ジャンヌの葛藤 3

 更にどれだけの時間を歩いていたのだろう。

 周囲はすっかり暗くなり、建物から漏れ出る明かりだけがジャンヌの歩く道を照らしていた。


「……た。……え、……たって」


 ぼんやりと歩くジャンヌの耳に誰かの声が聞こえる。


「ねえ、あんたってば!」


 その声と同時に肩を掴まれて、ようやくそれが自分に向けられていた声だったのだとジャンヌは気付いた。


「え……?」


 振り向くとそこには女の姿があった。

 ジャンヌよりも背の高い、すらっとした体形の若い女。

 紫色をした露出の多いドレスを着て、濃いめの化粧に長い黒髪。


「私ですか?」


 ジャンヌは感情のこもっていない声でそう返事をした。


「私ですかって……あんた以外に誰がいるっていうのよ……」


 女は呆れたようにそう返す。


「あんた、こんなとこで一人で何してるの?親は?」


 こんなとこと言われて、ジャンヌはゆっくりと周囲を見回す。

 近くの少し古びた建物からは賑やかな声が聞こえており、どうやら飲み屋なのだろうと思った。

 他の建物も同様で、冒険者風の男たちが入っていく姿があった。


「ここは……」


「ここはエクセルの……まあ、あんたが一人で来るような場所じゃないことは確かさ」


 女は言葉を濁しながらそう答えた。


「で、あんたは何でこんなとこを一人で歩いてんのさ。迷子かい?」


「迷子……。そうかもしれませんね……」


 ジャンヌは顔を伏せたままでそう呟くように言った。


「ふう……。見たところ良いとこのお嬢様って感じだし、大方親と喧嘩して家を飛び出したってとこかい?悪いことは言わないよ。こんなとこにいないで早く家に帰りな」


「家に……。帰るところなんて……無いんです……」


 そう言って肩を震わせるジャンヌ。


「ああー!!泣かないでおくれよ!!まるで私があんたを泣かせたみたいじゃないかい!!ちょっとこっち来な!!」


 女はそう言うと目の前にある店の入り口へとジャンヌを連れていった。


「私の店だよ。入んな」


 扉を開けてジャンヌを中へと招き入れる。

 初対面の相手ではあったが、ジャンヌは何故かその強引なまでの誘いを断ることが出来なかった。


「おっ、リビアン。その子は新入りか?」


 中はそれほど広くはなく、四人が座れるカウンターと、テーブル席が二つだけあった。

 そのカウンターに座っていた中年の男がジャンヌを見て面白そうにそう言った。


「馬鹿!違うに決まってんだろ!カレン、もうしばらく店の方を頼むよ。ここはうるさいのがいるから奥に行くよ」


 カウンターで客の相手をしていた若い女にそう声をかけると、リビアンはジャンヌの手を引いて店の奥へと連れていった。



「まあ座んなよ」


 こじんまりとした部屋には、小さなテーブルと椅子が二つ。

 奥には窓際に机が一つあるだけの飾り気のない部屋。


「悪いね。うちはジュースとか置いてないからさ」


 そう言って、木のグラスに入った水をジャンヌの前に置いた。


「少しは落ち着いたかい?」


 水を一口飲んだジャンヌは、自分が喉が渇いていたことにすら意識が無かったことに気付いた。


「はい……。ありがとうございます……」


「水くらいで礼を言うもんじゃないよ。で、落ち着いたなら話してくれるかい?どうしてこんな場所にいたんだい?」


「……歩いていて……気付いたらここに」


「親は?」


「両親は死にました……。ギャバンの街がゴブリンに襲われた時に……私を庇って……」


 リビアンはギャバンと聞いてはっとした。


「すまないね……。嫌な事を聞いちまった」


 ギャバンの街がゴブリンの群に襲われて多くの人が犠牲になったという話は、ここエクセルだけではなく、すでに大陸中に広まっていることだった。


「じゃあ、あんたは孤児か。ここの孤児院から逃げてきたのかい?」


「……いえ、違います」


「じゃあ、ここに住んでる親戚のところかい?」


「……いえ」


 話したくないことなのか、話せないことなのか。

 リビアンは判断に迷っていた。

 それはジャンヌの着ている服や手入れされた髪。

 それはどう見ても普通の孤児のものとは到底思えなかったからだ。


 ――厄介なのを拾っちまったかねえ。


 リビアンが最も危惧しているのは、ジャンヌがどこかの貴族に買われていた可能性。

 この国では奴隷制度は無いが、隠れて奴隷を所持している貴族がいるという噂をリビアンは聞いていた。

 ジャンヌの恰好を見ても、とても大事にされているのが分かる。

 ならばこの子は、その貴族にとっても大切な相手なのだろう。

 もしもこの子を捜しに来ていた者がこの状況を見たならば、自分が誘拐してきたと捉えられてもおかしくはない。


 ――だからって放り出すのもねえ。


 再び黙って俯いてしまったジャンヌを見ながら、心の中で溜息をつくリビアンだった。



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