第42話 世界で一番安全な場所、その理由
「こっちです!慌てないでついてきてください!」
ジャンヌの誘導の下、近隣住民がキナミ栄誉貴族爵パルブライト帝国別邸の敷地内へと向かう。
取るものも取らずに避難していく人々の表情には、はっきりとした不安の色が浮かんでいた。
エクセルの街には戒厳令が敷かれており、巡回警備をしている兵士たち以外の住民は全て建物の中に避難していたのだが、現在は先ほどの強い揺れを受けて家屋から飛び出してきた住民たちで軽いパニック状態となっていた。
フェルト、ジャンヌ、ロイドの三人は避難誘導を、子供たち三人と屋敷の使用人たちは避難してきた人たちの対応に当たっていた。
敷地に張られている結界内にさえ入ってしまえば、屋敷内だろうと庭だろうと大した差は無い。それならば、広大な敷地を持つキナミ邸に避難できる人数はかなりの数になるだろう。
それでも――
――何も無ければそれが一番良いのだけど。
ジャンヌはそう思いながら住民たちに声をかけ続けていた。
「――!!皆さん!避けて!道を空けてください!!」
ジャンヌはついてきていた人たちに大声で指示を出す。
すぐに聞こえてくる馬蹄の音。
壁際に避けた人たちのすぐ横を武装した騎士たちが駆け抜けていく。
――警備兵……じゃない?どこかの貴族の私兵かしら?
多くの貴族邸のあるエクセルには、それぞれの貴族が若干名の警護のための私兵を所持していた。
この戦況下において帝都内にいる騎士といえば、戦闘に参加していない貴族の私兵しか考えられなかった。
自分の領地にいる兵たちを配下の将に任せて、領主本人はエクセルに避難してきている貴族も少なくはない。
兵を率いる才が全ての貴族にあるというわけではないので、その事はユリウスも承認していた。
駆け抜けていった騎士の数は約三十騎ほど。その中には一人だけ貴族然とした中年の男の姿があった。
向かっている先にはキナミ邸がある。
自分の屋敷に閉じこもっているよりも安全だと思って逃げ込もうとしているのか?
ジャンヌはそう考えて人々の誘導を再開した。
「どけー!!どけどけー!!」
キナミ邸の正門前にはフェルトとロイドに誘導されて集まってきていた人たちがちょうど敷地へと入ろうとしていたところだった。
そこへ向けて駆けてくる騎馬の群。その先頭の騎士が叫びながら駆けてくる。
「皆さん急いで屋敷の中に!!」
ロイドはその様子に異常を感じ、慌てて皆を敷地内へと誘導する。
フェルトはその様子を確認しながら道の中央へと進み、向かってくる騎馬たちを正面から迎える位置へと移動した。
騎馬たちはフェルトのすぐ近くまできて止まり、先頭にいた騎士が不審そうな目でフェルトを見た。
「何者だ!邪魔をするならば斬る!!」
明らかに殺気立っている騎士の様子にフェルトは考えを巡らせていく。
「これは失礼をいたしました。私はロバリーハート国キナミ栄誉貴族爵様の筆頭執事をいたしておりますフェルトと申します。そちらはどちらかの貴族様の騎士様かと思いますが、当館に何か御用がおありでしょうか?」
あくまでも丁寧に対応していくフェルト。
「筆頭執事?貴様のような小僧がか?はっ!所詮は辺境国の貴族だな。こんな小僧を執事に雇っているのだからな!」
嘲るように言い放つ騎士。
それでもフェルトの表情は変わらない。
「お前がキナミ栄誉貴族爵様の執事か?」
騎士たちの間を抜けて一人の中年の男がフェルトの前へと進み出てきた。
病的に見えるほどに白い肌。肩まで伸びた長い髪。細く切れ上がった目元が神経質そうに見える男。
「私はスティエと申す。スティエ子爵家の当主をしておる」
見た目には若干そぐわない高い声でそうフェルトに告げた。
「お前も先の地震を知っておろう?キナミ邸は帝都内で最も安全な場所と聞いておる。それゆえ我らもそちらへ避難させてもらおうと駆け付けたのだ。文句はないだろうな?」
細い目をやや開いてフェルトを睨むようなスティエ。
「もちろん文句などございません。見ての通り我らも近隣住民の方を避難させていたところでございます。そこに身分などございませんので、スティエ子爵様が当館へ来られることを歓迎いたします」
そう言うと慇懃なまでに頭を下げた。
「そうか、では入らせてもらうぞ」
スティエはそう言うと後ろの騎士たちに合図を送る。
「ああ、子爵様。一つだけよろしいでしょうか?」
「――なんだ?」
動き出そうとした瞬間に声をかけられ、慌てて手綱を引くスティエ。
「見たところ来られているのは騎士様だけのご様子ですが、他のご家族や使用人の方はいらっしゃらないのでしょうか?」
「……馬に乗れぬものは後から来る。まずは先に我らが栄誉爵様に受け入れていただけるかの確認に参ったのだ」
「……そうでございましたか」
「もう良いか?」
「ええ、これは失礼をいたしました。どうぞ敷地へとお入りくださいませ」
フェルトは頭を下げてそう言うと、スティエらの騎馬は正門に向けて進みだした。
「入ることが出来れば――ですけども」
フェルトが誰にも聞こえないような声でそう呟くと、正門の方から騎士の悲鳴が聞こえた。
「ガアッ!!」
全身に雷を受けたような衝撃を受けた騎士が弾け飛ぶ。
地面に落ちた際にガチャンという鎧の金属音が響き、それに驚いた他の馬たちが立ち止まっっていた。
「なんだ!?どうした!!」
スティエも立ち上がりかけた馬をなだめ、すぐ前を行く騎士に向けて叫ぶ。
「わ、分かりません!!突然あいつが何かに攻撃を受けたかのように……」
そう答えながら送った視線の先で倒れて動かない騎士。
騎士の乗っていた馬だけは敷地内へと入っていた。
「これはこれは、どちら様でいらっしゃいますでしょうか?」
侵入してきた馬の手綱を掴んでなだめながらフルークがスティエへと声をかけた。
「……私はスティエ子爵である。此度はキナミ栄誉爵様の庇護を受けるべく参った」
若く見えるフェルトとは違い、今スティエが対峙している老人は、明らかに執事らしい風貌をしており、その落ち着いた口調には貴族相手にも臆さぬという自信が感じ取れた。
「そうでございましたか。ではどうぞお入りくださいませ」
フルークも先ほどのフェルトと同じように丁寧に頭を下げてそう言った。
「そうか……しかし、そこの者が何かしらの力によって侵入を阻まれたのだが、我らは大丈夫なのであろうな?」
「おお、そうでございましたか。それでこの馬のみが敷地へ入ってきたと」
「じゃあ、おじさんたちはお父様の敵なんだ?」
「――!!」
スティエは突然騎馬の足元付近から声をかけられて驚きのあまり落馬しそうになった。
何とか落馬は免れたが、慌てて体勢を整えながらその声の主の方を見ると、それはまだ幼い少年だった。
「ああ、ルイス様。いつの間にそんなところに。危ないですからお戻りくださいませ」
「お前は……誰だ?いつからそこにいたのだ?」
突然のルイスの出現に驚いたスティエだったが、それが子供だと分かると幾分警戒を解いたようだった。
「その方はキナミ栄誉爵様のご子息のルイス様でございます」
フルークは言葉とは裏腹に、全く心配している様子もなくそう答えた。
「この子供が……」
「ねえフルークさん。この人たちどうするの?」
驚きの目で見るスティエをよそに、ルイスはフルークへと声をかける。
「そうでございますねえ。私と致しましては、避難されるというのであれば受け入れることはやぶさかではないのですが、子爵様が入ることが出来ないというのであれば……」
「ま、まて!どういうことだ?!先ほどは受け入れると言ったではないか!!」
「だっておじさんたちは敵なんでしょ?だったら入れないよ?」
ルイスは無邪気な笑みを浮かべながらそう言った。
「先ほどから何を言っておる!我らは敵などではない!」
「スティエ子爵様」
「な、なんだ?!」
「この屋敷に張られている結界は、旦那様の指定した者に危害を加える意思のある者は入れないようになっております」
「な――?!」
「あの騎士さんが入れなかったってことは、おじさんたちみんなが敵ってことでしょ?」
「いや!そのようなことは――」
「誰に唆されたんでしょうかねぇ?」
その声の主は先程自分たちを見送ったはずのフェルト。
スティエが振り向くと後ろにいたはずの騎士たちの姿はなく、そこには無人の馬だけが立っていた。
いつの間にかスティエを護る騎士は一人のみ。
全く状況の理解出来ないスティエはただ騎馬の上で震えるのみだった。
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