りにびくびく怯えながら
席に座っていると、
4月当初はよく声を掛け合った子が
教室に入ってきた。
「おはよー。」
陽奈「…!」
ぱっと顔を上げたけれど、
その子はまた別の子に目を向けて
挨拶をしていた。
勘違いだったと恥ずかしくなり
そっと目を伏せる。
私がよそよそしい態度から
抜け出すことができなくて
見切りをつけちゃったのか、
いつも浅く仲良くしていたクラスの子は
いつの間にか気の合う友達を見つけていた。
その人と一緒に過ごすようになっていて、
私とも話してはくれるけど
1人の時間が多くなった。
古夏ちゃんや美月ちゃんも
いるにはいるけれど、
みんなそれぞれ特段に
仲のいい人が別にいる。
私、別にいなくてもいいんじゃないかな。
そのことにふと気づいてしまって
こくりと喉を鳴らす。
ざりざりと喉が
轢かれているような感覚に
泣きたくなるほどだった。
「今日体調が悪くてね」って
ただ話したいだけだとしても、
私なんかがこんな話をしたって
可哀想アピールをしたいだけとしか
思ってもらえない。
だって。
°°°°°
「心の病気って楽だよね。辛そうに振る舞っておけばいいんだもん。」
°°°°°
陽奈「…っ……。」
喉が酷く痛む。
掠れた空気が喉を通るだけで
激痛が走ってゆく。
何となく本を閉じてお腹を抱えた。
痛そうに背を丸めてみた。
お腹が痛くならないかなと
期待を込めてしたのだけれど、
一向に痛くなる気配はない。
注目を集めるのはとてつもなく苦手なのに
心配されたいなんて思ったのかもしれない。
誰も見ていないところでこっそり席を立ち
気づかれることすらないまま
教室を後にした。
***
結局学校に居続けるのも苦しく、
かと言って保健室の先生に
早退したいなんてことも言えないまま
ちょこんと着席しては
最後まで授業を受けた。
部活に向かうことなく
下駄箱の前で傘を差す。
すると、すぐさまひっくり
帰りそうなほどな強風が襲ってきた。
わたわたする私は
どんなふうに映っただろう。
きっと滑稽だったろうな。
前髪を直すふりをしつつ
背を丸めて傘に隠れるように歩いた。
自分の性格の中で何が厄介かって、
もちろんこのネガティブな思考もあるけれど
やりたいと思ったことすら
周囲にとやかく言われることが怖くて
どうしようもできなくなるところだった。
何をしたって非難されて
否定されてゆく気がする。
誰もが私に興味なんてないし、
私と関わったって不幸にしかならない。
家族も、先生もそう。
古夏ちゃんも、美月ちゃんも、
秋ちゃんも茉莉ちゃんもいろはだって。
陽奈「…。」
まだ大丈夫。
まだ1人でも抱えられる。
けれど、変わりたい。
変わりたいけれど、
どうしたらいいのかわからない。
それ以上に怖い。
怖くてたまらない。
電車に乗って、家の近くまで
何とかたどり着く。
どうやって歩いてきたのか
ぱっと思い出すことができない。
気づけばここに居たと言っても
差し支えがなかった。
知らない場所じゃなくてよかった。
気を抜いたら知らない場所に…
なんてことも時々あるから、
せめて歩いている時くらい
しっかりしていないと。
轟々と響くの雨音の中、
ふと、ローファーが水たまりに浸かった。
早く足を抜かなきゃ
びたびたになってしまうというのに、
何故か足が止まってしまった。
徐々に靴の中へ浸水していく泥水は
気持ち悪くって仕方がない。
けれど、暗闇の中のように
一種の心地よさを感じていた。
このまま傘も手放して
水たまりに倒れ込んでしまえたら。
演技でもいいかから
そういうことができたらな。
できるかな。
誰も見ていないならいっそー。
そうだ。
私、雨に恋してる。
いつだって悲観的になっても
いいよって言ってくれているような
気がするから。
そう思って、鞄すら地面に落として
水たまりに近づこうとした時だった。
「お姉ちゃん!」
陽奈「…っ!」
だん、と1歩大きく踏み出す。
あ。
片足が水たまりから
抜け出してしまった。
案外簡単だったんだな。
ぱっと振り返ると
そこには同じような傘を刺した
いろはの姿があった。
彼女も今年で受験生だからか、
自然と大人な顔つきを
しているようにも見えた。
いろは「やっほやっほ。」
陽奈「うん…。」
いろは「あれ、何か考え事?」
陽奈「まあ…少し…。」
いろは「お姉ちゃんの話ならいつだって聞くからねー。」
陽奈「…うん…。」
いろははそう言ってくれる。
知ってる。
家族もそう。
だけどね、その裏で
面倒くさいなと思われていることも知ってる。
せめて私が不安にならないようにと
表向きではよくしようと
してくれていることだってわかってる。
それでも、私はいつまで経っても
自分の弱さを見下すだけで
受け入れることができないまま。
陽奈「……その…私って…いらないんじゃないかなって…。」
いろは「嫌なこと言われたの…?」
陽奈「ううん。…でも、そう言ってる…目をしてる、し、友達だった子も離れていって…。」
いろは「大丈夫だよ。お姉ちゃんはすぐに友達作れるよー。」
のほほんとした声で
そう言うけれど、
本当は私1人じゃそんなことも
できないんだっていろはは知ってる。
だって雨鯨の繋がりも
いろはが作ってくれたものだから。
もしいろはがひとことくれなかったら
私は今もひとりぼっちで歌を…。
…。
なんで、歌いたかったんだっけ。
陽奈「……後…喉が痛く…て…。」
いろは「確かに声がさがさだね。」
陽奈「…。」
いろは「最近花粉だっけ、アレルギーも流行ってるし、インフルエンザとかも流行ってるから、たくさん食べてたくさん寝るんだよ!」
陽奈「…いろははいつも元気だね。」
いろは「え、そう見えるー?」
陽奈「うん…。」
いろは「じゃあ、この元気をお姉ちゃんにも分けてしんぜようー。」
そう言ってはソーラン節のような
奇怪なポーズを取り出した。
雨が降っていることも忘れて
傘をぶんぶんと振り回す。
近くに自転車が通りかかっていて
いろはに声をかけようとしたけれど、
開きかけた口は声を発することはなかった。
私が言ったって何も変わらない。
自転車は反対車線へと移って
何事もなかったかのように
通り過ぎていった。
いろは「まあ、元気なら秋ちゃんに分けてもらった方がいいと思うけどー。」
陽奈「…。」
いろは「そう言えば最近通話できてないなぁ。」
陽奈「…そう、だね。」
いろは「私は受験生だし、お姉ちゃんと茉莉ちゃんのアカウントはおかしくなってるし…。」
陽奈「…。」
いろは「…このまま雨鯨がなくなっちゃいそうで怖いな。」
ぽつり、とこの豪雨にそぐわない
小さな雨粒を髪から滴らせていた。
変に踊っていたせいで
頭から雨を被っていたみたい。
しなしなになったおさげは
それだけで哀愁が漂っていた。
陽奈「……。」
私も嫌だ。
茉莉ちゃんの記憶も然り、
雨鯨での思い出然り。
全て全てなくなっていくようで怖い。
それすら言えなかった私は
きっと嘘つきの卵から生まれた心を
携えているのだと思う。
私の心は真っ黒なんだと思う。
いつも海にいる友達は、
私を裏切らないあの友達は
いつだって透明のようなのに。
どうして私はああなれないのか。
さっき1歩大きく
踏み出したからだろうか。
つま先や踵がびりびりと
微力な電気に晒されているように
痛みが走っていた。
いつまでも痛みに浸っていらたらなんて
少しばかり思ってしまう私がいた。
台風と共にこんな思想
過ぎ去ってしまえばいいのに。
真っ黒な空を見上げながら
明日関東へとたどり着く
であろう台風を思った。
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