第9話 若き貴族の矜持
訓練場全てを覆い尽くす規模の極大魔法が周囲の大気を燃やし尽くしながら降り注ぐ。
龍の姿を模した炎は口を大きく開き、目標であるシン諸共、術者であるヘルマンすらも飲み込もうとしている。
「死ねぇぇぇぇ!!」
血走った目で狂気に囚われたかのように叫ぶヘルマン。
そこに自らの死に対する恐怖はすでになく、己がプライドを守る為だけにシンの命を奪うことにのみ執着していた。
だがシンは知っていた。それは決して命を賭した覚悟などという立派なものでは無いことを。
だからこそシンは伝えなければならなかった。そんなくだらない妄想に軽々しく命を賭けてはいけないということを。
『
摂氏マイナス273.15度。
それは全ての分子の運動が停止する温度。
物理的な分子の存在しない魔力による魔法においてはその限りではないが、ヘルマンの結界魔法にはヘルマン自身の――先祖から連なる血に刻み込まれた魔力刻印によって発動されている為、少なからずの分子を全体に含んでいた。
迫っていた火竜の下顎から一気に顔へ、そして首から連なる全身へと凍り付いていく。
シンの扱う『absolute zero』シリーズの中でも、最も冷たく深い冥府の川の名を授けられたコキュートスは、その名の通りに巨大な火竜の体を長く冷たい凍てつく大河へと変えた。
『砕けろ』
その声に凍り付いても落下を続ける竜の氷像は、まさに分子レベルにまで分解されたかの如くに砕け散り、微細なまでの氷の結晶は差し込む陽の光を受けて眩しく輝きながら訓練場に降り注いだ。
「ア……アァ……」
現実離れした光景に思考が全く追いつかないヘルマンは目を見開き、口をわなわなと震えさせながら空を見上げていた。
そんな何が起こったのかの整理すらつかない思考では、自分の命が助かったことにすら気付くことは出来ていない。
「な……なんなの?私は夢を見ているの?」
生徒たちの中で唯一顔を伏せることなく一部始終を見ていたティアが呟く。
「あれが今日から君たちの担任になるシン先生ですよ」
いつの間にか隣に来ていたマーブルが視線を訓練場に向けたままでティアにそう言った。
「あれが……私たちの担任……。本当にあれは人間なの?」
ティアが驚きの視線を向ける中、シンは呆然としているヘルマンに話しかける。
「ヘルマン」
「――!?」
急に名前を呼ばれたヘルマンは我に返り、はっとした顔でシンの方を見る。
「貴様……何をしたのだ……」
「俺が今何をしたのかは、ここでお前に説明しても理解出来っこないから置いといてだな。それよりもお前が今何をしたかの方が重要だと思わないか?」
「俺が何をしたか、だと?知れたこと!貴様を焼き殺そうとしたに決まっているではないか!!」
「自分も死んでただろ?」
「それがどうした!貴様のような者に何が分かる!これこそが貴族として!大公家の者としての誇りだ!!」
「他のクラスメイトや学園長を巻き込んででも?」
「ああ!あいつらも貴族の末席に籍を置く者たちだ!その気持ちは俺と変わらん!」
「そうかな?見て見ろよ」
シンはそう言うとスタンドにいる生徒たちの方へ視線を送る。
「な……なんだお前たち!」
生徒たちの視線はヘリオスに注がれており、その視線は冷たく、殺されかけたことへの怒りすら浮かべている者もいた。
「そんな目で俺を見るな!貴様らには貴族としての誇りが無いのか!!」
「ヘリオス。お前のそれは誰の意見だ?」
「――な、何を」
「お前はこれまでに命を賭けた場面に遭遇したことがあるのか?自らの手で誰かを殺めたことは?目の前で大切な誰かを失ったことは?」
「そ、そんなものあるわけなかろう!俺はエバーハート家の嫡子だぞ!そのような危険な目に遭うはずがなかろう!」
「ではお前の言う貴族の誇りというのは、お前自身の考えじゃないね。誰かがそう言っていた。何かにそう書かれていた。貴族とはそういうものだとみんなが言っている。そんなものに命を賭けるのはお前の勝手だけど、それに巻き込まれる奴は気の毒だとは思わないか?お前の言っている事は自分の意思の無い薄っぺらな自己満足にすぎないんだよ」
「うるさいうるさいうるさい!!貴様如きが俺に説教などするなー!!」
ヘルマンの指先から血が流れ出し、その足元に再び魔法陣が描かれ始める。
「お前の残っている魔力じゃあ、もうさっきのは無理だぞ?」
「黙れ黙れ黙れ!!」
「こじらせすぎだ……。あの爺さんに今度会った時に文句言ってやる」
『Der Drache des zornigen――!?』
ヘルマンが火竜の名を呼び終える寸前、その目の前に突然シンの姿が現れた。
そしてその足下の魔法陣を踏みつける。
「――ガアッ!!」
踏まれた魔法陣は砕ける様に破壊され、その衝撃を受けたヘルマンの体が吹き飛ばされる。
「こんな血界魔法だなんて大層なものを受け継いだから余計にこじらせたのかもな」
他の者と違うということは、時に自分の能力を過剰に判断させ、他の者を見下す特権意識を生み出す。
大公家の嫡男として生まれ、自分だけが受け継ぐことが出来た秘術を持ったヘルマンが、間違ってそう育ってしまっていても不思議ではないとシンは思った。
――まずはその一つを壊しておくか。
シンは先刻ヘルマンがしたのと同じように、自身の右手親指に歯を当てた。
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