第3章:バイアル大陸西部騒乱編

第1話 皇帝ユリウスの覚悟

「陛下からの手紙、どう思われますか?」


 ゴームスは渋みのある低い声でそう聞いた。


「どうもこうもない。普段ならばいくら陛下からの手紙とはいえ、おいそれとは信じられる話では無いな。けれど、そこにあのシン殿が絡んでおられるというのならば……信じないわけにはいかないだろう」


 ステュアートは真剣な表情でそう答える。


「とはいえ、我が領はスズカ領からの分領された領地の整備もまだ終わっておらぬし、先の戦いで失ってしまった兵士の補充もまだだ。今すぐに陛下の下知に従うのは難しいぞ」


 反乱の罪に問われたラーゲ=スズカ辺境伯。

 その領地は、近接していた貴族領へと分割されて統治されることとなった。


 ここディヴァイン領も、ステュアートたちの先の戦いの褒賞として、その一部が渡されていた。


「確かに。今兵を動かすのはいたずらに民の心を惑わせることになりかねません。ようやく国全体が復興に向けて歩み出したところですからな」


「だが、内容が内容だけに何もしないというわけにはいかないだろう。最悪の場合、復興どころの話ではなくなるからな」


「では、兵士たちには内容を伏せたままで、警戒に当たらせましょう」


「それで大丈夫か?いぶかしむ者が出てくると、どこから話が漏れて広がるとも限らない」


「本番を想定した実戦形式の訓練という事にしておけば大丈夫かと存じます」


「……分かった。その辺りはゴームスの方が正しく行えるだろう。すまないが任せても良いか?」


「もちろんです。直ちに編成の終わっている隊を動かす手筈を整えます」


「頼んだ。……何事も起こらなければ良いのだが」


「おそらくは、その希望は叶わないかと……」


「だろうな……。あの御仁がわざわざ知らせてきているのだ。前回のエトラどころの話ではないのだろう」


 ふう、とため息をついたステュアートの顔色は、彼の若さでは補えない程に疲れた顔をしていた。




「また多くの命が失われるのですね……」


 真っ白な衣装に身を包んだ幼い少女は、この世の憂いを一身に背負っているかのような哀し気な瞳をしていた。

 誰もいない大聖堂の奥。

 天蓋で覆われた椅子に座っている少女は、その瞳から一筋の涙を流しながら天を仰いだ。


「未曾有の厄災に対して我々人間は如何に儚き存在であるのか……思い知らされてしまいますね」


「まさに」


 誰もいないはずの室内に老人の声がした。


「なればこそのの御仁でございます」


 低く――静かな口調の声。


「あの方ならば、貴女の抱く憂いも払拭してくださるでしょう」


「そう――信じるしかないですね。神が私たちに遣わされた魔王……シン様に」


の強く優しき魔王さまであれば、必ずや我らに救いの手を差し伸べてくださりましょうて。我々もその手助けをする為に、貴女様を担ぎ出してまで手筈を整えたのですからな。ふぁ!ふぁ!ふぁ!」


 老人の軽快な笑い声が響き渡る。


「では、私たちも準備をしなければなりませんね。それと――覚悟も」


「世界の平和と均衡を護るのが我々の務め。それ故の信仰。それ故の力ですからな。ここで率先して動かなければ、何の為のこの命といったところですな。この老体もこれが最後のお勤めと思って当たらせてもらいますわい。ふぁ!ふぁ!ふぁ!」


「……最後まで苦労をかけますね」


「いえ、まだ最後と決まったわけではございませんぞ?運よく生き延びて、再びご尊顔を拝することもあるやもしれません」


「ああ、そうですね。ふふっ、これは失言でした」


「それでは、その時までごきげんよろしょう」


「はい。その時が来ることを心待ちにいたしております」


 それを最後に老人の声が聞こえることはなかった。


「神よ……迷える我らに救いを与えたまえ。そして、その御許へと逝く魂に祝福を与えたまわんことを……」


 己が無力を噛みしめるような少女の祈りは、静かに聖堂の中に消えていった。




 パルブライト帝国第八十八代皇帝ユリウス=カイザー=ヴァングラディウス。

 若くして名君と呼ばれる彼は、その表情には出さないように努めてはいるが、その内心の苦悩は計り知れないものがあった。


 ファーディナントの女傑であるエルザ=フォン=サンディポーロ辺境伯からの大災害の兆しがみられるとの報告。

 それを裏付けるようなジャレン=フォン=ロダーナ侯爵からの未曽有の厄災級と思われるゴブリンキングの報告。


 特にロダーナ侯爵からの報告には、シンというレギュラリティ教関係者と思われるものからの考察が書かれてあった。


『おそらく――ゴブリンキングは数十万、もしくはそれ以上の数のゴブリン、上位種ゴブリンを大陸中の至る所に出現させることが出来る能力を持っている。その範囲は不明であるが、かなりの広範囲で可能だと推測される』


 ユリウスはそもそもゴブリンキングという存在を知らない。

 低位種であるゴブリンが如何に進化しようとも、国を脅かすようなことがあるとは思ってもみなかった。


 しかし、そのシンという者が倒したとされるゴブリンの上位種は、ロダーナ侯爵の話を信じるとするならば――帝国軍をもって対応しなければならないレベルの魔物だと想像される。


 それが数十万のゴブリンを率いてゲリラ的に出現するとなれば、これは帝国だけの問題ではなくなってくる。


 しかも、更にそれを生み出す上位種が存在するというのだ。


 この大陸全ての国が協力し合わなければ、必ずやいずれかの国が滅亡の憂き目に遭うだろう。


 このような途方もない話を信じるのであれば、だが。


 しかしユリウスは信じた。


 それはエルザの手紙に書かれていたことがきっかけであった。

 彼女が冗談で「決して敵にまわすな」などと自分に言うはずがない。


 そこでユリウスは実際にシンという男を品定めする為にいろいろと芝居をうって、その実力を測ろうとした。


 だが、それは叶わなかった。

 帝国最強と呼ばれる将軍、シルヴァノ帝国騎士団総団長をぶつけてすら、その片鱗すら測ることは叶わなかった。

 本来ならば恐怖しなければいけないことである。

 その男が持つ力は、人類にとって明らかな脅威であるのは間違いない。


 しかし、このことはユリウスにとって、二人の手紙を信じさせるに十分な出来事であった。


 ユリウスは天秤にかけたのだ。

 脅威ではあるが周囲から一定の信頼を得ているシンと、大陸全土を襲うであろうゴブリンキングの脅威。


 そして彼は前者を選んだ。

 利用するつもりも多少はあった。

 しかし、それは無謀な事だと知った。

 エルザの言う通り、アレは敵にまわすべきではない。

 自分のつまらない策を見抜くだけの智を持ち、それをどうやってでも打ち砕く力を持つ。


 ならば、自分が手を出すべきではない。

 自分の手に負える存在ではない。

 そして、愚か者が不興を買わぬように監視しなければならない。



 そう、ユリウスの今一番の悩みは、懐に抱え込んだシンに対する対応だった。



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出番の少ない主人公(謎)シンがどうやって生まれたのかを書いたエッセイ、「魔王シンという男」を書きましたので、興味のある方は読んでやってくださいませ。

https://kakuyomu.jp/my/works/16817330665415449105


こちらの作品は、

蜂蜜ひみつ様企画の【てんとれ祭】参加作品です。


【てんとれ祭】「1行、100滴、お好きに」使って創作トライ!」

https://kakuyomu.jp/user_events/16817330665539266157


こちらも興味のある方は覗いていってくださいませませ。

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