第3話 貴族の駆け引き
大広間の角に設置されていたソファーに、テーブルを挟んだ形で座るシンとクレスト。
二人が座ると、給仕がチーズと生ハムの乗った皿と、グラスに入った赤ワインを運んできて、二人の前に置いて去っていった。
「魔道具、ですか?」
シンが周囲を見回しながらそう言う。
この一角に足を踏み入れた瞬間に聞こえていた雑踏が消え、まるで広間に誰もいないかのような静寂が周囲を包み込んでいた。
「ご明察の通りです」
クレストはそう言うと、テーブルの隅に置いてあったオルゴールのような小箱を手に取った。
「これで周囲との音を遮断しております。ですので、ここでの会話が外に漏れることはございません。まあ、キナミ殿でしたら何とかしてしまいそうではありますが」
「いやいや、わざわざそんなことはしませんよ」
「しない、ですか」
「ええ、しません」
シンのその反応に満足したのか、クレストは僅かに微笑んで小箱を元の位置へと戻した。
「ここまでのことをしてということは、何か重要なお話が?」
シンはテーブルのチーズを手に取りながらクレストを促す。
「いえ、実はそれほど重要な事、というわけではないのですよ。これはまあ……」
クレストはそう言うと広間の方に目をやる。
シンもそれに引きずられるかのように後ろを向くと、チラチラとこちらを伺っている者が何名かいた。
おそらくは全員が会話の内容を気にしてはいるのだろう。
「成程、ここで会話をするということが大事なんですね」
「その通りです。それだけで我々の親密さをアピール出来ますからな。アハハハハ」
そう言って陽気に笑うクレスト。
「一応この場に来ている者たちは我が家の派閥の貴族たちだけですが、おそらくは他の派閥の者に今日の事を話す者が出てくるでしょう」
「口外しないようには言わないんですか?」
「必要無いでしょう?これから話すことは特段重要な話では無いのですから」
――成程、これが貴族のやり方ってことね。
シンはクレストにしてやられたと思った。
これでシンがどう言い訳しようと、キナミ家はエバーハート大公家と親交があるという噂が広まる。
そもそも他の貴族家の夜会を断って来ているのだから、実は前から親交があったと思われても不思議ではない。
「私は別にどこの派閥と仲良くするとかってつもりは無いんですけどね」
「キナミ殿がそのように思われていても、他の貴族たちはどうにかしてあなたを自分たちの味方に付けようと画策するでしょう。そしてよからぬことを考える輩が出てこないとも限りません」
「それはフルークさん――うちの執事にも同じことを言われました」
「フルーク……確か宮廷で働いていた執事ですな。その者ならば、貴族社会がどのようなものかよく知っているでしょう」
「でも、そういうことがバレたら、家が取り潰されて極刑になるって言ってましたよ」
「その通りです。キナミ殿は他国の貴族とはいえ、この帝国に屋敷を持ち、皇帝陛下の信頼も厚い方。そして養子とはいえど、お子様もいらっしゃいますし、ご自身は独身でいらっしゃる。更には先の大戦においての英雄とくれば、多少の危険を冒してでも――そう考える者が出てきたとしても不思議ではありますまい。キナミ殿が味方につけば、家が取り潰されることも、極刑になることも回避できますからな」
「……そう上手くいくでしょうか?」
「無理でしょう」
シンの質問にクレストは当然とばかりに答えた。
「キナミ殿はおろか、ご子息や従者、果ては使用人に至るまで、あなたの関係者の誰かを人質にして言う事をきかすなど叶うはずもありますまい?まさに暴挙としか言いようのない行動ですな」
そのことを一番理解しているのはシン自身である。
だからといって、煩わしい誘いを力づくで解決することも出来ないので、こうしてここに来ているのだ。
「それでもその暴挙に出る者が出てくると考えているんですか?」
それこそ自殺行為ではないかとシンは考える。
当然、シンが自らの手で人を殺めようとは考えていなかったが、少なくとも法に則った処罰は受けて然るべきであるとは思っている。
「出てくる可能性は十分にありますな。ほとんどの者はキナミ殿の力がどのようなものか理解しておりません。とても貴重な魔道具を各国に配り、自身もそれなりの強さを持ち合わせている。その程度の理解でしょう」
そう言われてシンはゴブリンキングの軍勢が侵攻してきた時のことを思い返す。
確かに多くのゴブリンを倒してはいたが、よくよく考えれば、それは全て他国に侵攻してきたゴブリンであった。
その情報は当然帝国の貴族の耳にも入っていたのだが、それは「他国の軍と協力して撃破した」という、あながち間違ってはいない話として伝わっていた。
「私、この国では大したことしてませんね……」
「いえいえ、ギャバンでの英雄譚は十分に大したことですぞ。しかしそれでも敵の強さを理解していない帝都貴族は大勢おりますからな。その者たちが馬鹿な考えを起こして極刑にされる。そういう悲劇を防ぎたいのですよ」
「そうですよ…ね……。ん?え?そっちの心配ですか!?」
――何か最近似たような事を言われたな……。
「もちろんです。先ほども言いましたが、あなた方に何らかの被害が出るなどとは全く考えておりません。心配しているのは、今は普通に暮らしている貴族たちが、誤った道に進まないか、ということです」
クレストの顔は至って真剣な表情だったが、それが余計にシンの心にダメージを与えていた。
「一応、精神的には被害が出るんですけどねえ……」
「はっはっはっ!またまた御冗談を!」
クレストの中でのシンのイメージが、おそらくは他の者とはまた違ったものであるのだろうと、その屈託なく笑う姿を見て溜息をつくシンであった。
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