第10話 裁きの獄炎竜

 シンの指から血が流れ落ちる。

 それは糸を引くように地面へと落ちると、僅かな光を放ちながらシンの周囲に円を描き始める。


「貴様……まさか……」


 ヘルマンがその様子を見て声を震わせる。

 円はゆっくりと、ヘルマンに見せつけるかのような丁寧さで二重に、三重に、円周を広げながら魔法陣を創り出していく。


「嘘だ……そんなはずは……」


 本来の術者であるヘルマンには、そのシンの創り出した魔法陣が自分のものと同じだということが理解出来る。エバーハートの血を引く者にしか創造し得ないはずの血界魔法。代々受け継がれてきた秘匿中の秘術。他人が真似ようとして出来ることではないのだ。


「ヘルマン。これはお前の家の者しか使えない魔法だと言っていたが実際は違う」


 尻もちをついたままのヘルマンにシンは語りかける。


「この魔法陣で発動する魔法は術者の魔力を大量に消費し続けるものだ。他の魔法のように発動に必要な魔力だけではなく、行使している間ずっと魔力が使われる。身体強化の魔力と構造的には似たようなもので、消費される魔力はそれとは比較にならない。だからこそ発動後も術者の意思に従って操作することが出来るんだ」


「何を……」


「だからこそエバーハート家の先祖は、自らの血に術式を埋め込み――これはどうやったんだろうね?機会があれば調べてみるけど。まあ、そういうことをして、この術式を成立させることに成功したんだと思う。術者の足りない魔力を魔法に直接組み込み、それを用いて操作する。これは実に理にかなっていると思う。詠唱も不要でこれだけの魔法を個人で発動させることが出来るというのは、まさにエバーハート家の先祖の努力の賜物だね」


「そ、そうだ!それこそが我がエバーハート家が帝国において特別であることの証!!貴様がいくら術式を真似ようとも――」


「でも――」


 魔法陣が完成する。

 シンの姿を包み込むような強烈な光が魔法陣から放たれる。


「あれは真の力ではないね――『Der Drache裁きの des zornigen Gerichts獄炎竜』」


 純白の光が真紅に変わる。

 流れ出る魔力の奔流が唸りを上げる様に天空へと流れていき、その空すらも窮屈だと言わんばかりに暴れ回る。

 それは竜の姿をした紅蓮の炎

 大気を焼きながらもうねりを上げ、畏怖と神々しさを兼ね備えながらも舞う竜の姿に、その場にいた生徒だけではなく、学園長であるマーベルすらも言葉を失う。

 そしてヘルマンの火竜の数倍の大きさにまで成長した極炎竜は、遥か上空からヘルマンを威嚇するように睨みつけた。


「――ヒ、ヒィ!!」


「術式からして、多分これが本来の姿だと思う。今の未熟なお前じゃあ、まだまだ使いこなせてないだよ。いろいろと未熟な、ね」


 シンは情けなく尻を擦りながら下がっていくヘルマンに冷ややかな視線を送る。


「嘘だ……出来るはずがない。だってあれは……我が家の血筋の者にしか……」


「うん。その考えも間違いではないけど――さっき説明したように、エバーハート家の者なら血の補助を受けて発動させることは出来る。逆を言うなら、その補助が必要の無いだけの魔力があれば誰でも使うことは可能ということだ」


 術式さえ分かれば他に使えるだけの魔力を持った者はいるだろうとシンは考える。

 知っている範囲でいえばアッピアデス総師範ジンショウやライアス。術者ではないがエトスタの女傑。

 マリアンの顔が浮かんだ瞬間にシンに悪寒が走ったが、今はそれを気にしている時ではなかった。


「そんな……出来るはずがない……」


 シンの言葉を受け止められないヘルマンは、視点の定まらない目で獄炎竜を見ながらぶつぶつと呟いていた。


「さて、この後どうしたら良いと思う?」


「……え?」


 ヘルマンは何を聞かれているのかという顔でシンへと向く。


「せっかくだから、お前がどうやってこれを防ぐかも見て見たいと思ってるんだけど」


 とんでもないことを言い出すシン。


「防ぐ……。え?それはどういう――」


「自分たちだけしか使えないと言ってたくらいの魔法だから、当然その防ぎ方とかも知ってるんじゃないかな?って」


「――いやいやいや!!そんなわけあるか!!自分が受けるという状況が起こるはずがなかろう!!」


 少しだけペースを取り戻し始めたヘルマン。

 腰は抜かしたままだったが、はっきりとした話し方が出来るようになっていた。


「本当?隠してるんじゃないの?一瞬でぱっと消せる方法とかさ?」


 シンはじぃっとヘルマンの顔を見つめる。


「そんな魔法のようなことが出来るか!!」


 いや、まだ混乱しているようだ。


「信じられないから試してみよう。隠したままだと死んじゃうからね」


「は?貴様……まさか……」


――ゴオォォォォォ!!


 獄炎竜が訓練場目掛けて落下してくる。

 その見えている姿は徐々に大きくなっていき、訓練場どころか、学園全体を飲み込む程の巨大な口を広げて襲い掛かってきた。


「やめ……止めて……」


 恐怖に涙を浮かべるヘルマン。

 世界の終わりのような景色がその涙で滲んでいく。


――ゴゴゴゴオォォォォォ!!


 その視界の全てが炎の赤に染まる。

 しかし恐怖に怯えるヘルマンは気付いていなかった。

 これほどの熱量を持った魔法が近づいているというのに、その体には一切の熱を感じていなかったことを。


「ヒィ!……ごめんなさい。……ごめんなさい!ごめんなさーい!!」


 何にかは分からないが、ヘルマンが謝罪の言葉を叫んだ瞬間――迫っていた獄炎竜の姿が消えた。

 まるで最初から何も無かったかのような青空が訓練場の上空に広がっている。


「……へ?」


 目を見開いて空を見つめるヘルマン。

 自分は死んだのだろうか?そんな考えだけが脳裏に浮かんだ。


「なんてね。これも言っただろ?操作することが出来るって。当然その炎の影響する範囲も調整できるし、こうやって解除することも出来る。今のヘルマン君にはまだ無理だろうけどね――って、あれ?」


 シンの解説が気を失っていたヘルマンの耳に届くことはなかったのだった。



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