第37話 終戦

「バリアシオン侯爵、今のシン殿の発言については同意しかねるということでしょうか?」


 シンに詰め寄ろうとしていたアフリートにエルザは問う。


「い、いや――突然このようなことを言われても」


「シン殿はロバリーハート王の代行者なのでしょう?しかもその言葉は王の意思のようですが?」


「それは分かっている!もちろん、シン殿を疑っているなどということはない!しかし――だからといって、ここですごすごと国に帰ってしまっては……」


「民の飢えはどうなるのか――と?」


 その言葉にアフリートはエルザを睨みつける。


「――そうだ。どうせそちらは当に気付いていたのだろう。それ故の持久戦なのは分かっている」


 アフリートは忌々し気に言い放った。


「そうですね、おそらくは貴方が考えている以上にこちらはロバリーハートの現状を把握しておりました」


 フンと鼻息を鳴らすアフリート。


「それならば分かるであろう?ここで我らがファーディナントと戦うことを止めて帰国したところで我らに待っているのは滅びの道のみ!王がどのような考えでそのようなことを言われたのか、そのお心は我如われごとき凡人には測りかねるが、ロバリーハートの民たちを救うためには、ここで引き返すわけにはいかんのだ!!」


「それは、他国の民の命を奪ってでも為さねばならぬことなのですか?」


 二人の会話に割って入ったのはエルザの副官レイモンド。


「発言失礼いたしました――」


 すぐにその非礼を詫びたが、その顔には怒りを押し殺したような色が浮かんでいる。


「ああ――そのとおりだ。例えこの道が鬼道に続いていようとも、世界中から卑怯者と罵られようとも、我らが主君が全ての罪を背負い、悪王として後世に名を遺す覚悟を決めて民を護ろうと立ち上がられたのだ!ならば、我が命をもってして――そのごうを少しでも引き受けるのが臣としての最後の務め!!」


 アフリートは今すぐにでも戦を再開しかねないほどに興奮していた。


 そして無言で睨み合うアフリートとエルザ。


「まぁ、まぁ、そんなに熱くなんなさんなって」


 ここまで笑うことしかしていなかったスフラが二人を諫めるように言う。


「バリアシオン侯爵、あんたが言ってるのは、そこにいるシン殿の力を借りて戦うってことかい?」


 スフラの言葉にハッとしてシンの方を見るアフリート。


「あんたは今日が初対面みたいだからよく知らないのかもしれないが、その人がそちらの戦力として戦うってんなら、こっちはお手上げだぜ?少なくとも俺は下ろさせてもらう。せっかく助かった命なのに、その恩人に殺されるってのは御免被る」


 まさかの白旗発言にレイモンドがスフラを睨みつける。


 アフリートが知っているのは、信じられない魔法力を使って兵士たちを癒したこと。

 どのような方法を使ったかは分からないが、ケルベロスと呼ばれる巨大な魔物を倒し、乱魔流を消滅させたこと。

 そして、王の代行者としてここに来ているということだった。


 スフラ伯爵の強さはアフリートも嫌というほど知っている。その彼がそこまで言うほどの力を持っているというのか?いや、十分にあり得ることではないかとアフリートは思う。逆に何故そのことに思い至らなかったのだろうかと……。


 アフリートは頭を働かせることで冷静さを取り戻し、それは――多くの事が短期間に起きたことで、シンのその力を警戒することにしか意識していなかったのだと考えた。

 

 ならば――本当にまだ生き残る道が残っているというのか?シンを見るアフリートの中に、僅かな希望の光が差していた。


「いや、私は戦ったりしませんよ?だから戦争を止めに来たんですって」


 シンの言葉に、アフリートに差していた希望の光は瞬時に閉ざされた。


「それでは……」


 一瞬で絶望が押し寄せ言葉が詰まる。

 やはり戦うしかないではないかと――。


「スフラ伯爵は本当に人が悪いですね」


 エルザがやれやれといった感じでスフラを見る。


「辺境伯閣下にそう言われるのは心外ですなぁ。閣下こそ分かっていながらアフリート侯爵を追い詰めようとしていたではないですか」


 そう言って豪快に笑うスフラ。


「私は構わないのです。この戦いで多くの我が国の兵士たちの命が失われたのですから、責任者としてこれくらいはやらないと彼らに向ける顔がありません」


 そのやり取りを聞いて、自分が何やらからかわれていたのでは?くらいしか分からないアフリート。


「シン殿、貴方はロバリーハートを救う手段を持っているのでしょう?いや、すでに何らかの解決策をとった後でしょうか?だからこそ、ロバリーハート王は戦争を終わらせる意思を伝えようと思った」


 エルザの問いに――はい、と答えるシン。


「すでにロバリーハートの水不足は解決しました。いや、まだ解決とまではいってませんけど、今後雨が不足するようなことにはなりません。今年の収穫は問題ないようにするつもりですよ」


 シンの言葉に納得するファーディナント側の三人に対して、理解出来ないという表情の味方であるはずのロバリーハート側の二人。


「え…いや……それはどういう……」


 完全に思考が停止してしまっているアフリートに代わるようにシムザムが聞く。


「魔法で雨を降らしました。それで気候も変化したと思いますから、今回みたいな干ばつは当分起こることは無いと思いますよ。安定するまでは責任をもって管理しますから」


 ――魔法で……雨を降らした?管理するとは……天気を?はあ?


 当然理解出来ないシムザム。


「自分の目で先ほどのことを見ていなければ、到底信じられない話ですわね……」


 そう言いながらも得心とくしんがいった表情のエルザ。


「そういうわけですので、バリアシオン侯爵。兵を引き上げていただいても問題なさそうですよ?そうしていただいたとしても、我々としても異論はございませんので」


 エルザはこの場にきて初めて笑顔を見せる。


「そんなことが……可能なのか……」


 それはシンの言葉に対してなのか、エルザの言葉に対してなのか、はたまた――その両方なのか。


「いや!だとしても!」


 そこでようやくアフリートの目の焦点が戻る。


「我々が貴国へ一方的に攻め込んだのだぞ!?それを何もせずに見逃すというのか!?」


 これは戦争なのだ。そんな都合の良い話が信じられるはずがなかった。


「シン殿はロバリーハートの縁者なのでしょう?でしたら、十分にその対価はいただいておりますわ」


 エルザはその笑顔を崩さない。


「我々を助けていただきましたし、兵士たちを癒してくれました。それに、今回の戦が無ければシン殿がこの場に来ることもなかったでしょう?それでも乱魔流とかいうものは発生したでしょうし、そこから現れた魔物たちによってファーディナントがどのようになっていたかと想像するのも恐ろしいですわね。ですから、今回はそれをもって手打ちといたしませんか?」


「シン殿……ロバリーハートは――救われるのか……?」


 エルザの言葉の意味を嚙みしめながらシンへと視線を向けるアフリート。


「とりあえずは、ってとこですけどね。後はアフリートさんたちが無事に帰って、王様を支えてあげてくださいよ」


 シンの言葉に自然と涙が流れ落ちた。


 そして、人目をはばからず声を上げて泣き出したのだった。



「サンディポーロ辺境伯――我々はこれにて失礼します。今回の寛大な処置に、ロバリーハートを代表して心より感謝いたします」


 アフリートはエルザたちに退席を告げると、シムザムと二人――深く礼をとった。


「いえいえ、これを機に両国に良縁がありますようにと、ロバリーハート王にもそうお伝えください」


 エルザは最後までその笑顔を崩すことはなかった。


 ――心にも無いことをよく言うぜ。でも、まぁ、この辺が落としどころだろうな。


 そんなやり取りを見ながらスフラは思う。


 シンは表立って自分たちと敵対するつもりは無さそうだ。それに特にロバリーハートの国民という風でもない。

 それにシンは先ほど――「」と言っていた。それは、裏を返せば――「」とも取れる。

 つまり、将来的に味方に成り得る可能性があるということ。


 それならば、適当な理由をつけてシンの話をアフリートに通しやすくした方が心象は良いだろう。

 それも、こちらに非は無いのだと印象付けながら――。


 エルザの思惑通りに進んでいるのが分かったスフラ。そして、味方ながらにシンとはまた違った怖さを感じた。


 ――まぁ、お陰であんな化物シンと敵対せずに済んだんだけどな。



「バリアシオン侯爵――」


 部屋を出ようとしたアフリートが不意に声をかける。


「敵は何も我々や魔物だけとは限りませんよ」


 エルザは何やら含みのある言い方をする。


「――重ね重ね感謝する」


 意味を理解したのか、アフリートはそう言い残し――足早に退室していった。


 後を追って出ていこうとしていたシンにもエルザが声をかけた。

 それは最後にどうしても聞いておきたかったこと。


「シン殿、貴方はどのような存在なのでしょうか?」


 シンはその問いにどう答えようかと考える。

 どのような存在?とは?


「もしや、神の遣わせた使者、もしくは――伝え聞く勇者と呼ばれる者でしょうか?」


 ――あぁ、そういう意味か。


 シンは質問の真意を理解する。そして答える。



「いいえ、――ですよ。、ですけどね」


 そう言い残して部屋を出ていった。

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