第20話 災いを呼ぶ黒狼

「ステュアート様!ただちに兵をお引きください!!急いで本隊に合流するのです!!」


 それに最初に反応したのはバリアシオン軍の副官ゴームス。


「ゴームス……あれは一体……」


 ステュアートの真っ白になっていた頭が、ゴームスの言葉に少しだけ意識を取り戻す。


「あれは恐らく乱魔流と呼ばれるものだと思われます。私も父に幼いころに聞いただけなので詳しくは知りませんが、父はそれを様々な属性の混ざり合った魔力の暴走と言っておりました。そしてそこから生み出されるのは大量の魔物。その数は一国すら飲み込むと……」


「――!?そのような物騒なもの聞いたことがないぞ!?」


「数百年に一度起こるかどうかというものらしいです。その話がどこまで本当なのかは分かりませんし、あれが乱魔流と決まってもいませんが、異常事態なのは確かでございます!まずはこの場を離れることが第一かと!」


 それまで常に冷静に振舞っていたゴームスの顔には、今までステュアートが見たことがないほどの焦りが伺える。

 

「全軍後退!!全速力で本隊へ合流せよ!!急げ!!」


 ステュアートはゴームスのその表情から悟る。自分が考えているよりも遥かに危険な状況に置かれているということを。そして反射的に退却の支持を出した。

 兵士たちはその檄に我に返り、撤退すべく慌ただしく動き出す。


「ロメロ!!しっかりしろ!!」


 未だ呆然としていた弟の背中をバンと叩く。


「え……あ……」


 それでようやく目を覚ましたのか、ロメロは焦点の辛うじて合った視線をステュアートに向ける。


「とにかく今はこの場を離れるぞ!!」


 ステュアートはそう言うと騎馬に跨る。


 正気に返ったロメロの隣には、従者が騎馬の準備をして今にも泣きだしそうな顔で待機していた。




「おいおいおい、何だか知らねぇが……これはヤベェんじゃねえのか……」


 スフラの背中に冷たい汗が流れる。


「閣下、私めといたしましては、可及的速やかな撤退を進言いたします」


 ブラインの声も若干上ずっている。


「そうだな、砦の味方のことは気になるが……」


「閣下!人の心配するのは、自分たちの安全を確保してからで良いんですよ!」


 すでにブラインは数歩後ろに下がって、すぐにでも逃げ出せる準備をしていた。


「ブライン……」


「どうしました?早く撤退しましょう!!」


 どんどん下がっていくブライン。


「そうもいかないようだぜ……」


「どうしました!?トイレですか!?だからあれほど出発前に済ませておいてくださいと言ったのに!!」


「出発したのは何日前だと思ってんだよ!そもそも言われて無いしな!!くだらねぇこと言ってる場合じゃねぇぞ!急いで全軍に臨戦態勢をとらせろ!!――ヤベェのがくるぞ」


魔力の渦――乱魔流のその中心。


スフラが睨みつけていたその場所から姿を現したのは四本足の狼のような姿をした獣。


艶やかな漆黒の毛に覆われたその獣は、ウルフと呼ばれる魔物より一回り小さく、大きめの狼と言われても通じそうであった。

しかしそれがウルフなどとは次元の違う魔物であるということを、スフラは数キロ離れた距離でも感じる殺気で理解していた。


『ウオオォォォォォーーーン!!』


 辺り一帯に響き渡る遠吠え。

 単純な空気の振動が衝撃波のようにスフラ軍の陣まで届いた。


「な、何ですか!?何が出たんですか!?」


 遠すぎてその姿が確認出来ていないブラインは、突然受けた衝撃に尻もちをつく。


「こりゃあ、戦争どころじゃなくなったぞ……。ブライン!死にたくなけりゃあ気合入れて踏ん張れよ!!」


 スフラは遥か遠くの獣から一切視線を切ることはない。


 獣の遠吠えが合図であったかのように、渦の中から次々と飛び出してくるウルフの群れ。

 そして、真っすぐにスフラ軍へと駆け出してくる。

 止まることなく生まれ出されるウルフの群れは、瞬く間に数千まで膨れ上がり、なおも数を増やしながら津波のように押し寄せる。


「一応聞いておきますが、逃げ出すという選択肢はありませんか?」


「そんなものはねえな」


 ここがファーディナントの国内である以上、明確な敵を前に貴族たる自分が尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかない。



「全軍陣を出て迎撃態勢をとれ!!あの数相手じゃ、障壁も柵も踏み潰されちまって邪魔なだけだ!!動きの取れる場所で迎え撃つぞ!!」


 六千の兵士たちはスフラの命令を受けて迅速に行動する。


 漆黒の獣の姿の見えていない兵士たちにしてみれば、どれだけの大群であろうと、ウルフ相手に退くという気持ちはない。こちらは六千の精鋭。同数程度のウルフであれば全く問題ないはずだ。


「合図をしたら群れのど真ん中に思いっきり魔法と矢をぶち込め!!本隊はその後中央へ突撃して十時の方向へ突き抜ける!右翼は旋回して群れの後方へ攻撃!左翼は七時から二時へ突っ切って群れの行動を乱せ!いいか、決して流れの正面から当たるなよ!ウルフといえども物量で押し切られちまうぞ!!」


 迫りくる黒い波を打ち破るべく次々と作戦を伝えていく。


「魔導兵と弓兵はこの場にて向かってくる敵を迎撃!ブライン、お前は一軍を率いてやつらを護れ!!」


「ええっ!!私たちだけ正面からぶつかるじゃないですか!?もっと安全な作戦を希望します!!」


 不当な扱いだと訴えるブライン。


「ああ、大丈夫だ。ここに近づいてくるまでには散り散りになってるからな。まぁ、それにお前さんなら大丈夫だろ?」


 ウインクで訴えを退けるスフラ。


「ほら、近づいてきたぞ!!全軍準備は良いな!!」


「「オオォォォォーーー!!」」


 数千の魔物の地鳴りのような足音にも負けない鬨の声が響き渡った。


「嫌だぁぁぁ!!」



 その中に一人の悲鳴が混ざっていたのだが、誰もそれを気に留めることはなかった。

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