久しぶりの陸で町の周囲をぶらりと

 初夏の日差しは強い。まだかろうじて真夏のものよりかはましであるが、先日までの春の日差しとはもはや違う。


 初航海を終えてナルバの町に降り立ったユウとトリスタンはそんな日差しを受けながら町の南側へと向かっていた。ノースホーン王国の王都である町はこぢんまりとしているので大して時間はかからない。


 町の南側には歓楽街や市場が広がっていた。港から足を踏みれると、町の南門から南東へと延びる北大角の街道の東側に酒場、賭場、娼館がひしめいている。まだ朝なので客足はまばらだ。


 暑そうに手で日差しを遮るトリスタンが周囲へと顔を巡らせる。


「この辺りは夕方からが本番だな。で、これからどうするんだ、ユウ」


「さてどうしようかな。急ぐ必要はないんだけれども。ああそうだ、川を見に行こうよ」


「川? 町の北側を通って海に出ているあの川か? 確か茶色の川って言ったっけ」


「そうそう。早く水浴びと洗濯をしたいからね」


「お前って本当にそれが好きだよなぁ」


 自分の相棒がきれい好きなのを知っているトリスタンは呆れた。もちろんトリスタンも清潔な状態を好ましいと思っているが、ユウのように最優先するほどではない。


「別に良いじゃない。夏だと冷たくて気持ち良いんだし」


「ユウは真冬でも川に入るから季節は関係ないだろう」


「確かにそうだけど、それじゃ行くのやめる?」


「そこまでは言っていない。まだ朝方だから店もあんまり開いていないし、何か暇潰しになることがほしいしな」


「それじゃ行こう!」


 肩をすくめるトリスタンの賛意を得たユウは喜んで茶色の川へと向かった。北大角の街道を横切って宿屋街と市場を通り抜け、町の西側へと出る。この辺りは金属の街道と合流する北大角の街道が東西に伸びているので人通りが多い。


 町の西門から伸びる北大角の街道を西へと歩くとすぐに茶色の川の渡し場へと着いた。対岸へと渡る人や荷馬車が列を作っている。


 川を渡らない2人は街道から外れて原っぱを進んだ。そうして実際に茶色の川を目にすると、ユウは目を見開く。


「えぇ、川が茶色い?」


「これってもしかして、泥水みたいなものか。川全体が汚れているんだ」


 水浴びと洗濯を楽しみにしていたユウは地面に膝を突いた。航海中は我慢していただけに落胆も大きい。


 その様子を哀れんだトリスタンが渡し場の船頭に茶色の川について尋ねてみた。すると、この川は大角の山脈から流れており、元々土砂成分を含んでいるため茶色になっているとのことだ。そのため、年中川の色は変わらないという。


「うう、せっかくきれいになれると思ったのに。まさか川の名前そのままの色だなんて」


「まぁ仕方ないって。次に川を見つけたら飛び込もうぜ」


 相棒に優しく肩を叩かれたユウはうなだれたまま踵を返した。


 出鼻をくじかれたユウはすっかり意気消沈してしまったが、いつまでもそのままでいるわけにもいかない。大きなため息をひとつついて顔を上げた。


 立ち直ったユウを見たトリスタンが元来た道を歩きながら声をかける。


「暇潰しの手段がひとつなくなったわけだが、これからどうするんだ?」


「うーん、どうするっていうか、ひとつ考えておかないといけないことがあるんだよね」


「考えるべきこと? 何かあったか?」


戦斧バトルアックスだよ。これを手放すのかどうか決めないと」


「あー、船の上で戦うために買ったもんな」


 今思い出したという様子のトリスタンにユウはうなずいた。船上で戦うために買ったという意識が強いので、地上だとあまり必要性を感じられないのだ。


 悩むそぶりを見せながらユウはしゃべる。


「実際に使ってみたら結構便利だったから持てるなら持っておきたいんだけどれども、何でもかんでも抱えるわけにはいかないしなぁ」


「どの辺りが便利だったんだ?」


「相手を殴るっていう感覚が槌矛メイスに似ているんだ。それでいて刃で切れるっていうのがなかなか便利なんだよ」


「そりゃ使いやすそうでいいな。俺の場合は剣から斧だったから最初は困ったもんだ」


「もう慣れたんだよね。トリスタンは戦斧バトルアックスをどうしたいのかな?」


「俺はそのまま手元に置いておくつもりだぞ」


「どうして?」


「だって、また次に船に乗る機会があるはずだからだよ。いちいち買い直すのは嫌だろう」


「そういえばそうだね」


 もう二度と船には乗らないなんてことはないのでユウはトリスタンの考えに納得した。わざわざ町の中に入ってまで買った一品であることも思い出す。こうなると手放すことが惜しく思えてきた。


 2人で相談した結果、ユウは戦斧バトルアックスを手元に置いておくことに決める。普段は背嚢はいのうにくくり付けておいて必要なときに取り出すのだ。


 しゃべっているうちに2人は町の南側へと戻って来た。市場には貧民街の住民らしき人々が集まっていて結構賑わいつつある。その中を通っているとトリスタンが串肉を1本買い、うまそうにかぶりつく。


「小腹でも空いたの?」


「つい匂いに釣られてな。ユウも買ったらどうだ?」


「うーん、やめておくよ。昼に肉の盛り合わせを食べたいから」


「お前って最近昼も夜もあれを食うよな。最初は夜だけだったのに」


「好きだからっていうのもあるんだけれど、体作りの一環だよ。さすがに晩ご飯で2回分は食べられないから昼と夜に分けているんだ」


「なるほどなぁ。あ、それだと俺がたまに摘まむのはまずかったか?」


「別に良いよ。あのくらいなら取られたうちに入らないから」


 以前に師事した老職員の言葉を実践する機会を得てからのユウはそれをずっと守っていた。おいしい物をたくさん食べられるということもあってこれは今も続けている。稼ぎと蓄えが充分ある間はずっと続けるつもりだ。


 市場を抜けると宿屋街に入るが、すぐに北大角の街道へと出る。この辺りは朝でも人通りが多い。このとき、ちょうど三の刻の鐘が鳴る。


 街道の端で立ち止まったユウは町の南門へと顔を向けた。門の手前にある検問所には町の中に入る人や荷馬車が並んでいる。それらを兵士が1人ずつ調べていた。


 串肉を食べ終わったトリスタンが不思議そうにユウへと顔を向ける。


「どうした?」


「気になることをひとつ思い出したんだ。前に病人の商売人を町から町へと運んだことがあったでしょ。あのときの紹介状ってどこまで通用するのかなって」


「そんなこともあったな。その紹介状には何度か世話になったっけ」


「あの人の実家がある町の近辺や近隣の街道では通用したけど、さすがに船で渡った先で通用するのかなぁ」


「恐らく無理なんじゃないか? だって紹介状を書いた本人のことを知らないと意味ないし。港町の商売人だったらまだしも、内陸の商売人だったしな、あのご老人は」


「僕もそう思う。ただ、それを確認しておきたいとも思っているんだ」


「試すだけなら別に構わない、って言いたいところだが、問題は町の中に入らないといけないってことだよな」


 そこで2人は黙った。よそ者が町の中に入るためには入場料が必要なのはどこの町でも同じである。大抵は銀貨1枚だが、それは町の外の者にとって大金だ。いくら懐が温かいといってもその感覚は変わらない。


 しばらくぼんやりと町の南門を眺めていた2人だったが、トリスタンが思い出したかのようにユウへと声をかける。


「そういえば、ユウは神殿から身分保証状をもらっていたよな。あれはどうなんだ?」


「あれかぁ。確かマグニファ王国とその近辺くらいしか通用しないって説明された気がする」


「やっぱりそっちもそんなものか」


「試そうにも町の中に入らないと神殿には行けないしなぁ」


「忘れてた。そうだよ、城外神殿なんてそうそうあるわけじゃないからな。結局町の中か」


「うん。これも次に町の中に入ったら確認しようと思う」


 かつてこれをしたためてくれたアグリム神祭官のことをユウは思いだした。あの町では本当に色々とあったが、その成果も今はどれだけ効果があるかは怪しい。


 大陸を股にかけて旅をするユウにとってはある意味仕方のないことである。もちろんそれは承知していたことだが、やはり一抹の寂しさも感じていた。


 そんなユウに対してトリスタンが笑顔を向ける。


「今すぐ試せないのは仕方がない。とりあえず、できることからやろうぜ」


「だったら船の上で使った消耗品を買い直そう。ちょろちょろと使っていたからね」


「あー、また市場に戻らなきゃいけないのか。面倒だな」


「またあそこで串肉を買ったら良いじゃないの」


「そんな何本も食べたら昼が食べられなくなっちまうだろう。俺の胃袋は有限なんだぞ」


「僕の胃袋もそうだよ。だから昼ご飯の肉のために空けておかなきゃ」


 今度はユウが微妙な表情をしたトリスタンに笑いかけた。そのままくるりと反転して歩き出す。


 2人はしゃべりながら市場へと戻った。

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