第45話 女の誤算
――何?どうなってるの!?
女は目の前で起こっていることが信じられなかった。
子供を三人、誰にも気づかれずにつれてくれば良いだけの、女にとって――いや、女たちにとって、朝飯前と言わんばかりの簡単な依頼。
その上、報酬も高額で、過去に貴族を暗殺した時よりも高かったのだ。
もちろん、そんなうまい話に飛びついたわけではない。
絶対に裏があるはずだと――
すると、その子供は、レギュラリティ教団の師範の連れている子どもだと言うではないか。
なるほど、それならば納得だ。
貴族一人殺すよりもよっぽどリスクが高い。
だが、女はこの依頼を引き受けた。
レギュラリティ教団に恨みがあるというわけではないが、そもそも女は宗教というものを嫌っていた。
神に祈って助かるのならば、何故自分がこんな裏の仕事をしなければならなくなったのかと。
何故、神を信じていた人たちは殺されてしまったのかと。
そんな遠い記憶が刺激されたこともあってか、リスクが高いと承知で引き受けた。
するとどうだろう。
依頼を受けた翌日に、いきなり子供たちだけで行動し始めたではないか。
何かの罠か?そう疑ったが、昨日の今日で、情報が洩れているとは考えにくい。
女は千載一遇のチャンスとばかりに行動を開始した。
仲間の一人の持つ、虫を操れるスキルを使って子供たちを街外れまで誘導した。
人出の多さも手伝って、年長と思われる二人の子供に気付かれること無く、三人を引き離すことに成功。
これでこの依頼はほとんど終わったも同然だった。
だが、どうだ。
男の子を捕まえようと伸ばした自分の腕は空を切り、残りの女の子を捕まえようとした仲間も同じように動き回る子供を捕まえられない。
身体が小さいくてすばしっこい子供、とてもそんな言葉で片づけられるような話では無かった。
身をかがめ、身体をひねり、時には壁を蹴って飛び回るその姿は、到底幼い子供の動きではなかった。
人数差があるから、取り逃がすことがないというだけの話。
もし、あと一人でも連れてくるのが少なかったら逃げられていただろうと思えた。
あまり時間をかけていれば、例え人の少ないこの場所だとしても、誰かに気付かれてしまうかもしれない。
それに、あの残っていた二人が、レギュラリティ教師範という化物に報告するかもしれない。
それまでに離脱しなければ負けが確定する。
「得物を使え!!殺さなければ構わない!!」
女は決断した。
もともと依頼では、生きてさえいれば構わないという話だった。
だが、子供相手にそんなことをするつもりのなかった女は、誘い出して連れ帰るという方法を選択したのだ。
しかし、こうなってはそれも考え直さなければならなかった。
自分自身も小型のナイフを抜いて、子供たちにその刃を向ける。
いくら異常なまでに動ける子供だといっても、怪我をすれば怯えるだろう。
それに、一人捕まえてしまえば、残りが逃げ出すこともないと女は考えていた。
そうでなければ、これまでの間に、誰かが逃げ出して、助けを呼びに行くことも出来ただろう。
しかし、この子らがそうしなかったのは、誰か一人が抜けたら、残りの二人が捕まると理解していたからだろう。そして、誰かに助けを求めに行っている時間は無いだろうと。
逃げ回りながらも、お互いの様子を目で確認し合っているのを、女は見逃さなかった。
そして、何と利発な子供たちなのだろうと、心の中で感心もしていた。
出来れば、そんな子供を傷付けるような真似はしたくなかったが、自分の生活だけでなく、仲間の生活もかかっている依頼である。
女にとって、子供に武器を向けるという手段は、本当に最終手段であった。
ルイスたちにとって、影たちの手を躱すことは簡単だった。
普段一緒に遊んでいる小型ゴーレムの方が、よっぽど動きが速いからだ。
しかし、だからといってこの場から逃げ出すのは容易ではなかった。
相手は必死で捕まえにきてはいるが、うまく連携をとって進路を塞いでいる為、一人躱したと思っても、なかなかその包囲を突破出来ずにいた。
それに、逃げ出すときは三人一緒でなければいけない。おそらく、ロイドたちに助けを求めに行ったとしても――帰ってくるまでに、残りの二人は連れ去られてしまう。そう三人は感じていた。
すると影たちがナイフを取り出した。
それを見た三人の顔が強張る。
武器を躱すような練習はしていないし、かつてゴブリンに襲われた時の記憶が蘇り、全身に恐怖が走った。
「いや……」
ローラが小さく声を漏らす。
そして、それまで動いていた身体が硬直したように動かなくなった。
「ろーらちゃん!!」
ローラの腕を影が捕まえたのを見てミアが叫ぶ。
助けに行こうとしたルイスの隙を見た女がその襟首を掴んで、持っていたナイフの刃をその首筋に当てた。
「二人は捕まえたわよ?あなたはどうする?」
ミアが女の問いに答えることは無かったが、諦めたかのように大人しくなった。
「よし、お前たち、急いで撤収するよ」
三人を拘束した女は、仲間の影に子供を抱えさせて路地の更に裏へと走り出す。
予想外の展開ではあったが、何とか依頼を達成することが出来た。
この子たちがこの後どうなるかということは考えない。
それが裏の世界で生きていくものとしての覚悟。
この世界に足を踏み入れた時に、何をしてでも生き延びると決めた覚悟だった。
「覚悟は良いですか?」
そんな女に、ふいに聞こえてきた少女の声。
それは高い声でありながら、どこか低く、怒気を含んでいるような。
女がその声に驚いた瞬間――
「が……は……」
腹部に強烈な衝撃を受け、悶絶しながら転倒した。
一撃で全身が痺れて動けない。
呼吸すらもまったく出来ないほどの衝撃。
そして、そんな自分を見下ろすように立つ少女。
その幼くも美しい顔は、明らかな怒りに満ちていた。
そんな少女の姿が一瞬揺らいだと感じた瞬間、今度は頬へ強い衝撃が走った。
少女の拳が、女を地面へと殴りつけたのだ。
しかし、女はその攻撃を理解することなく意識を失った。
そして、女の意識が消えていく最中――その視界に映ったのは、倒れた他の仲間と、それを見下ろす少年の姿だった。
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