第33話 絶望のアフリート

 今回は夏らしく、ライトグレーのスーツに水色のワイシャツ、ベージュのタータンチェックのネクタイ、キャラメル色の革靴という服装のシン。


 その前で片膝を突いて頭を下げるアフリートとその幕僚たち。


 兵士たちはその様子を何事かと遠目から見ている。


 昨日からの見慣れた光景に、シンは内心で溜息をつく。


「はじめまして、キナミ=シンと申します。一応お尋ねしますが、頭を上げていただくことはできますか?」


「陛下の代行者ということは、この場においては陛下と同様でございます。そのような恐れ多いことは出来ません」


 予想通りの答えに、今度は普通に溜息をついた。



 時間は少しだけ戻って――


「ダミスター王、少し良いですか?」


 並んで馬で駆けているダミスターにシンが声をかける。


「なんでしょうか?」


「王の警護という目的に同行させてもらっているのですが、私だけ先に行っても良いでしょうか?」


「それはどういうことで?」


「話を聞いているとあまり良くない状況みたいですから、力になれそうなのであればと思って。それに向こうが落ち着けばダミスター王の安全は守れますしね」


「それは、スタンピードに対して力をお貸しいただけるということですか?!」


 ダミスターにとってまさかの提案に、驚いて馬上でバランスを崩す。


「危ないですから、しっかり乗っててください。まぁ、暴れてるのが魔物であるなら、それに手を貸すのは別に問題ないですから」


「ありがとうございます!!このお礼も全てまとめて返させていただきます!!」


 シンがこの提案をしたのには、今回も個人的な思惑があってのことだったので、あまりに感謝されるのも心が痛んだ。


「それでしたら、何か私の身分を証明出来るものっていただけないでしょうか?手紙とかで良いんですけど。多分、このまま一人で行っても怪しまれるだけだと思うので」


 軍のセキュリティがそんなに緩いはずはない。


「あぁ、それでしたら――これを」


 ダミスターは腰に着けていた短剣を外してシンに手渡す。


「これを見せれば大丈夫です。私が保証人になるような意味合いのものですから」


 そんなやり取りがあり、次の町でダミスターたちと別れ、文字通り飛んでアフリートたちのところへと向かったのだった。



 ――代行者……王様、これは身分証明書とはかなり違う気がしますよ。


「じゃぁ、そのままで良いです……。聞きたいことがあるんですが、構いませんか?」


 よくよく考えたら、自分の説明をした方が話がややこしくなると思い、誤解を解かずにこのままで話をすることにした。


「とりあえず、今の状況を教えてもらいたいんですが」


 アフリートは二日前に突如として現れた魔力の渦、そこから出てきた魔物の群れによって軍が大きな損害を出したことを説明し、そしてその事態を招いた自らの不明を詫びた。


「じゃあ、今魔物と戦っているのは、えっと、何でしたっけ?とりあえず皆さんの敵だった人たちなんですね?」


「はい、現在オルトロスと思われる集団と戦闘中なのはファーディナント軍で間違いありません」


「そうそう、ファーディナントでしたね。ここから探った感じではかなり苦戦してるみたいですね」


「この距離で分かるのですか?!」


「まぁ、これくらいの距離でしたら」


 シンの魔力感知はこのくらいの距離ならかなり詳細まで探ることが出来るのだが、アフリートたちにとっては信じられないことだった。


 本来、初対面の男がそんな突拍子もないことを言ったところで、アフリートが信じることなどないのだが、王の使者としてたった一人でこの場所に現れた奇妙な恰好の男の言葉は何故か真実に思えた。


「オルトロスは一頭でも一軍をもって対応しなければならない災害級の魔物です。それがあれだけの数となると……十分に国が亡ぶ規模かと。ただ、敵には十分な兵とスフラ伯爵がおりますから、それで何とか耐えているのではないかと思います」


「スフラ伯爵?」


「ファーディナントの猛将です。その武勇はランバート将軍に比肩すると言われております。」


「じゃぁ、多分そのスフラって人だと思いますけど、一頭だけ飛びぬけて強い奴がいて、今はそれと戦ってますね。仲間がいるみたいですけど、それでも相手の方が強そうです」


 シンの言葉に驚いて顔を上げるアフリートたち。


「まさか――オルトロスより強い魔物がいるのですか?」


 アフリートは信じられないといった表情。


「感じる魔力からすると、その数倍程度の強さですかね」


「――な!?」


 アフリートは昨日見たオルトロスを思い出し、それの数倍がどれほどの脅威なのかを想像して、それ以上の言葉を繋ぐことが出来なかった。


「閣下、それが本当だとしたら、おそらくファーディナントはもちませぬ。その後、魔物がこちらに向かってくるとしたら、負傷者を多く抱えた我が軍では退却することも難しいかと思われます」


 アフリートの後ろにいたシムザムが言う。


「退却?どこへ逃げるというのだ?我らが戦わずに逃げたとしたら、こちらへ向かってきている陛下はどうなる?そしてロバリーハートの民たちはどうなる?我らはロバリーハートの剣であり盾であるのだ。たとえどのような敵であっても、その誇りを捨ててまで命を惜しむわけにはいかん!!」


 その誇りこそが、アフリートの生きる意義。

 不利な戦況の中でも心を折らずに耐え抜いてきた支え。


「使者殿!陛下にお伝えください!我らはこれよりファーディナントと共闘して、かの脅威を撃ち滅ぼしてみせると!!ですので、陛下は直ちに引き返し王都へ戻られますようにと」


 アフリートの言葉にざわめく幕僚たち。


「閣下!敵であるファーディナントに援軍を出すということですか?!」


 その中の一人が慌ててアフリートに問う。


「ここに至っては他に方法があるまい!ファーディナントが敗れれば、次は間違いなく我らにその矛先を向けるだろう。その次はロバリーハートに侵攻するかもしれぬ。今ならば、両軍の力をもってすれば最悪の事態が避けられるやもしれん!」


 すでにアフリートの頭の中に、魔物たちを利用してファーディナントを打ち破るという考えは無かった。


 そして、それを聞いて意見する者はいなかった。

 アフリートは立ち上がり、周囲を見回しながら――


「全軍に通達せよ!!これより我らはファーディナント軍の救援に向かう!!その先陣は我が第一軍が行う!!他の者は後れをとるな!!命を惜しむな!!今こそ国を護る為にその命を賭ける時ぞ!!」


 それは自らを鼓舞するかのような言葉。


 その声は近くで隊列を整えていた兵士たちの耳に届く。


 総大将自ら命を賭けて先陣を切るという言葉に兵士たちが大歓声を上げた。


 どの兵士も連日の激戦で傷つき、目の前で親しい仲間を失い、死の恐怖に襲われながら、それでも逃げ出さずに戦う意思を失わなかった兵士たち。


 それは国を護り、家族や友人たちを護るため。


 彼らはアフリートの檄にその命を捨てる覚悟を決めた。


「使者殿、そういうことですので、陛下への伝言をよろしくお願いいたします」


 アフリートは姿勢を整えて最敬礼をシンへととる。

 それはシンをダミスター王に見立てた別れの儀式のようにも見えた。


「盛り上がっているところ悪いんですが……」


 少しは空気が読めるシンは、言い出すタイミングを完全に逸していたことには気づいていた。


「応援は私一人で行くんで、皆さんはここにいてくれて良いですよ、なんて……」


 その声は、兵士たちの声が木霊する中で、アフリートにだけ届いていたが、その言っている意味が理解されることはなかった。




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