乗船、そして出発

 南鉤爪半島近辺の春ともなると日の出の時間は二の刻前後になる。この時期の日差しは柔らかいので目覚めにはちょうど良い。


 朝日と共に目覚めたユウとトリスタンは出発の準備を整えると安宿を出た。目指すは次の仕事場である『自由の貴婦人』号だ。


 町の郊外に広がる原っぱは出発する荷馬車や旅人でざわついているが、港は出港する船の準備で騒がしい。たまに桟橋から船が離れてゆく。


 2人は港の東の端近くにある桟橋に着いた。『自由の貴婦人』号が目の前に停泊している。船へと架けられている板を伝って甲板に降りると、彫が深く日焼けした顔の男を見かけた。一昨日に挨拶を交わしたカミロだ。


 槍を持った冒険者のような身なりの男と話をしているカミロにユウたちが近づいて行く。


「おはようございます、カミロ」


「ユウにトリスタン、来たか。こいつを紹介しよう。お前らと同じ冒険者のエリセオだ。目的地は一緒でナルバの町までで、これから一緒に働くことになる」


「おはようっす! よろしくっすね!」


「初めまして。ユウです。こっちはパーティメンバーのトリスタンです。1人なんですか?」


「そうなんっすよ。ちょっと色々とあったんっす」


 調子良く受け答えしてくれるエリセオにユウはそれ以上尋ねなかった。一時的に同じ場所で働く人の過去を探るのはぶしつけだからだ。


 冒険者同士3人の自己紹介が終わるとカミロが声をかけてくる。


「今日集まるはずの冒険者がすぐに全員揃ったのはツイてるな。それじゃ、まとめて船を案内する。そんなに広くないからすぐに終わるだろうが、今日から自分たちの仕事場になる船だからよく覚えておいてくれ」


「了解っす!」


「まずは今いるこの場所は甲板という所だ。船の中で最もよく往来する場所の1つだな」


 挨拶もそこそこにカミロの案内が始まった。甲板から始まって、船首近くにある碇を巻き上げる車地キャプスタン大檣メインマストの背後にある倉口カーゴハッチ、その中の貨物倉カーゴホールド、次いで船尾に移って船員が寝泊まりする船尾楼甲板室プープデッキハウス、その上の船尾楼甲板プープデッキや食料や道具を保管する倉庫など、一通り案内をしてもらう。


 再び甲板に戻ってくると、カミロがユウたち3人に告げる。


「以上だ。お前たちに関係するところはそう多くない。すぐに覚えられるはずだ。それよりも1つ、注意しておきたいことがある。船のマストを中心にロープが張り巡らされているのが見えるだろうが、これはできるだけ触るな。これがおかしくなると船が正しく進んでくれなくなるからだ。他の器具にも言えることだが、こいつは特に目立つから最初に言っておくぞ」


「魔物や海賊と戦うときは触ってもしょうがないっすよね?」


「それは緊急事態だからな。ただ、武器で傷つけないようにするんだぞ」


「うわー、そりゃ大変だなぁ」


 無表情な目を向けるカミロを気にすることなく、エリセオがのんきそうな声を上げた。発言の割には何とも思っていなさそうな態度である。


「質問がないようなら早速作業をしてもらうが、その前に荷物をまとめて倉庫に片付けてもらう。船の中は狭いから、身の回りの物は最小限だけにしておくように」


「武器も一緒に片付けておくんですか? それとも身に付けておいた方が良いんでしょうか? 僕の場合、戦斧バトルアックスなんですけど」


「ナイフやダガーくらいならともかく、それも倉庫に片付けておいた方がいい。作業をするときに邪魔になる。それに、海賊と戦うことになる場合は戦闘準備の期間があるから、そのときに倉庫から取り出せばいいだろう」


「魔物に突然襲われたときはどうするんです?」


「できるだけ素早く武器を取りに行けばいい。実際、魔物に襲われたからといってすぐに船が沈没させられるようなことはさすがにないからな。ああただし、耳栓だけは常に持っておくんだぞ。耳栓は持ってるよな?」


「あ、はい。それは持っています」


 質問の回答を得たユウはうなずいた。魔物の襲撃直後には若干不安が残るが、今まで説明されたやり方で生き残っているのならばと受け入れる。


 カミロに率いられて再び倉庫にやって来たユウたち3人は、すぐに使わない荷物を背から降ろし、武具や道具も身から外した。ユウも、ナイフ、ダガー、水袋、そして耳栓以外は倉庫の片隅に縛り付けておく。そうでないと大きく揺れたときに飛び散ってしまうからだ。しかし、戦斧バトルアックスだけはすぐに取り出せるようにしておく。


 荷物を片付け終えた3人はカミロの前に集まった。その中の1人、トリスタンが顔をしかめながらカミロに話しかける。


「それにしても、この中の臭いはひどいな。カミロ、この吐きそうな臭いは何とかならないのか?」


「船底に溜まった汚水や船に紛れ込んだ鼠なんかのクソが原因なんだが、どうにもならんな。慣れるまで我慢するしかない」


「この中でみんなと雑魚寝するのか。たまらないな」


「さて、これで働く準備ができたわけだ。今から早速働いてもらう。ついて来い」


 トリスタンの愚痴を受け流したカミロが踵を返して歩き始めた。再び甲板に出る。


 すると、桟橋から開いた倉口まで荷物を抱えた人足が次々とやって来るのをユウたち3人は目にした。荷物は貨物倉へと順次運び込まれている。


「お前たち3人は今から、荷物を貨物倉カーゴホールドに降ろして受ける作業を命じる。おい、お前ら! 今からこの冒険者3人も混ぜてやれ! 階段の所を担当させるんだ!」


 カミロが大声を上げると作業中の人足や船員が全員振り向いた。多少気圧されながらもユウたちは作業中の者たちへと近づく。


 そんな3人に浅黒い肌の人なつっこい笑顔を浮かべた男が声をかけてきた。前にカミロと共に挨拶をしたディエゴという船員である。


「お、やっと来たな。それじゃこっちに来てくれ。倉口カーゴハッチから階段の底まで並んで、荷物を順番に相手へと渡していくんだ。重いから気を付けろよ」


「オレ、一番下に行くっすよ!」


 説明を聞いたエリセオが真っ先に声を上げて倉口から貨物倉へと入っていった。次いでユウが階段の真ん中まで降り、トリスタンが倉口の上に立つ。


 順番が決まると作業が再開された。トリスタンが人足から木箱を肩で受け取ると、その顔が歪む。わずかに揺れる船上をゆっくりと歩いて倉口から少し階段を降りてユウへと木箱を受け渡した。次はユウの顔が歪む。慎重に階段を降りたユウは待っていたエリセオにその木箱を引き渡した。すると、やはりエリセオの顔も歪んだ。


 何度か木箱を運んでいるとディエゴの声が飛んでくる。


「おら、そこの3人! 遅いぞ!」


「この揺れる船の上で重いのを運ぶのって地味にやりにくいんだよ」


「早く慣れろ。こんなんじゃ日が暮れても終わらないぞ」


「今日1日ずっと木箱を運ぶのかよ」


「遅れてた荷物が今日やっと届いたんだ。全部積み込むまで終わらないからな!」


 ユウたち3人を監督する立場になった様子のディエゴが腕を組んでトリスタンに返答した。一方、3人を送り込んだカミロの姿は既にない。


 木箱を貨物倉に運び込む作業は延々と続いた。途中、三の刻に小休憩、四の刻に食事休憩があったが、それ以外は延々と木箱運びだ。疲れもしたが、それ以上に肩が痛い。


 結局、貨物倉への木箱の運び込みは五の刻近くまでかかった。ユウはすっかり疲れてしまっていたが、トリスタンとエリセオは完全にへばってしまっている。


 次いで、一休みしてからユウたち3人は道具を磨く作業を与えられた。小さく軽い物から大きく重い物まで多様である。これを六の刻の鐘が鳴る頃までさせられた。


 そうしてようやく1日の作業から解放される。3人とも気力体力共に余裕はなかった。


 翌朝は日の出前に起こされる。この日はいよいよ出港するので全員が慌ただしい。


 甲板に立つアニバルが船員に対して叫ぶ。


「町から戻って来てねぇバカがいないか確認しながら仕事しろ!」


 昨晩は出航前最後の自由時間だったので一晩飲み明かす船員もいるのだが、たまに朝になっても戻って来ない者がいるのだ。今回は全員揃っているようである。


「ユウ、トリスタン、エリセオ! ディエゴと一緒に車地キャプスタンに取り付け! 碇を上げるんだ!」


 カミロに呼ばれたユウたち3人は船首近くの甲板上にある円柱から突き出た4つの棒に1人ずつ取り付いた。そうして指示された通りに全力で動かす。これがまた重い。それでも車地が回る度に少しずつ碇が持ち上がってゆく。


 その間にも船の出港準備は整えられていった。桟橋の係船柱から縄が外され、船と桟橋を繋ぐ板は取り外される。


 碇が上がりきって車地が動かなくなった。それを見たカミロが船長へと報告する。


 周囲から次々と作業終了の報告を聞いたアニバルが大きくうなずいた。出港の号令を船員にかけると帆がいっぱいに広げられる。


 それまで停泊していた『自由の貴婦人』号がゆっくりと動き始めた。

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