第20話 超越する厄災

 深く不快な瘴気と暗闇に包まれた空間にゴブリンキングはいた。

 世界から隔絶された場所で、誰にも悟られずに時が満ちるのを待っていた。

 この短期間で進化ともいえるほどの大幅な成長を遂げ、抑えきれずに全身から漏れ出す紫煙のような魔力の輝きによって、ぼんやりとした巨大な輪郭が闇の中に浮かんでいる。


 ――やはり来たか。


 ゴブリンキングはエトスタ王国の地において、自らの配下たちが全滅したことを感じ取っていた。


 ギャバンを襲撃させた部隊が謎の敵によって全滅させられた。おそらくはソイツが自分の計画にとって最大の障害になると感じたゴブリンキングは、今以上の力を蓄える為に闇へと潜伏した。

 その間も絶え間なく注ぎ込まれてくる魔力。その魔力によって強まっていく己の力。そしてそれは同時に餌としての人間を求める飢えと欲求を強めることにもなった。

 その欲求が限界を迎えようかという時、ゴブリンキングはついに行動を起こす決断をした。


 まず第一にやらなければいけないことははっきりとしていた。

 謎の敵の正体と、その力の全貌の把握。

 手始めにギャバンよりも出来るだけ離れた場所をゴブリンたちに襲わせることにした。そして、その数百万。前回よりも数段レベルアップしたゴブリンキングにとってみれば、たとえ失おうとも痛くも痒くもない数。

 しかし、それだけの数がいれば、前菜程度の人間は確保できるだろうと考えた。

 目標はマズル共和国東部。ランディアス山脈側から攻め込ませる。

 もしも強い抵抗を受けるようならば、そのまま北上してエトスタ王国の街を襲わせる。早い時期に鎮圧されてしまっては意味が無いからだ。ゴブリンたちは少なからずの時間を稼がなければならない。

 謎の敵は現れるのか?現れるとすれば、それまでにどの程度の時間がかかるのか?

 今回のマズル、エトスタ襲撃は謎の敵――シンを表に誘き出すことがゴブリンキングの目的だった。


 そしてその目的は達せられた。

 前回とは違い、魔力を共有しているゴブリンたちを通して、戦場の全てを監視し続けていた。


 マズル軍との戦い。エトスタ軍との戦い。そして――謎の敵であったシンを補足した。


 シンの到着から僅かの間に全てのゴブリンは駆逐された。

 それに対してゴブリンキングは何の感傷もない。役目を終えたのだから、その後はどうなろうと興味はなかった。

 むしろ今の彼の中にある感情は喜び。


 ――人間の軍は思っていたよりも数で押せそうだな。

 ――何人かの強者はいたが、ジェネラルで事足りるだろう。


 同時に観測していたのは人類の戦力。

 下級のゴブリンでは数がいてもどうにもならないと思っていたが、予想外に敵の戦力を削ることが出来た。

 そしてその中にいたホワイトやマリアンのような頭一つ二つ抜けた人間の存在。あの場にいた最高戦力だった者たちでさえも、今の自分の持つ配下の力が上だと感じた。

 そしてシン。

 一瞬にして数十万のゴブリンを焼き払った、かつての自分では敵わないと感じた謎の人間。


 ――上回ったぞ!!今の我ならばあの者に後れをとることなどありえぬ!!


 空間が歪むほどの咆哮を上げて立ち上がるゴブリンキング。


 待ちかねていた時はようやく満ちた。

 彼が何者であっても自分の障害になりえないという確信が、ついにゴブリンキングを動かすことになった。




「では此度の援軍、エトスタ王国国王テュネス三世が心より感謝すると、ユリウス皇帝陛下にお伝え願います」


 テュネスはシンにそう言って頭を下げた。


「分かりました。必ずお伝えしますね」


 シンの返答は丁寧ではあるが、この世界においては一冒険者が王族に対して使うものではない。

 だが、周囲にいた誰もそのことを気にしている様子はなかった。

 それどころか、他の者も王にならうかのように頭を下げた。


「なああんた。さっきは悪かったな」


 そんな中、マリアンだけがシンへと近づいてきた。


「気にしないで良いですよ。誰でも勘違いすることはありますから」


「勘違い――ね。それで殺されそうになったってのに寛大なこったねえ」


 呆れたような様子のマリアン。

 すでにシンに対する敵意はどこにも感じなかった。


「戦場ですからね。みんな常に殺されかけてるでしょう?」


 シンはそんなおかしな理屈を持ち出してくる。

 実際には殺されるようなことにはなっていなかったシンにしてみれば、マリアンを納得させる理由が他に思いつかなかった。


「ハハハッ!違いねえ!!」


 しかし武闘派のマリアンには、それでも通じる理由だったようだ。

 それを聞いていた周囲の者は、会話の流れがイマイチ理解出来ずにいた。


「あんたが何者なんかは聞かねえ。あれだけの強さを持っていて、帝国から一人で助っ人に来るくらいだから普通じゃないのも分かってる」


「まあ、詳しい事は聞かれても今は答えられないんですけどね」


 自分の存在が広まるのはシンの計画の内ではあるが、個人的な情報が広まるのは極力避けたいところだった。


「うさんくさいと思いますよね?でも――」


 自分は敵ではないですよ。そう言おうとしたシンだったが――


「思わねえよ」


 マリアンは即答した。そして笑顔で――


「あんたが何者だろうと関係ねえし、うさんくさいとも思わねえ。今回の件で何かヤバい事が起こってるってのは理解したさ。どうせあんたはその件に関わってるからそんな事言うんだろう?」


「そう――ですね。今回の襲撃を受けたことで、これまで秘匿されていた情報が皆さんにも解禁されることになるでしょう。テュネスさん――」


 シンは二人のやり取りを見守っていた国王へと向く。


「正式な連絡は後で行くと思いますが、あなたのところで止まっている情報は開示してもらって構いません。その方が対策を取りやすくなるでしょうから」


「――シン殿。貴殿は今回の襲撃がどれほどの規模のものだったとお考えですか?」


 国亡の危機ともいえる今回の事件。

 すでに帝国、教会から伝えられていた情報を真とするならば、今後は更に大きな戦いが待っていることになる。

 シンに聞きたいのはその指標。例えば、これを十としたならば――という話である。


「私の予測出来る範囲を超えている案件ですから何とも……」


「そうですか……」


 あれだけの力を見せたシンならば、そう思っていたテュネスはあからさまに落胆の表情を浮かべた。


 そんなテュネスを見て申し訳なく思うシン。

 しかし、今回の襲撃で多くの国民と兵を失い、そんな失意の中でも強い戦う意思を持たなければならない立場である国王にはとても言えなかった。


 これは――これから起こる事の、ほんの前触れにしか過ぎないだなんて事は。


 そんな残酷な事は伝えられなかった。



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