初航海の終わり

 6月末日、『自由の貴婦人』号は目的地であるナルバの町に入港した。大角の山脈の北側に位置するノースホーン王国の王都であり、ダレティの町から茶色の川を使って運ばれてくる鉱石を輸出する町でもある。


 『自由の貴婦人』号が桟橋に横付けされると碇が降ろされた。直後に船首と船尾から係船柱ボラードに巻き付けるための縄が桟橋へと放たれる。下船した船員が素早く縄を巻き付けた。


 ここから停泊のための準備に入る。今まで立ち寄った港のときとやることは大体同じだが、今回は貨物倉の商品を港に運ぶ準備があった。商品を運ぶ人足を受け入れる準備を船員たちが進めてゆく。


 船長のアニバルは明日から忙しい。商品を積み出す人足の手配は船員に任せられるが、商品の販売は船長に一任されている。儲けるか損をするか、ここが商売人としての腕の見せどころだ。また、今回は船体の検査と修理という仕事も抱えていた。場合によっては滞在が長引くことになるし、そうなれば費用がかさむ。これをうまくこなすのも船長の手腕だ。更に、不足する船員の募集という問題もある。やるべきことはいくらでもあった。


 アニバルが頭を抱えているのを尻目に、船員たちは長めの休暇に入る予定だ。貨物倉から商品が港に移った時点で船員の役割は船の管理のみとなる。特に指示がない限りは最低限の当直を残して残りは非番になるのだ。あまりに休暇期間が長いと手持ちの金を使い尽くしてしまうが、そのときは船に帰って三度の飯にありつけば良い。とにかく、最も羽を伸ばせる時期なので楽しまない手はないのだ。


 そして冒険者であるユウ、トリスタン、エリセオの3人はここで契約終了である。帰路の航海の契約を希望するのも良し、そのまま満期終了するのも良し、冒険者側の考え次第だ。ユウとトリスタンはここで契約終了である。2人は更に北、そして東を目指すのだ。




 ナルバの町に入港した後、ユウはフィデルと一緒に調理場で炊事の作業をした。もはや迷うこともなく、ユウはフィデルと同じように働いている。


「フィデル、人を呼んでくるね」


「今日はもうみんな大した作業はないから、すぐに手伝ってくれるはず」


 出発当初よりも船員の人数が減っているので、一時期はなかなか樽や木箱の持ち運びを手伝ってもらえなかった。しかし、人員募集でいくらかましになったのでそういうことも随分と減ったのだ。特に今日のような航海最終日ともなると尚更である。


 調理場から離れたユウは甲板に出た。全体的に船員の雰囲気が明るい。明日からの休暇が待ちきれないようだ。


 そんな船員の1人、カミロにユウは声をかける。


「カミロ、夕飯の用意ができたから、樽と木箱を運ぶのを手伝ってください」


「いいぞ。やっと晩飯か」


 気軽な調子でカミロがユウに答えた。そのまま2人で調理場に向かう。


 その場にあった塩漬け肉が入った樽を2人で抱えた。そのまま甲板まで上がって置く。これを何度か繰り返した。


 最後の木箱を運ぶとき、調理場でユウはカミロに声をかけられる。


「お前も明日には出て行くんだよな」


「そうですね。お世話になりました」


「こっちこそな。船員の人数が減ったときは助かったよ。冒険者でもたまに雑用にすら使えないヤツがいるからな。それを思うと、今回の3人は大当たりだ」


「ぼくもそう思う。かなり助かった」


「役に立てたのなら嬉しいですね」


 船員2人に褒められたユウは喜んだ。こうやって雇用先に喜ばれるとやって良かったと素直に思える。


 甲板に木箱を運ぶと夕飯の配給が始まった。手の空いた者から次々に集まってくる。ユウは1人ずつ袋に食事を詰めては返していった。


 袋を突き出してくる中にはよく知っている者もいる。ディエゴもその1人だ。ユウが夕食を入れた袋を手渡すと話しかけてくる。


「ユウ、お前にメシを配ってもらうのもこれで最後だな!」


「そうですね。明日の朝はもうしないですから」


「なんかあっという間だったよなぁ。最初はこいつ大丈夫かと思ってたけど、いざ航海が始まると結構やってたもんな」


「雑用が中心でしたからね」


「戦いのときだってちゃんと戦えてたじゃないか。揺れる床の上だと戦えない冒険者だってたまにいるんだぜ?」


「その人何しに船に乗ってきたんですか?」


「わかんねぇ、はっはっは! まぁ、よくやってくれたよ」


 言うだけ言うと、ディエゴは袋を持ってその場を離れた。


 食事の配給が終わると後片付けを済ませてユウも食事である。自分の分が入った袋を持って甲板に上がり、船首側で食べているトリスタンとエリセオに近づいた。もう少しというところで2人に声をかける。


「2人とも、僕も混ぜてよ」


「お、仕事は終わったのか」


「うん、ついに終わったねぇ」


「終わったっすねぇ。着いたんすよ、ナルバの町に」


 エリセオがしゃべるのを聞きながらユウは甲板に腰を下ろした。そうして袋を開けて塩漬けの肉を囓る。塩辛いこの肉ともいよいよお別れだ。


 口の中の肉を噛んでいるユウにエリセオが話しかけてくる。


「ユウはこの後どうするんすか?」


「とりあえず北に向かうつもりだよ。また船を使うのか、それとも荷馬車にするのかはまだ決めていないけどね」


「北っすか? 何かあるんすかね?」


「本当は東の果てに行きたいんだけど、ここからだと一旦北に向かわないといけないそうなんだ。だから北に行くんだよ」


「なんすかその理由は」


 よくわからないという表情を浮かべたエリセオがトリスタンへと顔を向けた。しかし、口を動かしながら肩をすくめられただけだ。


 今度はユウがエリセオへと問いかける。


「エリセオはこれから何をするの?」


「オレはダレティの町に行くんすよ。ちょっと昔約束したことがあって、今から果たしに行くんす」


「へぇ、そのためにエンドイントの町からここまできたんだ」


「そうっすよ。いや、結構苦労したっす。それももうすぐ終わりっすけどね」


「その約束って何かな?」


「ダレティの町の冒険者ギルドで活動するっていう約束っすよ。知り合いがそこ出身のヤツで、周りの国を巡ったらこっちに来いって言われたんす。命を助けられちゃ、イヤとは言えないっすよねぇ」


「ということは、これからはずっとダレティの町にいるんだ」


「その知り合いが生きているうちはっすね」


 どうやらエリセオはその知り合いと強い絆で結ばれているようだ。嬉しそうに語るエリセオをユウとトリスタンは眩しそうに見る。


「そうそう、オレ、明日の朝はさっさと出て行くっすから、たぶん顔を合わせないんじゃないっすかね。だから、今のうちに別れの挨拶を言っとくっすね。さよならっす!」


「ええ!? 早いなぁ」


「お前、最後までそんな調子だよなぁ。何となくそうなんだろうなとは思ってたけど」


 突然別れの挨拶を言われたユウとトリスタンは呆れた。どんな別れ方をするのかは人それぞれだが、エリセオのような別れ方は初めてである。


 その後もとりとめのない話をしながら3人で夕食を食べた。3人での団欒はこれで最後だが調子はいつもと何も変わらない。


 何となく自分たちらしいとユウは思った。




 翌朝、ユウとトリスタンは二の刻の鐘と共に目覚めた。船員室の寝台から出ると背伸びをして、甲板へと出る。朝日は既に水平線からいくらか上がっていた。今日も良い天気だ。


 軽く体をほぐしてからユウは甲板をぐるりと巡る。二ヵ月以上旅をしてきた『自由の貴婦人』号ともこれでお別れだ。愛着はないが哀愁は少しある。


 相棒に呼ばれたユウは倉庫へと向かった。自分の荷物が固定されている場所に近づく。そして、荷物が2人分しかないことに気付いた。確かに宣言したとおりである。


 薄らと顔をにやけさせたユウは自分の荷物を取り出した。まずは干し肉を取り出して囓る。この船での契約は昨日で終わっているので朝食は自分で用意しないといけないのだ。


 急ぐこともないのでゆっくりとすべて食べると、次に革の鎧を身につける。航海中はずっとここに置いていたので何と二ヵ月以上ぶりの装着だ。冒険者になって以来、鎧を身につけないでいた期間としては圧倒的に長い。そうして背嚢はいのうを背負うと準備が終わる。


 2人が甲板に上がると船長のアニバルが大檣メインマストの下で立っていた。ユウたちを見て笑みを浮かべている。


「来たか。報酬を渡そう」


「確かにありますね」


「よくやってくれた。助かったぞ」


「僕も初めて海に出られて良かったです」


「これからの旅の幸運を祈っているからな」


「ありがとうございます。それでは」


 船長から報酬を受け取ったユウは懐にしまうとトリスタンと一緒に桟橋に降りた。振り向くことなくそのまま進む。


 横に並んだトリスタンがユウに話しかけると会話が始まった。楽しそうにしゃべる。その様子のまま、2人は港を後にした。

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