一歩の変化

「ナイスー。」


「もっと前出てー!」


「号令ー!」


と、体育館からはさまざまな声が

飛び交っている。

合唱部とは全く違った空間を

目の当たりにして、

別世界だなと思う他なかった。


体育館の2階から見下ろしていると

今日はバレー部とバスケ部が

コートを半分に割って

活動しているのが見えた。

バドミントン部はこの後

交代で体育館を使うらしい。

たまたま通りかかった人が

そう言っていたな、と思い出す。


陽奈「…よかったの…かな。」


絶賛部活をサボって

こんなところに来ているが、

果たして本当に良かったのだろうか。

顧問の先生には、1週間ほど休みたいと、

震えた声で伝えた。

私の事情を知っているのか知らないが、

家族が亡くなったとか

そういうことではないのかと

確認された程度で済んだ。

厳しいイメージのある先生だから

理由を細かく説明させられそうと

思っていたのだけれど、

実際はそんなことはなく

呆気に取られてしまうほど。


…むしろ、私がいてもいなくても

変わりなかったんだろうなって。


陽奈「……。」


1週間後、部活には前よりも

戻りづらくなっているかもしれない。

再び参加し始めてから

その先の違和感は

時間が解決してくれると美月ちゃんは

言っていたけれど、

時間が解決するまでは

苦しまなければならないこと他ならない。

私はいつだって夢を描いても

そこに達するまでの努力と苦労を

考えられなかった。

考えたくなかったのかもしれない。

その先、結局楽な方へと逃げるのだ。


いつも、いつだってそう。

だから今回も…。


陽奈「…このまま辞めちゃう…のかな。」


下を見るのも飽きて、

その場でしゃがんで顔を伏せる。

そこで誰かがやってきて

声をかけてくれるなんてことはなかった。

わかってる。

これは現実だって。





***





部活を休んだというのに

何ひとつ有意義な時間を過ごせないまま。

体育館の2階で1時間ほど

ぼうっとしてから学校を出た。

どんよりとした雲を見ては、

もしかしたら今週から梅雨入りを

するかもしれないという

ニュースが流れていたと思い出す。

かと思えば、学校を出て早々

徐々に雨足が強くなり出してしまった。

こういう悲観的になるようなことばかり

物語のように進むものだから嫌になる。


陽奈「…あ、傘…。」


いつも折り畳み傘を

鞄の底に入れてあるはずなのに、

今日に限っては入っていない。

湿気のせいでもしゃもしゃになった

髪を手櫛で解きながら、

なすすべもなく雨雲を見た。


職員室にでも行けば、

忘れ物の傘を貸してはもらえるだろう。

けれど、もちろん私には

職員室にまで行って

声をかけるなんて勇気はない。

秋ちゃんや美月ちゃんであれば

最も簡単にできちゃうんだろうな。


陽奈「…。」


何で私にはできないんだろう。

天気と同じくして

どんどんと暗くなりながら、

雨降られることを選んだ。

これを後悔しないでいることなんて

私には到底無理だ。

自分で選んだことに対して

いつも後悔しているのだから。

だから、美月ちゃんみたいに

自信を持つことはー…。


「あ!」


陽奈「…?」


眼鏡に水滴がつくのを感じながら

下を向いて歩いていたのに、

唐突に声が聞こえてきては

反射的に顔を上げてしまった。

目があったらどうするんだ、

と思うも既に遅く、

その人とはばっちり目があっていた。

透明でビニールの傘ではなく、

僅かにクリーム色の混ざった白色の

あまり見たことない色合いの傘を

差しているのが目に入る。

短い髪の毛先はぴょこぴょこ跳ねている。

けれど、それ以上に

眠そうな目つきが印象に残った。


そこにいたのは、何故だろう、

茉莉ちゃんだったのだ。


茉莉「えーっと…ども。」


陽奈「あ…うん…。」


どうして今更。

何故唐突に。


私自身何もできずにいるのに

向こう側から来てくれることに

感謝と申し訳なさがずんずん募る。

きっと別の人に用事があるのだろうと思い、

その横を通り抜けようとした時だった。


茉莉「待って。」


咄嗟に手を掴まれて腕が張る。

驚きのあまり肩を縮めて硬直している間に

頭上から降り注いでいた雨が止んだ。

否、降り掛からなくなった。

とと、つ、と音響が変化している。

ゆっくりと振り返ると、

私の代わりに雨に濡れている

茉莉ちゃんがいた。


茉莉「…その、風邪ひきますよ。」


陽奈「…で、も…。」


茉莉ちゃんが敬語で

話しているところを見ると、

やはり4月のことは嘘ではなくて、

全くの別人になってしまったのだと実感した。

私たちの1年半は、

18ヶ月は全て無かったことになったのだ。


茉莉「…少し、歩きませんか。」


陽奈「…。」


茉莉「最寄駅まででいいので。」


陽奈「………はい…。」


茉莉「良かった。」


この時茉莉ちゃんが

どんな顔をしていたのか、

私は恐ろしくて見ることができなかった。


少し歩きませんかと誘っただけあって

ほぼ会話は無かった。

話しませんかと誘われていたら

私も断っていただろう。

2人で傘を分け合いながら

雨に背を委ねて歩く。

もし、彼女に記憶が残ったままだったなら

雨鯨の活動で今後何がしたいとか

夢の広がる話をしていたのだろう。

今となっては雨鯨での

活動自体が夢の中のよう。


そういえば、茉莉ちゃんが

高校のところにいたなんて、

私以外に用事があったんじゃないか。

そこにたまたま傘を持ってない

私が通りかかっちゃっただけで

茉莉ちゃんは付き合ってくれている

だけなんじゃないか。


そんな不安が付き纏ってくるけれど、

もちろん私から聞くことはできない。


私の自己肯定感の低さや

自己愛の低さは、

人によってはイライラすると思う。

たったそれだけのことを、どうしてって。

皆、自分ができないことを

理解するのは難しい。

オリンピック選手のインタビューで

どういうことが辛いと言っても

想像することしかできない。

あの大技をどうやってと聞いても

感覚でなんて言われた暁には、

これだから天才はと

理解すらしようとしてもらえない。

生の感情、感触までは理解ができない。


それと同じように、

きっと自分を無意識的に、

感覚的に卑下しているのだと思う。

そして感覚的なものは

理解してもらいづらい。


陽奈「…。」


こんなのは私の子供な意見にすぎない。

私が変われば全て解決するのだから。


茉莉「…。」


2人とも無言で歩く中、

やっとのことで駅が見え始めた。

ちらと彼女の方を覗くと、

相変わらず眠そうな目をしていて

とにかく仏頂面だった。

こんなに近くで茉莉ちゃんの

顔を見たことはなかったな。

何となく気まずくなって

肩が濡れてもいいからと

距離をとったところ、

茉莉ちゃんは何も言わずに

傘をこちら側に傾けた。


ごめん、もありがとう、も言えず

静かに茉莉ちゃんの近くに寄る。

それでも彼女は言葉ひとつ発さなかった。


そうだ。

そうだった。

これが茉莉ちゃんの距離の縮め方だったっけ。


秋ちゃんみたいにがつがつ

仲良くなるのも才能のひとつだし、

ああ、友達なんだなって

実感できることも多い。

話した瞬間から友達になれたような、

境目がはっきりとわかる感じがある。

けれど、茉莉ちゃんは

いつの間にか近くにいる人だった。

濃い時間は、メンバーという点では

確かに過ごしたけれど、

2人きりでどこかに行ったり

話したりするってことは

特段なかった気がする。

それでも、自然と横並びで

歩いているような。


いつの間にか帰る場所に

なっているような。

雨鯨のあの家のような雰囲気を

保ってくれていたのは

茉莉ちゃんだったのかもしれない。


私がじっと見つめていることに

気づいたのかふとこちらを見た。

私はぎょっとしてしまい、

思わず小さな段差に足を引っ掛けた。

茉莉ちゃんの手が伸びてきて、

よろめく私の手を引いてくれたのが

辛うじて分かった。


茉莉「大丈ーーー」


刹那、きいん、と酷く耳鳴りがした。

まるで一瞬でのぼせてしまったかのような

平衡感覚のなさに襲われる。

立てなくなるかと思うほどの

頭痛がするも束の間、

痛みは緩やかに引いていった。

一体何だったのだろうか。

不思議に思ったけれど、

目の前の不安そうな顔をした

茉莉ちゃんを見ていたら、

その心配も不安も一時的に顔を隠した。


茉莉「怪我、ないですか?」


陽奈「………は、い…。」


はっとした時には、

私は変わらず地に足をついていて

ちゃんと立つことができていた。

…雨が降っているし、きっと偏頭痛だろう。

浅く何度かお辞儀をしてから

茉莉ちゃんとは解散して

そそくさと駅のホームに立った。


しとしとと小雨が降り出しては

私たちの頭を濡らす雨。

はっとした時には既に

梅雨の季節へと染まりゆく頃になっていた。

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