手の空いているときにすること
出港前日から『自由の貴婦人』号に乗り込んだユウとトリスタンだが、しばらくは1日中働き詰めであった。専門の知識と技術が必要な作業はできないが、雑用もたくさんあるからだ。それでも、何日かすると日々の作業も落ち着いてくる。
昼食後の作業も一段落したユウは調理場から解放された。甲板に出ると、ちょうどカミロが近づいてくるのを目にする。
「カミロ、炊事の仕事が終わりました。何かやることはありますか?」
「探せばあるが、今は無理にしなくてもいい。お前は晩飯の仕事がこの後あるだろう?」
「夕方にですけどね。ということは、次の仕事まで休憩しておけば良いんですか?」
「正しくは待機というんだ。ともかく、好きにしたらいい」
「船員のみんなは待機のときに何をしているんです?」
「寝るか雑談か博打だな。ただ、博打は身ぐるみを剥がされるヤツが出てくるから制限をかけてるが」
思ったほどやれることがないことをユウは知った。自分がやるとしたら寝るか雑談だろうなと考える。少なくとも博打はない。
小首を
「トリスタンとエリセオはどこにいるんですか?」
「
「わかりました。探してみます」
仲間のおおよその居場所を聞いたユウは踵を返した。広くない船内から出てくるときに見かけなかったということは、通りがかった場所以外にいるということである。
当たりを付けてユウが倉庫を覗くと、果たしてトリスタンとエリセオはいた。よく見ると武器を磨いている。
「こんな所にいたんだ。2人とも、武器の手入れをしているの?」
「そうだぜ。高い金を払って買ったんだ。使うときに錆びていたら嫌だろう?」
「使ってる途中で折れたり壊れたりするのもイヤっすからね!」
「さっきカミロから2人は待機中だって聞いたけど、今は仕事がないんだ」
「やらなくちゃいけない雑用はあらかたやったからなんだそうだ。何もなければ、次の港までこんな感じらしいぞ」
「そうっす。無事なときはこうやってのんびりできるから、いいっすよねぇ」
揺れる倉庫内でのんびりとしゃべりながらトリスタンとエリセオは武器を磨いていた。
それを見ているとユウもやっておいた方が良いと思えてくる。
「ユウは
「船に乗る前に磨いたし、まだ1度も使っていないから今は良いかなって思ったんだ。それより、ナイフはちょこちょこ使っているからこまめに拭かないとね。本当は刃を研ぎたいんだけど、真水がないからできないんだ」
「あ~、水がないってのはつらいっすよね。オレも穂先をちょっと磨いておきたいんすけど、海水ではやりたくないっす」
「樽に入っているのは全部お酒だもんね」
腐りやすいのは食料だけでなく水も同じだ。だからこそ飲み水として酒を積み込むのである。酒精は防腐対策として重要なのだ。
それからは3人で雑談をしながら武器を磨いた。全員冒険者なだけあって武器については使い方を中心になかなかの造詣がある。実際に戦ったときの話も交えて結構な盛り上がりを見せた。
ユウはナイフを磨き終えると次にダガーを、それも終わると
手入れが一番最初に終わったのはエリセオだった。磨いていた武器を片付けると立ち上がって大きく背伸びをする。
「ん~、終わったっす~!」
「鎧の手入れはしないのか?」
「今はしないっす。今の調子だとこれからも待機の時間はありそうっすから、そんときに防具の手入れをするっすよ。オレはこれから船員室で一眠りするっすけど、2人はどうするっすか?」
「俺はもう少し武器を磨くよ。寝るのはそれからだな」
「僕も同じかな。防具はまた今度にしようと思う」
「それじゃ、先に寝るっすよ」
2人の予定を聞いたエリセオは軽く手を振ると倉庫から出て行った。
次いで手入れを終えたのはユウである。そうして手拭いを背嚢にしまおうとして、中に柑橘類があることを思い出した。皮の薄いゼッカを1つ取り出す。かつて聞いた話では、これで船乗り病を防げるはずだった。
柑橘類のゼッカを手にしたままユウは再び座り込んだ。皮を向こうと指を立てるが思うようにいかない。少し顔をしかめてしばらくじっとゼッカを見つめると、今度は磨いたばかりのナイフを取り出して半分に切り裂いた。すると、瑞々しい果肉が見えると共に酸味のある香りがかすかに近づけた鼻腔を突いてくる。見た目は旨そうだ。
顔を上げたトリスタンからユウは声をかけられる。
「あれ? それってこの前買った柑橘類だよな。ゼッカかダーシュのどちらか」
「ゼッカだよ。皮の薄い方だけど、ナイフがないと食べられないみたい」
「で、味はどうなんだ? 店の親父は酸っぱいって言っていたが」
「これから食べるところだからまだわからないよ」
言いながらナイフを使って食べやすいようにゼッカを切ったユウはその一切れを口に入れた。そして噛んだ瞬間、強い酸味が口の中いっぱいに広がって身悶える。酸っぱいとは聞いていたが、ここまでだとは予想していなかったので完全に不意打ちを受けた形だ。
不安そうな表情のトリスタンが心配げにユウへと声をかける。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。予想以上に酸っぱかっただけ。結構強烈なんだ、これ」
「食えるんだよな?」
「果物だからね。食べるのは問題ないみたいだよ。酸っぱいけど」
「今のお前の姿を見ていると、俺は食べたくなくなってきたぞ」
「でも、これを食べたら船乗り病が防げるんだから仕方ないよ。ただ、どうしてみんな食べたがらないのかは理解できた」
「俺もユウを見ただけでそれを理解できたよ。でも、きつそうだなぁ」
嫌そうな顔をするトリスタンを見ながらユウは口の中に残る酸味の余韻に苦しんでいた。できればもう口にしたくなかったが、まだゼッカの果肉のほとんどは残っている。意を決してもう一切れを口にした。そして、再び身悶える。1回目のときより酸味はましに感じられたが、あまり慰めにはならない。
トリスタンも手入れを終えたので武器を片付けた。その相棒にユウは話しかける。
「良い機会だから、トリスタンも買ったやつを食べたらどう?」
「え? あ~、そうだなぁ」
「どうせいつかは食べなきゃいけないんだし、今食べておいた方が良いと思うよ」
「やけに勧めるじゃないか」
「そりゃ病気を防ぐためだからね、酸っぱくても我慢しなきゃ」
「なんか犠牲者を増やそうとしているようにしか聞こえないんだよな」
「そんなことないって」
明らかに腰が引けているトリスタンにユウは強く勧めた。病気予防のために柑橘類を手に入れたのだからその主張は正しい。
再びゼッカの一切れを食べてユウが身悶えている中、トリスタンが気が進まなさそうに自分が買ったゼッカを背嚢から取り出した。そして、渋い顔のままナイフで手にした果物を半分にし、食べやすいように更に切り分ける。
一切れを摘まみ上げた相棒が自分に目を向けたのに気付いたユウはうなずいた。しばらく一切れの果肉とにらめっこをしていたトリスタンがそれを口にして身悶えるのを見る。
「酸っぱ!? なんだこれ!」
「それがゼッカの味だよ」
「強烈だな! 本当に食い物なのか?」
「食べられるんだから食べ物でしょ」
「最初に食べた奴は一体何を考えて口に入れたんだ」
「たぶん、何も考えていないんじゃないかな。そして、僕たちと同じようにあまりの酸っぱさに地面を転がったに違いないよ」
相棒と受け答えをしながらユウは何度目かの一切れを口に入れた。まだ酸味をきつく感じるが、最初のときほどの強烈さはもうない。水を飲んで口を洗い流そうかとも考えたが、それをするとまた酸っぱさに苦しみそうに思えて我慢をしている。柑橘類は何とも悩ましい食べ物だと強く思った。
ようやく強い酸味から立ち直ったトリスタンが涙目になりながら口を開く。
「ああ、これをこれから食べなきゃいけないのか。やたらと塩辛い肉といい、ぱさぱさのビスケットといい、船旅はきつい食べ物ばっかりだな」
「食べ物に関しては、まだ荷馬車の護衛の方がましだね」
「やっぱり街道伝いに進んだ方が良かったんじゃないかって今になって思うよ」
しょんぼりとしたトリスタンに対してユウは苦笑いを返すのみだった。まさか食べ物の苦労で後悔するとは予想外である。死ぬような目に遭うよりかははるかにましだが。
手にした残りの果肉を目にした2人は小さくため息をついた。
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