第20話 万能では無いが故の怒り

 シンがその索敵範囲にゴブリンたちを捕らえた時、彼らの先頭は山道に入ったところだった。


 ゴブリンたちの数は千と少し。

 そして、捕らえられている子どもと思われる気配が二百ほど。

 大きな怪我をしている者はいなさそうだ。


 ゴブリンたちがどこへ向かっているのかは分からなかったが、シンは一先ず安堵した。


 再び高度を一気に上げて、上空から群れを先回りするために進路を取る。

 一匹たりとも逃すわけにはいかないし、一人も犠牲を出すわけにはいかない。

 迅速に対処し、確実に実行し、明確な成果が求められた。


 ヴァンケド山脈に連なる名も知らぬ山の一つ。

 その上空から木々の間を駆け抜け進むゴブリンの群れを見下ろす。


拘束バインド


 シンはその千を超えるゴブリンを一匹の漏れも出さぬよう、慎重すぎるほどに範囲を拡げて、群れ全体を魔法で拘束した。


 漏れが無いことを確認すると、群れの先頭へと降りていく。


「間に合った」


 シンの口からついそんな言葉が漏れる。

 ゴブリン相手に言葉が通じるとは思っていない。

 言語理解のスキルがあろうと、相手がそもそも意思疎通出来る存在でなければ意味が無い。

 だから――それは、本当にシンの気持ちが漏れ出たものだった。


 この世界のゴブリンは、シンの知るそれよりも体格は大きく、力も普通の人間よりも余程強い。

 ロットにその話を聞いていたシンだったが、実際にその目で見ると、それは想像を超えていた。


 ――普通のゴブリンで知っているホブゴブリンクラスか。


 これが群れで村を襲っていたのだとすれば、それこそひとたまりも無かっただろう。

 そう思うと、村人たちの恐怖はどれほどのものだっただろうかと――シンの心の底から怒りが湧き出してくる。


「ギギギ……ギ……」


 懸命に身体を動かそうとしているのか、ゴブリンの口から苦しそうな小さな音が漏れる。


 今のシンにはそれすら不快でならなかった。


 先頭のゴブリンの顔を手で掴むと――躊躇なくその手に力を込める。


 その力に微塵も抗うことなく砕け散る頭蓋とうがい


 首から吹き出すドス黒い血液がシンへと降りそそぐが、やがてその身体が魔素へと消えていくと同時に、その返り血も黒い霧へと還っていった。


 人質ともいえる子供たちがいるこの場で魔法を使って一気にというわけにはいかない。

 ゴブリンだけを狙ってということも可能ではあったが、それでも万が一のミスは決して許されない。


 シンは両の拳に魔力を込める。

 それはゴブリン程度を相手にするには決して必要の無いレベルの力。

 一瞬で正面のゴブリンの前に移動すると同時に、その頭部を右の拳で撃ち抜く。

 ゴブリンの体はその場から一歩も動くことなく、その頭部を跡形も無く消失して魔素へと還える。


 ――これでいけるな。


 無駄に暴れて子供たちに危険が及ばないようにとシンが考えたのがこれだった。


 森の木々の隙間縫うように風が吹き抜ける。

 その風に吹き飛ばされるように舞い消える黒い霧。

 身動きが取れない状態のゴブリンたちは、群れに何が起こっているのか気付くことも出来ない。


 前を進んでいた仲間が次々と消えていく。

 逸らすことすら出来ない視界に映る異様な光景。

 それを認識した者も次の瞬間にはその命を絶たれている。

 子供をその肩に担いでいた仲間が消える。

 その担いでいた子供も消える。

 そして自分が消える。


 恐怖――それを感じることすら許されない程の絶望は確かにここにあった。




「みんなは俺が戻ってくるまでここで待っててくれるかな?」


 二、三歳くらいから、十代半ばくらいまでの年頃の子供たちが約二百人。

 膝を抱えるように地面に座り込んでいる。

 彼らはギャバンの街からゴブリンに連れ去られていた子供たちだ。


 何とか間に合って救出した後、子供たちを連れて山を下りてきたシンだったが、彼にはまだここでやることが残っていた。


 シンの言葉に誰も返事をしない。

 助かったことへの安堵――それは確かにあるだろう。

 しかし、昨晩、子供たちを襲った恐怖や悲しみ。

 それらが彼ら、彼女らの心に深い傷を残しているのは、その疲弊しきった表情からも明らかだった。


「あの……」


 一人の少女がおずおずと手を上げる。

 ぼさぼさに乱れた長い金髪の幼い少女。


 シンは怖がらせないように、その少女の方にゆっくりと近づくと、しゃがんで視線を合わせる。


「聞きたいことが……」


 近くで見る少女の顔は、ロットよりも少し若くみえる程度で、シンは思っていたよりも子供では無いのかも知れないと感じた。


「何かな?」


 シンは出来る限りの笑顔でそう答えたが、急に作った笑い方に、どこかぎこちなくなっていないだろうかと心配した。


「貴方は…神様ですか?」

「え?」


 それは予想もしていなかった質問。


 少女は髪の間から覗く琥珀色の瞳で、真っすぐにシンを見ていた。


「違うよ……俺はそんな大層なものじゃない……」


 その視線に耐えきれなくなったシンは、少女から目を逸らしながらそう言った。


 ――神なら、街が襲われる前に皆を救えただろう。

 ――神なら、街に到着する前にあんな油断はしなかっただろう。

 ――俺は君たちを、君たちの家族を助けることが出来たはずなのに……。


 ゴブリンたちへ向けた怒りは、半分は自分に対してのものだったのだと、この時初めて気づいた。


「俺は神様なんかじゃない。だから、今は自分にやれることはやらないと……これ以上後悔したくないんだ」


 その言葉は少女に向けてなのか、自分自身に向けてのものなのか。


「……わかりました。私たちはここで待っています」


 そう言ってシンを見つめる泣き腫らした目は何か強い意志を感じさせた。

 シンは少女のその目に、彼女の言う「わかりました」という言葉の真意がどこにあるのか測りかねたが、今はとにかく時間が惜しかった。


泥人形創造クリエイションゴーレム


 シンの周囲の地面から生えるように生まれてくる十体のゴーレム。

 二メートルほどの身長のそれは、子供たちを取り囲むような位置に着く。


 ゴーレムに驚いた子供の泣き声が聞こえてくる。


「驚かせてゴメン。このゴーレムが、俺が戻るまでの間、みんなを護ってくれるから安心してほしい」


 そう言われても簡単に受け入れることが出来るはずは無いのだが、今は安全な結界を張るよりも、目に見える力の方が安心出来るだろうと考えた上でのことだった。



 そして、シンは山奥へとその姿を消した。

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