第2話 フルークたちの想い

 新しい屋敷に住むようになって一週間。

 ジャンヌはようやくこの街での生活にも慣れ始めてきていたのだが、一つだけどうしても慣れないことがあった。


「おはようございます。ジャンヌお嬢様」


「……おはようございます。フルークさん」


 この呼ばれ方である。

 ジャンヌはシンの娘ではないし、ましてや貴族なんかでもない。

 それなのにこの屋敷の中では立派な大人たちにジャンヌお嬢様と呼ばれる。

 そして、まさにお嬢様のように扱われる。

 それがジャンヌにはどうしても受け入れることが出来なかった。


「ふふふ。まだこの呼ばれ方に慣れませんかな?」


 そう言ってフルークは人の良さそうな笑顔をジャンヌに向ける。


「慣れるというか……そもそも違うわけですし……」


 小さな少女は、その体を更に小さくしながらそう言った。


「前にもお伝えいたしましたが、我々は陛下より遣わされた者でございます。その際にジャンヌお嬢様たちを、シン様のご子息様だと思って接するようにとの厳命を受けております」


「はい……それは分かってはいるのですが……」


「ですが――我々は陛下のご命令が無くとも、そのように接する心づもりでおりました」


「――え?」


「ふふふ。不思議にお思いでしょうか?」


「……はい」


「我々は今回の話が上がってきた時に、自らが名乗り出てこの屋敷に来たのです。ラカザルやアレンカー、他の使用人の者たちも同様でございます」


 ジャンヌはフルークたちが何故そんなことをしたのか分からなかった。


わたくしは――ギャバンの街の出身なのです。今も親類の者たちが暮らしております」


「――!?」


「ジャンヌお嬢様と同郷でございます。他の者たちもギャバン出身者であったり、親類や友人知人がギャバンで暮らしているという者たちがここに集まったのでございますよ」


 ジャンヌは一瞬あの時の悪夢が脳裏をよぎって軽い眩暈めまいを感じた。


「大丈夫でございますか!?」


 それを見たフルークが慌ててジャンヌに寄り添うように体を支えた。


「申し訳ございません。ジャンヌお嬢様の境遇を知っておきながら……」


「いえ…もう大丈夫……大丈夫ですから」


 ジャンヌはフルークが自分を支えていた手に自分の手を重ねながらそう言った。


「つまり、フルークさんたちはシン様に恩を感じて志願したということでしょうか?」


 まだ少し気分が優れないが、フルークに心配をかけまいとして気丈に振舞おうとするジャンヌ。


「……はい。簡単に言えばその通りでございます」


 ――簡単に?まだ何か理由があるの?


「ですので、我々は本心からシン様や皆様に仕えるつもりでここに参っております」


「でも、私は――」


 シンに救われた身であり、強引についてきただけだ。そう言おうとしたのだが――


「先ほども申し上げましたように、陛下の命が無くとも、我々はジャンヌお嬢様方をシン様のご子息だと思って接するつもりでございます。これは我々の覚悟――とでも言いましょうか」


「そう――ですか。分かりました。私もシン様の娘として振舞うつもりはありませんが、その呼び方や接し方には慣れるように努力します」


 フルークに覚悟とまで言われてしまっては、子供であるジャンヌにはそれ以上何も言う事は出来なかった。


「ありがとうございます。おっと、ジャンヌお嬢様に御用があって伺うところだったのを忘れるところでした」


 この老人がそんな失敗をするはずが無い事は、この一週間という短期間でもジャンヌは理解していた。

 おそらくは――難しい話で緊張してしまっていたジャンヌに対する心遣いなのだろうと、なんとなくではあるが理解したジャンヌだった。


「シン様が皆様方をお部屋にお呼びでございます。何か朝食前に話があるとのことでした」


「シン様が私たちに?」


「はい。ライアス様、フェルト様をはじめとした皆さまでございます」


 なんだろう?とジャンヌは考える。

 全員を集めてシンが話をするなんて、これまでにもこの屋敷に引っ越すことを伝えた時だけだ。


 普段の大事な話はライアスとフェルトとしか話をしていないことをジャンヌは知っていた。


 それは自分たちが子供だから――ではなく、自分たちに危険が及ぶことを避ける為だとも理解していた。


「私はロイド様方にそのことをお伝えに参りますので、ジャンヌお嬢様は先にシン様のところへ向かっていただければ」


「そう――ですか。分かりました。ありがとうございます」


 そう言うと軽く会釈をしてジャンヌはシンの部屋へと向かった。



 歩いて行くジャンヌの後姿を見送るように見つめるフルーク。


 ――本当に強く、利発な子ですね。


 フルークは本心からそう思う。


 ギャバンで家族を失い、自らも命の危機にあったというのに、今は懸命に自分の足で人生を歩き出そうとしている。

 そして、人の心にも敏感だ。

 先ほどの会話でも垣間見える人を思いやることの出来る心。

 相手が何を思い、何を考えているのかを、本能的に察することの出来る能力。

 あれは努力して身につくようなものではなく、天が生まれながらにして彼女に与えた眩い才能。


 ――貴女がシン様の本当の娘であると言っても、私は信じますけどもね。


 フルートは遠ざかっていくジャンヌに深々と頭を下げたのだった。


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