第30話 師範としての矜持
パルブライトへゴブリン軍が迫っていたことはシンにも連絡が入っていた。
これはシンやユリウスが想定していたというよりも、そう相手を動かす為にわざわざシンが最遠方であるアーメットに向かったのだ。
ゴブリンキングはシンがパルブライトを本拠地としていることを突き止めているだろうという想定の下で立てた作戦。敵の本隊を最も戦力の集中しているパルブライトへと向ける為。そしてあわよくばゴブリンキング自身を引きずり出そうという考えの下で行われたものであった。
ただ一つシンたちにとっての誤算だったのは、不要な追撃をしたことで後方を詰める予定だったバスラットの兵士たちが全滅してしまったことだった。
アーメットからパルブライトまでシンの飛行速度で約二日。
シンが到着前にキングが現れた場合は王都に避難するように伝えてある。少なくとも王都を護る障壁であれば、シンが戻るまで耐えることが出来るはずだと。そして出てこない場合は、ユリウスの判断に任せてあった。
この世界で出来た家族。それを護る為に、敢えて危険に晒す判断をしたシン。
万が一にも作戦の失敗は許されなかった。
「ぐっ!!――ガアッ!!」
全力で張った障壁は一撃で破られ、その拳はガードした腕を強烈に打ち付けた。
そして弾き飛ばされた体は何度も大地に弾むように転がった。
腕の痛みに耐えて瞬時に起き上がり体勢を整える。
その
構え直した彼の目の前に瞬時に間合いを詰めてきた――ゴブリンジェネラル。
反射的に痛めた右腕で正拳突きを繰り出したが、その拳は難なく受け止められ、逆に強烈な膝蹴りを食らって再び吹き飛んだ。
喉元まで熱いものが込み上げてきたが、何とか吐き出すことなく耐えた。
今のであばらが何本か逝ったことを感じる。両腕の骨もヒビくらいは入っているだろう。
それでも退くことは出来ない。この金糸雀色の袈裟を着るということは、決して敗北することを許されないという覚悟の現れ。
歯を食いしばり立ち上がる。
遠くに見えるゴブリンジェネラルは余裕を見せているのか追撃を仕掛けてこずにじっとこちらを見ていた。
その顔にうっすらとした侮辱の笑みを浮かべながら。
しかしそんな挑発に乗るような修行はしてきていない。彼らはどんな時でも冷静さを失うことはない。
レギュラリティ教アッピアデスが師範、ブリッツ・エクドナール――その太い眉をぎゅっとひそめ、
ファーディナント南部ベルーガ地方。
苦戦を続けていたハダル軍は、ようやく訪れた援軍によって絶体絶命の危機を辛うじて回避することに成功していた。
最も脅威であったジェネラルの攻撃が急に収まったのだ。
援軍と思わしき軍影は見えない。しかし、ハダルはそれが援軍の到着であると感じ、この機を逃すまいと一斉攻勢に転じていた。
それでもまだロードが三体に、自軍の対峙するゴブリンも三十万は残っている。
シンより渡されていた魔道具も底を突きた今、現在張られている障壁が破壊されるよりも早くロードとジェネラルを片付けなければならない。
ジェネラルの攻撃が収まったからといって、まだ予断の許されない状況は続いていた。
大地を蹴って高速で移動を続けるブリッツ。
しかしジェネラルはその速度に難なく追いつき、腕を掴んで地面へと投げつける。
「ガハッ!!」
叩きつけられた衝撃で肺の中の空気が全て吐き出されたような感覚。
それでも立ち上がるブリッツを見て、ジェネラルは嬉しそうにニヤリと笑った。
ブリッツとジェネラルとの戦闘が始まってまだ数分しか経っていなかったが、すでにブリッツの身体で無事なところは無いというくらいにボロボロになっていた。
それでもジェネラルはトドメを刺そうとはしてこない。最初からずっと肉弾戦でブリッツと戦っているのだ。
何故そんなことをするのかブリッツには理解出来なかった。しかしこの状況は、ブリッツにとってもファーディナント軍にとっても好都合といえる状況でもあった。
「モットダ、モットオマエノスベテヲミセロ」
ふいにジェネラルがしゃべり出す。まさかゴブリンが言葉を話すとは思ってもいなかったブリッツは動揺した。
「貴様…言葉を……」
「オマエノウゴキハオモシロイ。モットミセロ」
ジェネラルの言葉の意味を理解したブリッツは戦慄を覚えた。
このゴブリンは自分と戦っているつもりはない。自分の動きを学習するためにわざと死なないようにいたぶっているのだと。
そして同時に激しい怒りが湧きあがってくる。常に冷静であろうと修行を積み、師範の座についたブリッツが初めて覚える怒りの感情。
それは自分を侮辱されたことではなく、先代が血の滲むような思いで作り上げてきた自らの流派を侮辱されたことへの怒り。
酸素を全身に巡らせるように大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
同時に残る魔力を深く深く練り、その全てを丹田に集中させていく。
わずかに張られていた魔力障壁に回していた魔力すらも全てつぎ込み、防御を捨てての一撃に賭けた。
『
極限まで密度の高められた魔力がブリッツの両腕、両脚に宿る。
『
踏み込んだ大地が抉れ、ブリッツの身体は音速を超える速度でジェネラルへと迫る。
そして大気を引き裂く左の正拳。
その限界まで引き出された高速の拳でさえジェネラルは受け止めようとする。
しかしその左拳はジェネラルが受け止める直前で引き戻され、ほぼそれと同時に更に一歩踏み込んで繰り出される右の正拳。
自らの拳激を撃ち抜くように放たれた正拳は、ブリッツの魔力が二重に乗った至高の一撃。
強固な岩盤すらも穿ち、その全てを粉々に破壊する究極の一撃。
受け止めようとしたジェネラルの手を弾き飛ばし、そのまま鳩尾へと直撃した。
吹き飛ぶジェネラル。
遅れて発生した衝撃波がパンッ!!と大きな音を立てて周囲に強風を巻き起こした。
全てを出し尽くして膝をつくブリッツ。
無理をしたその身体は、すでに立つことも出来ないような状態となっていた。
大きく肩で息をし、声を出すことも出来ないブリッツ。
「ソレで…ゼンブカ?」
そんなブリッツの目の前にいつの間にか立っていたジェネラル。
その身体にはダメージらしき形跡は見て取れなかった。
ブリッツの心に過ったのは絶望ではなく悔しさ。
自分の力が及ばなかったことへの残痕の念。
それでも最後まで諦めることなく立ち上がろうとする。
「モウ…イイ……オマエは…イラナイ…」
ジェネラルはブリッツに興味を無くしたかのように、先ほどまで浮かんでいた笑みはすでに消えていた。
不要になったブリッツにトドメを刺さんとピクリと動いた――瞬間。
鈍い音と共に、ジェネラルの姿はブリッツの目の前から消えていた。
「セーフ!ギリッギリセーフ!!」
視界の霞んでいたブリッツの耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
数か月前まで共に過ごした仲間とも呼べる人の声。
異世界より現れて、自分たちの常識を次々と覆していった愛すべき友人。
「シン…どの……おそい…です…よ…」
「ブリッツさん大…丈夫……って感じには見えないよね……はは…」
「い…え……たった…いま…だい…じょうぶに…なりまし……た……」
「ま、まあ…生きてるなら大丈夫…か。ああ、すぐ回復するからしゃべらな――」
そんな会話をしている二人の背後からジェネラルが蹴りを放ってきた。
それはたった今自分が食らったのと全く同じ動きの攻撃。
しかしその蹴りを何事もないように受け止めるシン。
そしてそのまま掴んだ足を振り回して放り投げた。
空中でくるりと回転して着地するジェネラル。
その顔にはブリッツに向けていたのと同じ、いや――それ以上の笑みを浮かべていた。
「オマエも…ミセロ……ゼンブ…オレに…ミセロ……」
新しい玩具を見つけた子供のような無邪気な笑みを浮かべて、何も知らないジェネラルは自ら死地へと踏み込んでいった。
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