第17話 女傑強襲

 騎上から見える男の姿は、ターフが瞬きをする度に瞬間移動したかのように近づいてきて、数度目の瞬きをした後にはその姿を消した。

 慌てて周囲を見回すと、すでにターフの遥か後方にいた。


 ――敵では…ないのか?


 ゴブリンたちを倒してくれているし、自分の事を攻撃してこないのだから敵ではないのだろう。

 だからといって味方なのかと言われるとそうだとは言い切れない。

 一見すれば自分と同じくらいの年頃に見える冒険者風の男ではあるが、その中身が同じ人間とはターフにはとても思えなかった。

 この短い時間の間に男はどれだけのゴブリンを倒したのだろう?数千?数万?もしかすると、先ほどの黄金のように光り輝いていた炎すらもこの男の仕業ではないのだろうかとターフは考える。

 もしもそうならば――男は絶対に人間ではない。

 少なくともターフが知る人類とは、どれだけ常識から逸脱した力を持っていたとしても、天を焼こうなどという真似は出来ないからだ。

 あのように散歩をするみたいにゴブリンを殲滅することなど出来ないからだ。

 同僚のマリアンの武技やランドの作る魔導兵器。それらがターフの思う常識から逸脱した力。

 自分が一生を賭けても到達し得ない領域。


 しかし、あの男の存在はそれすらも霞むようなものに見えた。


範囲回復エリアハイヒール


 ターフの頭の中にそんな声が響くと、先ほどの炎が発したものとは違う眩い光が戦場を覆うように広がった。


「これは……」


 ターフの全身が柔らかな光に包まれる。

 それまでの疲れが嘘のように無くなり、見つめる両手には力が戻って来た。


「回復魔法……いや、違う……これは……」


 回復したのは体力だけじゃない。

 それまで枯渇しかけていた魔力すらも回復している。魔力を回復させる魔法など、ターフはこれまでに聞いたこともない。

 それはそう。魔法で魔力が回復するなら、それはもう永久機関なのだから。

 しかし、今現実に自分の身体にはその奇跡のような事が起こっている。


 ターフははっとして再び戦場を見回した。

 そこに広がるのはゴブリンが消滅した街道。

 そこに立っているのは多くの味方の兵士たち。その中にはゴブリンの群に飲まれ命を落としたと思っていた者の姿もあった。

 皆が自分に何が起こったのか分からない様子で、呆然と立ち尽くしていた。


「みんな……助かったのか?」


 そう思ったターフだったが、冷静に見てみると、大地に伏したままの兵士の姿も多くあった。


「ああ……やっぱりこれは回復魔法なんだな……。死んだ者は戻らない……」


 死んでいった仲間への哀傷の気持ちはあるが、それ以上に多くの仲間が救われたことに安堵する気持ちの方が大きかった。


 ターフは騎馬の向きを変えて男の姿を追った。

 例え人ならざる者であろうと、仲間を救ってくれたことは事実。礼の一つも言わないわけにはいかない。

 ターフは戦場においても律義すぎる性格の男だった。




 ――これで生き残ってる兵士さんたちは大丈夫だろ。


 後方のゴブリンを一掃したシンは、戦場で傷ついていた兵士たちを回復した。

 そして周囲を見回す。

 残っているゴブリンは数万といったところ。あとは放っておいてもエトスタ軍だけで大丈夫そうだった。


「今回はハズレかな……」


 誰にともなく呟く。

 かなりの大群――大軍だと聞いていたので、もしかしてと思って駆け付けたシンだったが、目的のゴブリンキングの姿どころか、上位種と思われるゴブリンの存在すら確認することは出来なかった。

 そしてシンは考える。

 これだけの大軍を繰り出しておいて、そこには指揮官らしき姿が無い。

 それは敵にとって、これくらいは大した数ではないということなのではないかと。

 わざわざ上位種すら出す必要が無いようなものなのではないかと。


 シンの表情は一気に曇る。

 自分一人が戦うのであれば、この程度の敵なら何度来られようと問題ではない。

 しかし、他の人たちは違う。

 このレベルの侵攻が無差別に起こるなら、今後生まれる犠牲は想像を絶するものになるはずだ。

 その中に自分の親しい者や、その家族が含まれないとも限らない。


 シンの近くに倒れていた兵士の傍へと近づく。

 力尽きて倒れ、ゴブリンたちに踏みにじられてボロボロになった身体。

 手足はあらぬ方向へとねじ曲がり、裂けた腹部からは臓器が飛び出している。

 鼻は折れ曲がり、あごの骨は砕けて開いたままの口からは血と共に舌が伸びだしている。そんな激しく変形した顔には、もともと眼球のあったはずの場所に名残の窪みだけが残っていた。


 シンはしゃがみこんで兵士の身体に手をかざす。


「何の慰みにもならないのは分かっているんだけど……」


 兵士の身体を青白い光が包み込む。

 ねじ曲がっていた手足は次第に真っすぐになり、裂けていた腹部の傷は塞がっていく。

 折れていた鼻も顎も元の形へと返っていき、眼球を失った眼窩がんかは瞼が閉じると分からないまでに修復された。


「せめて綺麗な顔で家族の下に帰ってもらいたいからね」


 ――残りは終わったら一カ所に集めてもらってからにしよう。


 シンは、兵士の亡骸に手を合わせながらそう思っていた。

 そこへ――


――ガキイィィィン!!


 シンは瞬時に出した『大和』でその攻撃を受け止める。

 上空から襲ってきた巨大な斧での一撃。

 受け止めた衝撃波が周囲に突風を巻き起こすほどの強烈な一撃。


「――チッ!バケモンが!!」


 シンは立ち上がると、攻撃してきた相手――その声の主の方を向く。


 真紅の髪に彫りの深い顔。

 鍛え上げられたその逞しい身体は、着けている鎧が窮屈に見える程。

 特注で作られた巨大な両手斧を持った長身の女傑――マリアン。


 シンへと向けるその目には、憎悪にも似た感情が浮かんでいた。



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