2.「絶対、間違えるわけない」


「……だいじょぶ? ここまで、走ってきた?」


「ぜぇ〜、はぁ〜……いいえ、徒歩で……じゃなくて、歩いてきました……お待たせして、申し訳ありません、ふぅ〜……」


「うん……ん? こういう時は、全然待ってないよ、って言うべき?」


 天然さんなのだろうか、首を傾げておられる。そのご尊顔の小ささと言ったら……私の半分くらいしかないんじゃないか? そういう意味では全然大丈夫じゃなくない、私?


 彼の名前は、長谷川 雪。

 間近で見て、改めて思う。雪という名前がこんなに似合う男性は、他に知らない。


 まず、すらりと背が高い。


 4月に健康診断で測った私の身長は146cm。前回から全然伸びてないじゃんぐぎぎ、と歯軋りした苦い記憶はさておき、長谷川くんの身長は、私プラス30cmくらいは余裕であるだろう。


 そして、細い。


 ガリガリって感じではなく、シュッとした細さ。骨の浮き出た手が何とも男性らしく麗しい。流石に体重は晒せないけれど、もし彼とうっかり体重を暴露しあうことになって、もし私と良い勝負だったら、私はきっと帰った後でガチ泣きする。


 更に、色白である。


 その肌はきめ細やかで、透き通るようで。しかしどちらが健康的に見えるかと問われれば、私に軍配が……って、私は先程から何故、天上人の長谷川くんと無駄に張り合っているのだろうか?


 最後に、顔面偏差値、高過ぎ。


 謂わば「塩顔男子の究極体」である。形良い輪郭に配置された、奥二重の切長な眼、すっと整った鼻梁、薄い唇……どこを切り取っても満点。加えて、このどこか儚げな雰囲気……追加で百点贈呈。


 胸焼けせず幾らでも眺められます、といつだったかクラスメイトの女子が熱弁していたけれど、あれは嘘だ。これ以上直視していると、私の視力2.0が本気で危ない!


 は、早く本題を切り出さなきゃ……!


 美のシャワーを真正面から食らっ……頂いたことによって私がもたついている間に、長谷川くんは先程とは逆の方へ首を傾げた。


「……俺の観察、楽しい?」


「ひいっ!? ごごごごごごめんなさい、じろじろ見られて不愉快でしたよねぇっ!?」


「不愉快……まあ、普通なら。でも、相手が神崎さんなら、なんか許せるっぽい。だから良いよ、好きなだけ見ても」


 私は、再び硬直してしまった。

 ……今、私のこと、神崎さんって呼んだ?


 それは、おかしい。

 何ともおかしいぞ、この状況。


 だって長谷川くんの認識では、「神崎さん」は杏のはずで。そもそも、目と目が合った瞬間に「あんた誰?」となっていなきゃ、辻褄が合わなくて……


 辻褄? 辻褄って何だ?


 ……私が、勝手に創ったものだ。でも仕方ないじゃないか。だってこれは夢オチでもない限り、有り得ない状況なんだから。


「は、長谷川くんは……私のことをご存知で?」


「? 知ってるし、もっと知りたいと思ったから、その手紙を書いた。親友から、想いを伝えるには手書きが良い、ってアドバイスされたから」


 長谷川くんは無表情に私を見ている。平凡ロード邁進中で、その道から外れることなんか、この先も絶対にないと断言できる、私を。


 簡単なお仕事だった、はずなのに。

 言え、言うんだ、言ってしまえ、早く。


「あの、これ……」


 ついつい読んでしまった長谷川くんの恋文。文面がとてもまっすぐで、ほんのり不器用な感じもきゅんとくる、全身全霊の恋文。


 ずっと握りしめていたから、ちょっとどころじゃなく皺がついちゃっていた。


「このお手紙、宛名が、間違って……」


 すると、


「え?」


 表情乏しい系イケメン、そのものだった長谷川くんが、はっと目を見開いた。そして私が「睫毛長っ!?」とたじろいでいるうちに、ぐぐぐぐーっと急接近していらっしゃった……!


「え、え、えっ!? あ、あのあのっ!?」


「それ、手紙。貸して」


「は、はひぃっ!」


 元々お返しする予定だったのだ。躊躇いなくお渡しし、こんなイケメンと同じ空気を吸ってはいけないと、とととっ……とちょっとだけ距離を取らせて頂く。ちょっとだけ触れてしまった指先が、何だか……ぴりっと痺れているみたい。


 長谷川くんは、文面に視線を走らせながら、


「どこが間違ってた? 漢字、違った? ごめん、何度も確認した、はずなのに……」


「いえっ、漢字はばっちり合ってて! そこが問題と言いますか……神崎絢は私の名前で、私の親友の名前は香芝杏って言って……!」


 長谷川くんは、すっと顔を上げた。


「……君の名前は、神崎絢さん?」


「は、はい。紛うことなき神崎絢、です」


 長谷川くんは睫毛の長さを見せつけるように目蓋を閉じ、はあ、と安堵のものっぽい溜息を吐いた。


「……間違ってない。絶対、間違えるわけない。俺が好きなのは、」


 そしてもう一度、私と目を合わせて、


「神崎絢さん、君だから」


 不器用に、はにかんだ。

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