第28話 エルザの誤算
そして夜が明ける。
山影から昇る太陽がその輪郭を徐々に浮かび上がらせ、暗黒だった世界に色が戻ってくる。
善人にも悪人にも、平和な地にも戦乱の地にも、全ての者に平等に朝は訪れる。
ここリナン平原に集う兵士たちは、それぞれに複雑な心境でその日の出を見つめていた。
生きて朝を迎えることが出来たことに安堵する者、前日の地獄のような戦いを思い出して恐怖する者、そして――自らの考えに確信を抱いた者。
エルザは太陽が昇る様子を満足げな表情で見ていた。
捕らえたウルフは土の壁の中で生きている。
それ以降に魔物の出現は無く、太陽が昇り出した今になってもそれは変わらない。
全ての検証結果がエルザの望むものであった。
明日の午後には王都から調査隊が到着する予定だ。そこには王国騎士団の一部隊も護衛について向かっているとのことであるから、ここの戦力と合わせれば大抵のイレギュラーには対応出来るはずだ。
――あとは、ロバリーハートさんたちが自暴自棄にならなきゃ良いんだけど。
エルザは大きな欠伸をした後に、全軍に交代での休息指示を出した。
二日目の徹夜明けとなったロバリーハート軍では、兵士たちの緊張と疲労はピークを迎えていた。
「閣下、そろそろ兵士たちの体力も限界を迎えています。交代で休みを取らさないと、いざという時に役に立ちませぬ」
アフリートにそう進言したのは、国軍第二部隊を率いているシムザム将軍。
かつては近隣諸国に名を轟かせた知勇に優れた老将軍である。
六十を超えた今でも、その肉体は衰えを感じさせないのではないかと思うほどに鍛え上げられている。
「あぁ、そうだな……分かってはいるのだが……」
いつ襲ってくるか分からない敵に対して、アフリートはその機を見つけ出せない状態であった。
そんなアフリートの目の下には深いクマが浮き出ていた。
「それに閣下ご自身も少しはお休みにならねば、お身体が持ちませぬぞ」
「私は大丈夫だ」
そう言って立ち上がろうとした時に、膝の力がすうっと抜けてバランスを崩す。
「閣下!!」
慌てて声を上げて駆け寄っていくシムザム。
アフリートはそれを手で制して――
「分かった……全軍に交代での休息の指示を出してくれ。将校に関しても指示系統を分担して休ませるように」
自分が考えていた以上に疲れが溜まっていることを知ったアフリートは、素直にシムザムの言葉を聞き入れることにした。
「私もこれから少し休むことにするが、その間は将軍にお任せする。何かあれば遠慮なく起こしてくれ」
「はっ!ゆっくりとお休みください。その間は私めが務めさせていただきます」
そうしてアフリートはふらつく足取りで天幕を後にした。
野営を終えたダミスター率いる援軍は夜明けと共に駆け出した。
シンは三日三晩走れば着くと聞いていたため本当にそうするのだと思っていたのだが、実際は途中の領地で馬を変えつつ日中は走り続ける。そして夜は野営して翌朝また出発するということだった。
なので、このままのペースだと、後まだ三日は掛かる計算になる。
昨夜新たに入った情報によると、とめどなく溢れてくる魔物たちによって、両軍にかなりの被害が出ているということだった。
――それなのにこんなにゆっくりで良いのか?
自分一人ならあっという間に飛んで行けるシンには、これでも全力で向かっているダミスターたちの行動が遅く感じていた。
「これで間に合いますか?着いた頃には……ってことになってないです?」
シンは隣を走るダミスターに聞いてみた。
「大丈夫です。スズカ辺境伯にも応援軍を出すように言っておりますから、我々が着くまでは持ちこたえることが出来るでしょう」
それは、そうであって欲しいという願望の言葉。
これ以上は自分が口を出すことではないと感じたシンは、それ以上何も言わずに馬を走らせた。
日が高く昇り、エルザの思惑通りに時が流れていく。
「あちらの皆さんは元気ですかねぇ?」
そう言ってほほ笑むエルザ。
エルザはロバリーハート軍が全軍を上げて徹夜で警戒しているだろうと予想していた。
自分が同じ立場になったら、それ以外の方法は無いのだから。
――まぁ、私でしたら最初からこのような状況にしませんけどね。最初から負けると決まっている戦いに、何も知らずに駆り出されたアフリート卿の心境はいかほどでしょうね。
それは憐れむような、嘲るような――
――どうでも良いことですけどね。
気まぐれに浮かんでは、すぐに消えていく泡沫な感情。
イレギュラーな出来事はあったが、そのリカバリーも含めてエルザの計画通りに進んでいた。
この戦争が始まる前から描いていた青写真通りに――全てが。
今この瞬間までは――だったが。
突如として聞こえてくる雄叫び。
それは今までのものとはまるで種類の違う、憤怒の情の咆哮。
兵士たちはその全身を貫くような声に、一瞬で恐怖に身がすくむ。
その声の主はやはり正体不明の黒狼。
エルザはその姿を見て言葉を失う。
スフラから話は聞いていたが、初めて見たその獣は尋常ではない気配を放っていた。
次の瞬間、いかに自分が勝手な物差しで計っていたかを、その傲慢なまでの甘さを思い知ることになった。
黒狼は瞬きするほどの時間でリナン砦までの距離を詰め、その勢いのままに捕えていたウルフを囲っていた土壁ごと吹き飛ばした。
爆発音と共に塵と消えるウルフ。
その巻き添えとなって、壁の維持を続けていた魔導士と、それを警護していた兵士たちが無残な姿となってはじけ飛んだ。
そして今日二度目の雄叫び。
渦の中から現れてきたのは巨大な体躯のオルトロス。
その数は十を超え、二十を超え、合計二十四頭にまで増えた巨大なオルトロスがファーディナント軍へと襲い掛かる。
虚を突かれた前衛部隊は、その突進に成す術もなく蹂躙される。
吹き飛ばされ、引き裂かれ、踏みつぶされ、嚙み砕かれていく兵士たち。
全身の骨は砕かれ、四肢を散らして次々と絶命していく。
一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図となる戦場。
交代で休息を取っているため、戦闘に備えていた部隊が少なく、暴れ狂うオルトロスの勢いを止めることが出来ない。
――自分で仲間を殺すことで条件を満たしたというの?
それはエルザの考えていたことが正しかったと証明するものだったが、仮定条件に反則とも言える項目が隠されていたことにエルザは気付けなかった。
激しい動揺がエルザを襲う。
しかし、エルザはその感情を決して表に出さないように努め、全軍に迎撃の命令を出す。
そしてエルザは思う。
オルトロスを生け捕りにすることは不可能だろう。
湧き出てくる都度に強化されていく魔物たち。
この窮地を乗り切ったとしても、次を凌ぐことは出来ないのではないだろうか?
エルザの心臓はかつてない速さで脈打っていた。
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