一難去ってまた一難

 嵐をやり過ごした『自由の貴婦人』号の船員は全員無事だった。その事実は全員を安心させる。次いで、船自体と荷物、それに道具や器具がどうなっているかを手分けして点検した。船体には損傷はなし、貨物室と倉庫にある荷物もすべて問題なし、道具はデッキブラシや細かい道具がいくつもなくなっていたが備品程度なので何とかなる、器具は破損した物はなし、という状態だ。無事乗り切ったと言えるだろう。


 その代償として船員は気力を使い果たしていた。嵐に対応するため全員が一晩丸々働き続けたのだ。力尽きているのは当然だろう。船長のアニバルもそれは理解している。なので、船をゆっくりでも良いので動かし、最低限の当直を残して寝るように命じた。


 このように、航行以外の仕事は一旦中止されたわけだが例外もある。炊事の作業だ。人間は食べないと生きていけず、更には疲労を回復させるには睡眠だけでなく食事も必要なのである。


 炊事の担当であるユウとフィデルは、そのため普段通りの仕事を求められた。普段は楽な仕事だと言われることもある炊事の担当者だが、こういうときも休まず働いているので文句を言われることはないのだ。


 調理場にてユウはフィデルに従って炊事の作業を進めている。寝不足と疲労で疲れているが、炊事の担当を任されているので他の船員や冒険者ほど休めない。このときばかりはこの作業が恨めしかった。


 目の下に隈が現れているフィデルが手を動かしながら口を開く。


「ユウ、昨日はありがとう。あれはかなり助かった」


「ナイフが飛んできたときは驚きましたよ。倉庫並みに物を固定するのに時間がかかるとは思いませんでした」


「ちょうど夕飯の支度を始めるところだったのが悪かった。おのれ嵐め」


「いくら調理場が狭くても、1人じゃ物の固定はできないですからね。ふぁ」


「ぼくも眠い。手を切らないように気を付けて」


「はい」


 せっかく嵐を無傷でやり過ごしたというのに、寝不足で指を切るというのは何とも冴えない話だった。ユウは眠気を払いながら塩漬け肉を均等に切ってゆく。


 昼食の準備とその配給が終わるとユウもようやく食事にありつけた。相変わらず塩辛くて硬くてぱさぱさした感触だ。それを微妙な味のワインで流し込む。いつも通りだ。


 食欲を満たすと次は睡眠欲である。腹が膨れたこともあっていよいよ眠気が我慢できない。後片付けもそこそこに船員室に入って寝台に潜り込むと、意識を失うように眠りについた。




 船に備え付けられた寝台は快適に眠れる代物ではないが、それでも床で眠るよりはましだ。しかも、毎晩疲れ果ててから横になるのだから体は快不快を言う暇もなく眠りを貪ろうとする。


 このときのユウは特にそうだった。徹夜明けの上に疲れが溜まっているので、むしろ短時間で起こすのが大変なくらいだ。最初の頃は気になっていた船の揺れも今ではすっかり気にならなくなっている。


 目を閉じてほとんど意識がなかったユウは何か些細なことがいつもと違うと感じた。しかし、体が睡眠を欲しているせいでその違いを無視する。まだこの何倍も眠りたいのだ。


 目を閉じてほとんど意識がないユウは揺れがいつもより複雑だと感じた。波に揺られるだけならばもっとゆったりとした動きになる。小刻みに揺れるような感じはしない。しかし、体が睡眠を欲しているせいでその違いを無視する。まだ眠り足りないのだ。


 目を閉じているユウは次第に意識を目覚めさせた。揺れもそうだが、何か遠くで騒ぐような声が聞こえる。嵐が過ぎて今はのんびりと航海しているのだ。騒ぐようなことは何もない。体は睡眠を欲しているが周りの状況が気になってくる。


 目を閉じているユウは一応意識をはっきりとさせた。やはりいつもとは違う。何があるのか気になった。


 ようやくユウは目が覚める。頭の重さからまだそんなに眠れていないように感じた。外で何かの作業をしているわけでもないらしい。


「というより、この振動って何だろう?」


 ゆっくりと寝台から起き上がったユウは頭を振りながら周囲を見回した。船員室には誰もいないらしい。今日は当直以外は昼間から眠っても良いのだから、この状態は異常と言える。


 頭を左右に振ったユウは船員室から出た。そこへ血相を変えたカミロと出くわした。ちょうど良かったので驚きつつも疑問をぶつける。


「カミロ、今何かやっているんですか?」


巨大蛸ジャイアントオクトパスに船が襲われたんだ。このままじゃ船が潰されてしまうぞ!」


「え!?」


 魔物の襲撃と告げられたユウは口を開けて驚いた。昨日の今日でまた災難に遭うなど予想外である。


 撃退するよう命じられたユウは急いで倉庫へと向かった。ナイフやダガーのような小ぶりな武器は役に立たない。だから、このときのために買った武器を手にする。


 自分の荷物から戦斧バトルアックスを取り出したユウはそのまま甲板へと向かった。扉を開けて船内から飛び出すと、そこで繰り広げられている戦いを目の当たりにする。


 船を襲ってきているのは巨大蛸ジャイアントオクトパスと呼ばれているが、実際に襲撃されたときに人間が見るのはほとんどがその赤い脚のみだ。右舷と左舷の両方から5本ずつの脚が海中から伸びてきて甲板上の人間に襲いかかっている。大抵頭は船底に取り付いて見えないのだ。


 脚そのものはぬめり気があり、これを振るって人間を叩き潰そうとする。あるいは、脚の内側に付いている吸盤で人間を捕まえて海に引きずり込もうとするのだ。


 船と人間を襲うという以外は普通の蛸とそう変わらないのだが、ジャイアントと名前が付いているだけあって大きい。仕留めたという話はほぼないそうなので脚の大きさから推測するしかないということだが、体長は数十レテムになるという。これだけの大きさになると、単に脚を振るわれるだけでも人間にとっては脅威だ。


 そんな海の魔物が『自由の貴婦人』号に張り付いていた。かなり異様な光景だ。


 左右を見て近くにディエゴがいたので声をかける。


「ディエゴ、今どうなっているんですか?」


「さっき突然襲われて、それ以来あの脚を切ろうとみんなで反撃してるんだよ。どこでもいいからお前も参加しろ! おお、やったか!」


 ユウが説明してもらった直後、右舷の船首辺りで歓声が上がった。脚の1本を切断したらしい。こちらの攻撃が通じることに全員が勇気づけられる。しかし、直後から蛸の脚の動きが激しくなった。


 対応がより難しくなったことに船員たちが苦慮する中、ユウは冒険者の姿を探す。すると、左舷の船尾辺りでトリスタンとエリセオが蛸の脚と戦っているのを目にした。急いでそちらへと向かう。


「トリスタン、エリセオ!」


「ユウか! 遅いぞ!」


「助かったっす! オレの槍じゃ牽制にしかならないんっすよ!」


 叫びつつもエリセオは槍で蛸の脚を牽制していた。その隙にトリスタンが戦斧バトルアックスで蛸の脚に切りかかる。ただ、脚を1本切られた後は怒ったのか、動きが前よりも激しくなって戦いづらくなっていた。


 そこへユウも加わる。エリセオが牽制しつつ、ユウとトリスタンが攻撃をしていくのだ。最悪どちらかが更に牽制に回って1人が攻撃に徹しても良い。1人加わったことで戦いの幅が広がった。


 調子付いたユウたち3人は動きの激しくなった蛸の脚にも対応する。1人あるいは2人で赤い脚を切りつけて確実に弱らせた。ある程度傷つければ動きが鈍るので途中からはやりやすくなる。


 何度も攻撃をしているうちにユウたち3人もついに蛸の脚を1本切り落とした。切断した先が左舷の船縁に当たって海に落ちる。


「やったぜ! でかくてもこれだけじゃな!」


「何とかなるもんっすねぇ!」


「あれ、逃げていく?」


 脚1本を切断して喜んでいたユウたち3人は周囲の脚が海中に沈んでいくのを目にした。そうしてしばらくしてから、『自由の貴婦人』号が浮かぶ海上近辺が黒く染まる。ディエゴによると、これは巨大蛸ジャイアントオクトパスが逃げ去るときの現象ということだ。


 これにより船員たちは撃退したことを確信して歓声を上げた。更に船長のアニバルが勝利宣言をして喜びに沸き立つ。ようやく終わったのだ。


 ユウたち3人もこの勝利を喜ぶ。またしても危機を乗り越えることができたのだ。逃げ場のない船の上では何よりの状況である。


 同時に気が抜けたユウは大きくため息をついた。まだ眠り足りないことを思い出す。今は戦いの興奮が抜けていないが、後でまた睡魔に襲われるだろう。恐らくそのときは炊事の作業をしているはずだ。そう思うと休めるのは当分先の話になる。再び小さくため息をついた。


 船長のアニバルが船員たちに作業の指示を出し始める。後片付けの時間だ。ユウたち3人もカミロから呼ばれて作業に駆り出される。


 ユウは深呼吸を何度か繰り返して何とか気合いを入れ直した。

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