羽を伸ばして心機一転
ビウィーンの港町に『黄金の梟』号が入港した。停泊のための準備が進められ、着々と作業がなされてゆく。自分の仕事が終わった者から町に繰り出せるので船員の士気は高い。
そんな中、ユウとトリスタンはあちこちから声をかけられて仕事を手伝っていた。早く町に行きたい船員からの指示が次々と飛んでくる。
しかし、それも長くはない。空の朱色が西の地平線に追いやられつつある頃には船員の指示も聞こえなくなった。
船首側へと歩いていたユウは
「トリスタン、こっちは終わったけど、そっちは?」
「ついさっき終わったところだ。今からお前のところに行きかけていたんだよ」
「それじゃ、夕飯をもらいに行こうか」
次々と出て行く船員を尻目にユウとトリスタンは船内へと入った。先の海賊の襲撃で船員の数が減ったため、2人は船の居残り組に志願している。なので、船外に足を踏み出すのは明日からだ。
食事担当に食事用の袋へ夕食を入れてもらった2人はワインの入った袋も手にして甲板へと出た。さすがに蒸し暑い船内で食べる気にはなれない。
町を目の前にして船旅用の食事を口にしながら2人は雑談を交わした。これでもうほとんど仕事はないので気楽なものだ。
囓ったビスケットをワインで胃に流し込んだトリスタンがユウに目を向ける。
「そういえば、カーティスとグレンはもう官憲に引き渡されたのか?」
「みたいだよ。作業が大体終わった頃に船員が2人を連れて行ったのを見たから」
「あいつらも馬鹿だなぁ。いくら金がほしいからって、盗賊ギルドの依頼を引き受けるなんて。借金があるわけでもないのに」
「早く元の活動に戻りたかったんだろうね」
「ダンカンももう下りたのか?」
「今日の昼頃からは姿を見ていないからわからないよ。どうなんだろう」
「まぁ、ちょっと会いづらいからなぁ。このまま別れた方がいいかもしれない」
今回は自分たちと関係のない事件がすぐそばで起きたのでもやっとすることばかりだった。どうせならまったく知らないところで起きてほしかったとユウなどは思う。
だから、ユウは話題を変えることにした。意識的に明るく相棒に話しかける。
「ところで、今回は休暇が6日間あるけれど、トリスタンは何をするつもりなの?」
「そうだなぁ、娼館と賭場には行くつもりだけど、それだけで6日間ずっとっていうのはさすがにないな。そうだ、久しぶりに稽古しないか?」
「素手で?」
「剣でだよ! 当たり前のように自分が有利なところに誘導しようとしやがって」
「素手は冗談だけど、次の港町までまた船に乗るんだから、斧の稽古の方が良いんじゃない?」
「うっ、なかなか現実的なところを突いてくるじゃないか」
相棒は相棒で自分の有利な武器を選ぼうとしたことにユウはくすりと笑った。ただ、目の前の仕事で必要とされている武器の稽古をする方がより効果的なのは確かである。
「それで、ユウはこの休みの間は何をするかもう決めているのか?」
「水浴びと洗濯をしようと思っているよ」
「目的地に着いてからにするんじゃなかったのか?」
「海賊の襲撃で返り血を浴びたから。一応船の上でも洗ったけれど、やっぱり真水で洗いたいよ」
「ああ、うん。そうだったなぁ」
「他には、羊皮紙を買って、今まで見聞きしたことを書こうかなと思っているんだ」
「自伝みたいなのを書いているんだったか。まぁ、まとまった時間ができたしな」
減った船員の募集や船の応急修理で長くなった休暇についてユウとトリスタンは楽しげに語った。出港すると今度は順調でも1ヵ月近くの航海になる。今のうちに充分地に足を付けておくのだ。
月明かりに照らされる港を眺めながら2人は食事が終わるまで明日からの予定を語り続けた。
ビウィーンの町は屈折の山脈の北側にある東部辺境の港町だ。この辺りになるとモーテリア大陸の北側に位置しているので今までよりも気候は穏やかになる。
町に上陸したユウはトリスタンと別れると町の北側を流れる下常緑の川へと向かった。そして水浴びと洗濯を始めたわけだが、思ったよりも水を冷たく感じて驚く。夏場なのでいつものように焚き火を焚かずに川へと入ったが、今回は少しばかり後悔した。
川から出て焚き火で体を温めたユウは昼から町の外にある市場へと向かった。今回はいつもの消耗品ではなく雑貨屋で羊皮紙を探す。納得のいく品質の羊皮紙が20枚だけあったのですべて購入した。
安宿に早めに入ったユウは寝台を机代わりに羊皮紙を広げる。去年から始めて旅の合間に自伝を書き続けていて、既に貧民時代のことまでは書き終わっていた。なので、今から書くのは故郷で冒険者になったときのことである。
「あのときはお金がなくて困っていたなぁ」
予定よりも早く冒険者になったせいで道具を充分に揃えられなかったことをユウは思い出した。先輩たちに連れられて森に入った最初の頃は水不足と寒さで苦しんだことも脳裏に浮かぶ。あれからまだ5年も経っていないことを知って軽く驚いた。
そんなことを思い出しながらユウはペン先をインクにひたして羊皮紙に文字を書き始める。懐かしい知り合いのことを頭の中に思い浮かべるのは楽しい作業だった。
六の刻の鐘が鳴るとユウは歓楽街の端でトリスタンと合流して酒場へと向かった。目に付いた酒場に入って席に座ると今日1日の出来事を互いにしゃべる。
「トリスタン、今日はやけに機嫌が良いじゃない」
「へへ、実はな、賭場で勝ったんだよ! 今日は最後の賭けに勝ったんだ!」
「なるほどそれで。ということは、この後は娼館に行くんだ」
「当然だぜ。今の俺ならよりどりみどりだからな!」
船の仕事で稼いだ報酬だけでなく、賭場での儲けでも懐を潤したトリスタンの勢いにユウは気圧された。こんなに喜ぶところは初めて見たので余程大勝ちしたのだろうと推測する。負けて気落ちするよりもましだが、少しだけ話しにくかった。
翌朝、ビウィーンの町の郊外へと向かったユウとトリスタンはそこで斧を使った稽古を始める。実物を使った対戦はさすがに危ないのでやらないが、2人で素振りをしたり実践的な技法を練習したりしていた。
昼近くになるとその日の稽古は終えて酒場へと向かう。このときの話題は稽古の続きだった。昼食を終えると別行動だ。ユウは自伝を書き、トリスタンは賭場に入る。そして、夕食時に再び合流するのだった。
以後、休みの間ずっとこれを繰り返す。稽古の内容が斧から剣や素手に変化することはあったが、大まかには内容が変わることはなかった。
そうして最終日の夕方、ビウィーンの町での最後の夕食を終えたユウとトリスタンは七の刻の頃に『黄金の梟』号へと戻る。船員は目測で半分ほどが戻って来てた。
船員室に入ると赤っ鼻の船員にユウは声をかけられる。
「ユウ、久しぶりだな! 休みは楽しめたか?」
「楽しめましたよ。おかげですっきりとしました」
「何してたんだ?」
「トリスタンと剣や斧の稽古をしたり羊皮紙に過去の出来事を書いたりしていました」
「なんだって?」
返事を聞いた赤っ鼻の船員は理解できないものを目にしたかのような表情を浮かべた。そのまま動かない。
笑顔だったユウは何がおかしかったのかわからずに黙った。思っていた反応とは違ったので戸惑う。
そんな2人の間にトリスタンが割って入った。赤っ鼻の船員へと話しかける。
「俺は博打で勝ったぜ! おかげで飲み食いし放題、女ともやりたい放題だったぞ!」
「おお、そうか! そうだよな! オレたちの休みってのはそういうもんだ!」
「そっちはどうだったんだ?」
「オレか? オレは酒を飲んで女とやって終わったな。カネもほとんど残っちゃいねぇ」
「俺も博打で勝った分はきれいさっぱり使い切ったよ」
「そりゃいいこった。あぶく銭はきれいになくなるもんよ。オレもそうありたいねぇ」
「次も勝って気持ち良く使いたいもんだ」
すっかり仲良く話をしているトリスタンと赤っ鼻の船員をユウはぼんやりと眺めた。少し首を傾けて何が悪かったのか考える。しかし、答えは出てこなかった。
翌朝、船の上では早朝から船員が慌ただしく動いていた。その中にユウとトリスタンの姿もある。新しく入ってきた船員たちも同じように作業をしていた。
その準備も終わるといよいよ出港だ。
今日の天気は良好で風も充分に吹いている。なので、良い航海になるのは間違いない。
『黄金の梟』号はビウィーンの町を出港した。
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