第14話 そして四か月が過ぎ……

 冬が訪れた。


 シンとフェルトがアデスに滞在してから、すでに四か月が経っていた。

 アデスから見えるケルフト山の山頂付近にはうっすらと雪が積もり、ときたま吹き降ろされてくる冷たい風が山裾を通り過ぎる人々の身を凍えさせていた。

 このバイアル大陸は比較的温暖な気候ではあるが、大陸西部のアデスはその中でも北部にあるためか、冬になると気温が氷点下付近まで下がることもあった。


 年の瀬が近づき、宗教組織の一員であるアッピアデスの面々も様々な準備に追われ、特に階級が高い者になるほどに忙しない日々を過ごしていた。


「先生、失礼します」


 シンの部屋の開けっ放しだったドアからライアスがそう言って入ってくる。


 ライアスはシンがここに残って以降、シンのことを「先生」と呼ぶようになっていた。


「ジンショウ総師範が協会本部よりお戻りになられました」


「お、思ってたより早かったね」


 シンはベットの上で本を読みながらそう返事をする。


「おそらく、数日もすればまたお出かけになられるとは思いますが」


「ジンショウさんも大変だねえ。いや、他の師範の人たちも十分に忙しそうだけど」


「そうですね。年の瀬が近づきますと、各地の教会ではいろいろと催し物をして、年を越すことが通例となっておりますので、我々もその警備関係の調整でバタバタしております」


 大規模なミサや、街での炊き出し。

 孤児院等を飾り付けて盛大なパーティを行ったり、地方の教会のない村などを司祭が訪れて、皆で祈りを捧げる。

 それが年末から年明けまで続くのがレギュラリティ教の恒例行事だった。


「そういうのを聞くと、レギュラリティ教って本当に普通に良い宗教なんだね」


「ええと、ちょっとおっしゃってる意味が分かりかねますが……」


「ああ、俺の感覚だと、これだけ大きな組織になったらいろいろと政治的な利権争いみたいなのがあって、おかしな司祭とかが裏で悪い事やってそうなんだよね。あと、地方とかで好き勝手やってる奴とか」


「……それはどちらの宗教の話でしょうか?少なくとも私はそのような悪どい者がいるという話は聞いたことがありませんが」


「どこか特定のって話じゃないけど、あくまでも個人のイメージだね。まあ、聞いたことがあったら、とっくに何らかの処分を受けてるだろうし」


「はあ……。まあ、国とかですと、貴族による権力争いとかありますが、我々はあくまでも世界の調和と平穏を願う者の集まりですので、そういったことは無い……とまでは言い切れませんね。私も本部や、地方にある協会の人間をどれほども知りませんから。中には先生のおっしゃるような者もいるのかも知れません」


「もしいたとしても――何の弊害も今のところ出てないんだったら、そんなに悪い奴じゃないだろうしね」


「同輩としてはそう思いたいですね」


「おっと、少し話が逸れちゃったけど、この後ジンショウさんと話出来るかな?」


「あ、すいません。それをお伝えするために来たのでした。ジンショウ総師範から、先生のご都合を聞いてきてくれと言われまして」


「俺は今日は指導の予定が無いからいつでも良いんだけど、ジンショウさんは帰ったばかりで疲れてるんじゃない?」


「あの方が疲れているところを見たことがありませんね」


「ああ、ジンショウさんだもんね。どうも見た目がお爺ちゃんだから、ついお年寄り扱いしちゃうな」


「アッピアデス総師範をお年寄り扱いするのは先生だけですよ」


 そう言ってライアスは笑う。

 この四か月でシンたちとすっかり打ち解けたライアスは、当初のより表す感情表現が豊かになっている。

 

「じゃあ、この後お邪魔するって伝えといてくれる?」


「分かりました。自分の部屋にいるとのことでしたので、後ほどお訪ねください」


 それだけ言うと、ライアスは部屋を後にした。



「戻ったばかりのところすいませんね」


 ライアスが部屋を出てから、十分ほどしてジンショウの部屋を訪ねたシン。

 そこには疲れた様子もなく、普段通りに柔和な表情で座っているジンショウがいた。


「いえいえ、戻ったらお話があるとのことでしたので、急いで戻ってまいりました」


「いや、そんな急ぐ話でもないですから。何かすいません……」


「ふぁ、ふぁ、ふぁ。冗談ですよ。本部での用事が思っていたより早く終わったので、その分戻りが早まっただけです」


「それなら良いですけど……」


「それで話というのは?」


「ああ、それなんですが――年が明けて落ち着いたら、そろそろ出立しようかと思います」


「ほう。春を待ってからかと思っておりましたが」


「そうしても良いかとも思ってたんですけどね。フェルトの仕上がりが思いの外早いようですし、少し遠回りしながらパルブライトを目指せば、向こうに着くころには春になるかと思って」


「ここからパルブライトの国境までだと、歩いて二週間ほどですから、春に着くとなると結構大回りするのですな」


「フェルトの実践も兼ねて、ここから南東の山を越えて、ギャバンとかいう街からパルブライトに入ろうと思っています」


「それはなかなか険しい道を通られますな。フェルト殿も厳しい主をお持ちのようで。ふぁ!ふぁ!ふぁ!」


「能力的には十分に戦えるとは思いますけど、対人戦以外は経験が無いので、出来るだけいろいろな魔物と出会えれば良いのですけどねえ」


「あの山はお二人が危険な目に遭うほどの魔物はおりませんが、いろいろな――というのであれば期待に沿えましょう。それにしても、フェルト殿は最初はあれほどまでに嫌がっておりましたのに、よく逃げ出さずに訓練を続けておりますな」


 シンに必死で詰め寄っていたフェルトの姿を思い出すジンショウ。

 幼い駄々っ子のようなその姿を愛らしく思った。


「あれは、憎まれ口を叩きますけど、根が真面目過ぎる程に真面目な人間ですからね。今でも嫌なんでしょうけど、毎日ちゃんと訓練を受けてますよ」


 シンもそんなフェルトの事を可愛いと思っている。

 だからこそ、少しでも自衛の手段を身に着けておいてもらいたいのだ。


「今は四段の組でしたかな?四か月でそこまでいった者は今まで誰もおりませんぞ。最速で副師範になったライアスですら三年かかったはずですからな」


「土台は作ってましたからね。それにそこは彼の真面目な性格の賜物でしょう。基本の型を反復練習で覚えるのとか、決まった練習繰り返しこなすのには最適な性格をしてますからね」


「確かに、そう言われればそうですな。彼に刺激を受けて、他の若い衆もめきめきと上達していますから、こちらとしても非常に頼もしい青年ですよ」


「良い子でしょう?」


 にこりとジンショウに微笑むシン。


「それで、今後シン殿はフェルト殿をどのようにするおつもりですかな?彼が望めば、どこの国の軍もよろこんで迎え入れてくれるでしょう。すぐにでも騎士爵を与えられる地位に就くことも可能なまでに腕を上げておりますぞ」


「もし、それをフェルトが望むのならば、その時は喜んで送り出しますよ。でも、今の彼は――ロバリーハートの栄誉貴族であるキナミ家の筆頭執事ですからね。将来的にそれを疎ましく思う輩がちょっかい出してこないとも限りません。その時、彼が一人でも危険に立ち向かえる力を付けてもらいたかっただけです。それ以上でも、それ以下でもない――今のところは、ですけど」


 今回、アデスに滞在する計画を立てたのはその為であった。


「シン殿のそのお気持ちをフェルト殿に直接伝えてあげれば、彼も喜ぶでしょうに」


 憎まれ口を叩いているのはシンも同じだろうに――と、ジンショウは思った。


「嫌ですよ。そんな恥ずかしい事」



 本当によく似た主従だと、ジンショウは微笑ましい気持ちになった。



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