第11話 臨時休校

「さて、シン先生。あの場にいて止めなかった私が言うのもおかしな話なのかもしれませんけども、少々やりすぎたのではないでしょうか?」


 立派な黒塗りの机の向こうに座っているマーベルが、ゆっくりと言葉を選ぶように話し出す。


「……すいません。ちょっと派手にやりすぎました」


 それに対して殊勝な態度で頭を下げる元魔王様。

 本人的にはヘルマンの強すぎるプライドをリセットさせるつもりで行ったことであったが、途中で他の学園の生徒たちのことを完全に失念していた。

 それはシンが何らかの被害を起こすつもりが全くなかったという事で、訓練場にいた生徒たちにも良い経験になるだろうと思っての行動だったのだが……。


「ちょっと……ですか。まあ、噂に聞くあなたからしてみたら大したことではないのでしょうが……」


 マーベルは後ろを振り向き、開けてあった窓の外に目をやる。

 正門に向けて歩いていく学生たち。

 門の前には送迎のため為に行列を作っている馬車が並んでいる。


「さすがにこれは学園始まって以来の出来事ですよ……」


 時刻は午前十時を過ぎたところ。

 今日の授業は始まったばかりだったが、生徒たちは友人たちと体を支え合うようにふらふらと帰宅の途に就こうとしていた。

 体調不良者が続出したことが原因で、本日は臨時休校となったのだ。


「本当にすいません……」


 訓練場でヘルマンを含めた生徒たちが気を失う中、教室で授業を受けていた他の生徒たちは、突然上空に出現した炎の姿をした竜に騒然となっていた。

 校舎全体を丸呑み出来る程の巨大な口を開けた竜は、慌てて逃げ出そうとしていた生徒たち目掛けて急降下してきたのだ。実際にその中心にいたのは訓練場のヘルマンだったが、竜の大きさからすれば多少の誤差にしかすぎなかった。

 阿鼻叫喚の飛び交う学園。生徒に限らず、教師すら成す術がなくうろたえるばかりだった。


「今回の事は幻術を発生させる魔道具の誤作動によるものだと通達しましたが、それでも生徒たちのダメージは大きそうです」


 死を覚悟した生徒たちの体長が優れなくなるのも仕方のないことだと思えた。

 そしてマーベルの説教が数分続き、そして――


「――と、ここまでが学園長としてのお説教です。そしてここからは私個人の意見なのですが――」


 そう言うとマーベルは表情を崩す。


「ヘルマン君だけでなく、他の生徒たちにとっても良い教訓になったことでしょう。家の権威や才能だけで人を見下し差別する。それがこれから先の人生においてどれだけの枷になるのか。経験を伴わない言葉や思想がどれだけ軽いものなのか。きっと今回の事で各々が何かを考えるきっかけになったと思いますよ」


「そうだと良いんですけどね。でもちょっと足りなか――」


「シン先生?」


「いえ、教師って難しいですね……」


「人を育てて導くというのは簡単な事ではありませんよ」


 そう言ってマーベルは微笑んで見せた。



 レオンは帰りの馬車の中で今日見たことを思い返して興奮していた。

 彼はあの訓練場にいた生徒の中で最後まで気を失うことなく一部始終を目撃したうちの一人である。

 前かがみに下を俯き、長い赤毛の髪を垂らしている。


「なあ……。お前は今までに死ぬと感じたことはあるか?」


 向かいの席に座る初老の執事に話しかける。

 俯いたままのレオンの顔は髪で隠れていて、どのような表情をしているのか執事には判断出来ない。


「いえ……ございません。ああ、しいて言えば、先日のゴブリンたちとの戦争の折に、帝都を襲った大地震の時くらいでしょうか」


「ああ、あれも中々の恐怖だったな……」


 しかし今日の比にはならないとレオンは思った。

 あれは本当の死だ。生きているが自分は死んだのだ。レオンはそう考えると体の震えが止まらなかった。

 そして屋敷に戻った後も、着替えもせずにベッドに寝転がり、延々とその事を考えていた。


 部屋のドアをノックする音が聞こえ、レオンは意識が現実に引き戻される。


「レオン様。旦那様がお帰りになられました。食事の前にレオン様にお話があるとのことですが」


 入ってきた若い執事が寝ころんだままで顔を向けているレオンにそう告げる。


「分かった。お父上は自分の部屋におられるのか?」


「はい。自室にてお待ちになっておられるとの事でございます」


 すぐに向かおうとしたところで自分が制服のままだったことに気付く。


「すまん。着替えてから向かうと伝えておいてくれ」


「かしこまりました」


 執事にそう言うと、着ていた制服を脱いで部屋着に着替える。

 乱れていた髪にブラシを通し、鏡で身だしなみをチェックして部屋を出る。

 レオンは父親のところへ向かいながら、自分を呼んでまでする話とは何なのだろうと考える。

 父親とは普段は食事の時くらいしか話をしない。その事を考えても、何か大事な要件であることに間違いはない。

 そして頭に浮かんできたのはシンの顔。

 この呼び出しが今日あったことと無関係とは思えない。おそらくはあのシンという教師の事だろう。レオンはそう結論付けた。


「レオンです。失礼します」


 父親の部屋をノックすると、返事を待つことなくドアを開ける。

 礼を欠く行動に思えるが、呼び出された時のみ返事を待つ必要は無いと、この家ではそういうルールを父親が定めていた。あくまで家族間においてのみのルールではあったが。


「おお!レオン!待っていたぞ!」


 部屋の中には赤髪の中年の男が一人。レオンの顔を見るなり嬉しそうな顔で近づいてきた。


「父上?」


 機嫌が良くても仏頂面を崩さない。そんな父親のこれほどまでに緩んだ顔をレオンは初めて見た。

 男はこの屋敷の主であるホフマン伯爵。


「シン殿の授業はどうであった!是非話を聞かせてくれ!」


 子供のように目を輝かせながらレオンの肩を掴んで揺する。


 レオンの父であり――


 帝国の軍務を取り仕切る軍務卿の職を務める男。

 タッソ=ホフマン。


 こう見えて、とても偉い人である。



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