いつもより長い停泊(前)
船員室の寝台で横になっているユウは外の様子がかすかに騒がしくなったことに気付いた。それに合わせて起き上がり、背伸びをする。背中の傷はもう痛まないが何となく違和感はあった。最初の頃に比べて随分とましになったことを実感する。
近くの寝台へと目を向けると負傷した船員5人が寝台に横たわっていた。海賊の襲撃を撃退して以来ずっと寝台にいるので全員暇そうだ。
「おい、ユウ。たぶんもう港に着いたんだよな。この外の騒がしさからして」
「そうだと思いますよ」
「外の様子をちょっと見てきてくれねぇか? はっきり知りてぇんだ」
「わかりました。誰かに聞いてきます」
重傷者の1人に頼まれたユウはうなずいた。自分も気になっていたのでちょうどよい口実である。
昨日以来、ユウは起き上がれない船員の面倒を見ていた。傷口がある程度癒えて元気になってくると暇に耐えかねて申し出たのだ。動ける船員の人数が減っていたこともあり、この提案はすぐ船長に受け入れられた。看病する人手を船の仕事に回せるからである。
船員室を出たユウは廊下で炊事担当のフィデルと出くわした。驚きつつも声をかける。
「フィデル、ご飯の用意をしているの?」
「そう。もうすぐ港に着くから忙しいのも今日で終わり」
「やっぱりもうすぐ着くんだ。怪我人の人が勘付いたらしくて、確認してほしいって頼まれたんだよ」
「甲板に行ったらいい。みんな作業してる。ユウの怪我はもう大丈夫?」
「少し違和感があるくらいだけど、動く分にはもう平気だよ。次の出港のときからはまた働けるはず」
「それは良かった。当てが外れて大変だったから」
苦笑いしたユウは曖昧にうなずいた。航海の前半しか手伝えていなかったので言い返しにくい。ただ、本気で言われていないのはすぐにわかった。
フィデルと別れたユウは甲板に出ると周囲を見回す。確かに船員たちが声を掛け合い、動き回って操船していた。そして、船首の先の地平線に陸が見えているのに気付く。
約2週間ぶりの陸地を目にしたユウは心底安心した。
たどり着いたのは北鉤爪半島の根元にあるレニッシュの町だ。大角の山脈から採掘される鉱石を船に積み替える港町だが、潤いの川近辺の湿地帯次第で輸送状況が不安定になりやすいので産業としては安定していない。代わりに、往来する船舶の補給拠点として栄えていた。また、この町は隣国からは独立しており、商人ギルドの合議制で運営している自治領の中心地でもある。
そんなレニッシュの町の港に到着した翌朝、ようやく下船許可が下りた。今回の休暇は何と6日間である。それもそのはず、海賊に襲われて損傷した船体の修理と船員の補充をするためだ。良い理由ではなかったが、長く休めるのならば誰も文句はない。
非番の船員たちが次々と下船していく中、ユウはトリスタンとエリセオを伴って倉庫にいた。
「久しぶりに鎧を身につけたなぁ。やっぱりこれがあると安心できるよね」
「まったくだ。ユウもそれを装備していたら、怪我をすることもなかったのにな」
「まぁね」
「準備ができたら早く行こうっすよ! 船長に報酬をもらって船を下りるっす!」
久々の下船にエリセオが興奮していた。気持ちはわかるがその逸りようにユウとトリスタンは苦笑いする。
全員が用意し終えるといよいよ下船だ。甲板に出ると
「お前らも下船するのか」
「はい。今回の報酬をもらえますか」
「いいぞ。よくやってくれた。海賊を撃退した報酬を上乗せしてあるから結構な額だぞ」
「本当だ。ありがとうございます。休暇は今日から6日間でしたよね」
「その通りだ。海賊にやられた船体の修理と船員の募集に少し時間がかかるからな。まったく、これだから海賊は嫌いなんだ」
「僕たちはこれで失礼しますね」
「ユウ、特にお前はゆっくりと体を休めろよ。戻って来たときに傷が癒えてません、ってのは許さんからな」
にやりと笑う船長にユウはしっかりとうなずいた。
ちなみに、報酬は目的地の町があるノースホーン王国の貨幣で受け取っている。レニッシュの町は通貨を発行しておらず、沿岸諸国の通貨がそのまま使えるからだ。自治領化している港町はこの傾向が強い。なので、クロート銀貨で何か物を買ってノースホーン銅貨でおつりをもらうという両替の小技が使えたりするのだ。
報酬金額の確認を終えたユウたち3人はついに桟橋へと降りた。そうして石材で固められた岸壁へと移る。久しぶりの地面だ
足で何度か石畳を踏みしめたトリスタンがつぶやく。
「やっぱり揺れない地面は安定感があっていいなぁ」
「それより、これからどこに行くっすか? 三の刻の鐘はさっき鳴ったっすから、店は開いてるっすよ」
「僕は先に今日泊まる宿に行くよ。服を洗って切れた部分を縫わないといけないから」
「あ~、ユウの背中の所ってぱっくり開いてるっすもんねぇ」
今は背嚢で隠れて見えないユウの背中を覗き込むようにエリセオが体を傾けた。それから小さくうなずく。
「トリスタンはどうするっすか?」
「ユウがどの宿に泊まるのか確認してから遊びに行くよ。寝る宿は同じにしたいからな」
「だったら、オレもユウの宿までついて行って、それから一緒に賭場に行くっすか?」
「いいね。そうするか」
方針が決まった3人はすぐに動いた。港から町を挟んで反対側にある西門近辺の宿屋街に向かう。ユウが安宿を1つ選ぶと、残る2人は踵を返して賭場へと足を向けた。
仲間を見送ったユウは安宿に入ると主人に宿泊する旨を伝えた。宿泊客が出払ったばかりでの来客に目を丸くした主人だったが、宿代を手渡されると承知してくれる。更に体を洗うための水と服を洗うための灰汁入り水を求めた。こちらも料金を支払うと桶に入れて用意してくれる。
さすがに大部屋内では水を使えないので、ユウは郊外まで桶を2つ持って歩いた。ほとんど人の姿が見えない立ち木の下に桶と背嚢を置くと空の麻袋を地面に敷く。それから鎧と服を脱いで座った。まずは上の服を手もみで洗って木の枝に引っかけ、次にズボンを洗う。ついでに革のブーツも磨いた。次に包帯を取って手拭いで体を拭いてゆく。患部のある背中を拭くときはかなり緊張したが、痛みを感じないことを知って全身の緊張を解いた。
最後は頭と髪の毛を洗って拭き終えると周囲をぼんやりと眺める。春真っ盛りの原っぱは緑色一色で名前も知らない小鳥が飛んでいた。
「よく生きて陸に上がれたなぁ」
この2週間の航海を思い返したユウはつぶやいた。軽い気持ちで乗ってみたいと思っていた船での旅は想像よりもはるかに厳しくて驚いている。事前に話を聞いていてもそうだったのだから正直認識が甘かったと言えた。では、船に乗って後悔しているのかというとそんなことはない。乗って良かったと思っている。
いくら春だからといっても長時間素っ裸でいるのはいささか肌寒かった。しかし、服を着る前にその服を取り繕う必要があったので、ユウは背嚢から裁縫道具を取り出す。服の背の部分を表にして針と糸で裂け目を縫っていった。ついでにほつれている箇所がないか他の場所も確認していく。
町のある方角から鐘の音が聞こえてきた。四の刻になったのだ。空腹であることを思いだしたユウは取り繕った生乾きの服を着て道具をしまう。鎧を身に付けて背嚢を背負うと汚水を捨てた空の桶を両手に持って町に戻った。
安宿で桶を返したユウは近くにある安酒場へと入る。昼時なので盛況だ。空いているカウンター席に座ると給仕女に料理と酒を注文した。その際、服が濡れていることを訝しがられるが無視する。
前の港町で休暇を取っていたときからすっかり昼食を酒場で取ることが習慣になった。今までは節約と称して朝昼は干し肉を食べていたが、もちろん酒場で温かい食事を食べる方が良いに決まっている。それに、以前教えてもらったこととして、体作りのためにたくさん肉を食べることにしたのだ。
給仕女が料理と酒を運んで来た。エール、黒パン、野菜入りのスープ、そして肉の盛り合わせだ。大体どこでも同じ物を食べているが、安心して食べられるというのは重要である。
まずはエールで喉を潤して、それから黒パンをちぎってスープにひたして口に入れた。硬い黒パンが口の中であっさりとほぐれてゆく。次いで一切れの豚肉の薄切りを頬張った。油が口の中に広がる感触がたまらない。
眠るときとはまた違った安心感が体に広がった。しかし、空腹がその余韻にひたることを許さない。次の食べ物を口に入れるように催促してくる。
笑顔のユウは次に何を食べるか迷った。
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