第8話 リールンクと謎の男

「ここなら誰に聞かれることも無い。安心するがいい」


 リールンクはその男の言葉に周囲を見回す。

 確かにその建物を囲うように魔力が張り巡らされているのを感じる。

 おそらく、二人を挟む机の上に置いてある、奇妙な形の魔道具の力なのだろうと考えた。


「便利な物ですね」


「ふん。便利な物――か。彼の者なら、このような物を使わずとも、これしきのこと呼吸をするが如くやってのけるだろうよ」


「――確かに」


 リールンクはその男が言っている彼の者――シンの事を思い浮かべる。

 先日訪れることが出来た彼の住む屋敷は、このような音や気配を遮断するだけではなく、彼らに対して敵意を持った者の侵入すら阻む強力な結界が張られていた。

 あれが如何なる手段を用いて作られているものであるのか、リールンクはその滞在の間にきっかけすら掴むことが出来なかったのだ。


「そんなことはどうでもよい。緊急で来ている今は時間が少しでも惜しいのだ。まさかお前が直接接触するとは思ってもみなかったのでな」


 男はリールンクの報告を聞く為に危険を冒してこの場に来ていた。

 ゆえに、早く目的を達したかった。


「それで、伝えることは出来たのか?」


 男は被っていたフードを脱ぎ、リールンクの顔を凝視する。

 壁に一本だけ灯された蝋燭の灯りで薄暗い部屋の中、端正な顔立ちの青年の顔がぼんやりと浮き上がる。


「伝えるべきことは全て伝えましたよ。しかし、彼が裏でどのような考えを持って行動しているのかは聞けませんでしたけどね」


「まさか……我々の敵に回るようなことはないだろうな?」


「それは無いでしょう。これまでに集めた情報からしても、あの人は権力や国といったものに関心が無いように思えます。ですから、我々が何をしていようとも関心を示すことはないでしょうね。彼の耳にその話が入ってしまった時に、こちらに正義があり、民衆を危険に晒さないという点を誤らなければ――ですが」


「それは問題ない。我らが動くのは民衆が為。腐った我が国を救う為なのだからな」


 それによる思想は立つ側によって受け取り方が違う。

 どちらも正義であり、どちらも悪であるという事も事実存在するのだから。

 リールンクは思う。自分は冷静にそれを見極めなければならない。

 それが自分がこの男の側にある意味であり意義である。

 彼の思想をただの理想主義で終わらせない為にも、彼を歴史に名を残す暴君としない為にも、自分は味方でありながらも、第三者のような冷静な目で見ていかなければならない。


「問題はお前の今後についてだな……。今お前を国に戻すわけにはいかないとなると、どうにかしてギルドの追っ手から身を隠す手段を考えなければならないのだが」


「ああ、それでしたら心配には及ばないと思います」


「――どういうことだ?」


 青年はリールンクの言葉に眉をひそめる。

 リールンクはそれがこの部屋で彼が初めて見せた感情のように思えた。


「どうやら先日まで付いていた監視の者はいなくなったようです」


「いなくなった?ギルドの監視が解けたとでも言うのか?」


「いえ、正確には今もその者が表で監視はしているのですがね」


「――言っている意味が分からない」


「そうでしょうね。私も自分が何を言っているのかと思いますよ」


 そう言うとリールンクは声を押し殺すように笑った。


「彼の屋敷を訪れた翌日ですがね。自分が今まであなたを監視していた者ですと言って、男が私の宿に尋ねて来たのですよ」


「……」


「その男はギルドに所属するBランクの冒険者でしたけれど、その傍らギルドの暗部にも所属していると自ら告白してきました」


「……」


「そして今後も私の監視は続ける。しかし、私に不利益になる報告は絶対にしない、と。まるで今にも倒れるんじゃあないかってくらいの真っ青な顔をして言ってきましたよ」


「――その男に何があった?」


「彼の身に何が起こったのか――私は考えたくないですね。でも、誰でも自分の命が一番大事なんだということではないでしょうかね」


「――分かった。とにかく、ここでお前が抜けるような事態にならなかったのは僥倖だと言えるな。それに――ギルド暗部に繋がりを持てたというのも大きい」


「まあ、彼は他の所属員の事は一人も知らないということでしたが、それでも我々が今後得れる情報もあるでしょうね」


 そして二人の会話は止まる。

 青年はこれまでのリールンクの言葉を頭の中で整理しているように、机の上に視線を落としている。


 室内には僅かな静寂の時間が流れる。

 最初から部屋の中にいた蛾が蝋燭の灯りに羽を焦がせたジジジっという音が聞こえた。


「最後に――他に何か気付いたことは無いか?」


 青年はゆっくりと視線を上げて、リールンクの瞳を覗き込むように言った。


「気付いたことですか……。私の話を聞いている時の感情も含めて、少なくとも彼は何かを悟らせるような真似はしませんでしたね。私も露骨に探って、自ら龍の尾を踏むようなそんな怖い事は出来ませんでしたから」


「ふっ、龍だの魔王だのと、本当に物騒な御仁だな」


「まったくです。だからこそ敵に回す真似は絶対にしてはならない」


「ああ、ギルド上層部の連中は本当にめでたいのが揃っているな。自分たちの手に余る相手を味方につけようとして、結局は敵に回すような道化なのだからな」


「力を過信するというのは、ああいう連中のことを言うのでしょう」


「それで救われる命が失われるような事態にならなければ良いのだがな」


「そうですね……」



 二人は呆れたように溜息をついた。



「では私はこれで行くぞ」


 青年はフードを再び深く被り、机の上にあった魔道具に手をかけた。


「ああ――彼について気付いたこと、というのではないのですけど」


 リールンクは何かを思い出した様に口を開いた。


「――何だ?」


 青年は魔道具を取ろうとしていた手を止める。


「一つだけ彼に聞きたいことがあったのを忘れていました。私も緊張していたのでしょうね。今の今まで忘れていましたよ。まあ――思い出していたとしても怖くて聞けなかったでしょうけども」


 リールンクは立ち上がり、壁の蝋燭のところへと歩いて行く。


「屋敷の庭で、彼の養子になったという幼子が遊んでいたのです」


「養子?」


「ええ。3人ほどの幼子です。それと、屋敷の中で案内してくれた少女も養子だと言っていました」


「――それがどうした?」


 青年はリールンクが何を話しているのかが理解出来ない。


「その子らを見て思ったのですよ。君は――」


 リールンクは壁の燭台を手に取って振り向く。

 蝋燭の灯りに、リールンクの精悍な顔が映される。



「この子らを次の魔王にでもするつもりなのかい?って」


 そして蝋燭の灯りは吹き消され、部屋は深い闇に包まれた。



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