酒場で出会った老水夫(後)

 船での生活と冒険者に与えられる仕事について老水夫から話を聞いたユウとトリスタンは、思った以上に航海が大変だということを知った。話を聞いている分には荷馬車の護衛兼人足よりもきつそうだ。


 最初は船に乗る意欲が盛んだったユウも徐々にその熱は冷めてきている。しかし、今目の前で気持ち良くしゃべっている元船乗りの冒険譚を聞いているうちに、もう少し話を聞いてみようという気になっていた。自分の旅の目的と重なる部分があるだけに無視できないのだ。


 ユウが奢った木製のジョッキが空になったのを見たトリスタンが給仕女にエールを注文した。それを尻目にユウが老水夫の話題を切り替えようとする。


「面白いお話ありがとうございます。それで、ちょっと気になったんですけど、船に乗り込む僕たちのような冒険者って、船員からどんな風に扱われるんですか?」


「雑用係だな」


「雑用係、ですか?」


「そうだ。戦うために冒険者を雇うのは確かだが、魔物や海賊に襲われたときに戦うのはワシたち船乗りも同じなんだ。何しろ敵は船乗りだろうと容赦なく襲ってくるからな。ただ、戦いの専門家がいた方がこっちも助かるから雇ってるんだよ。けど、船の中に積み込める物に限りがある以上、乗ってるヤツに無駄飯を食わせるわけにゃいかねぇ。だから、戦ってないときにも冒険者に働いてもらう必要があるんだ。そして、冒険者は船のことなんて知らねぇから、そんなヤツでもできる仕事を回す必要がある。そうなると、雑用係みたいに扱うことになるだろ?」


「う~ん、雑用係ですかぁ」


 船内での冒険者の扱いを知ったユウは難しい顔をした。老水夫の言っていることは理解できるがあまり面白い話ではない。


 給仕女から木製のジョッキを受け取った老水夫が機嫌良くユウに告げる。


「そんな深刻に考えなくても大丈夫だよ。船乗りだって人の子だ。普通に付き合ってりゃでたらめな扱い方なんてしねぇって」


「だったら良いんですけど」


「お前らは大丈夫だ。ワシみたいなヤツにこうやって酒を奢って話を聞こうってヤツならうまくやれる。最近の若いヤツだと、年寄りの話を全然聞かねぇのが多いからな」


「あはは、そうですか」


「そうだとも。そんな連中に比べたら立派なもんだ。ああそうだ、お前ら冒険者ってぇことは普段鎧を着てるんだよな?」


「はい、そうですけど」


「だったら、船に乗るときは脱いで袋に入れておけ。特に金属製のやつは潮風に当たると錆びやすいからな。そうやって防具をダメにした冒険者をワシは何人も見てきたんだ」


「金属製は駄目ですか」


「ダメだ。錆びても構わねぇのなら別にいいがな」


「僕の鎧は革製なんですけど、大丈夫ですか?」


「錆びないっていう意味では大丈夫だが、塩水を大量に浴び続けると傷んじまうぞ。だからやっぱり脱いだ方がいい。それに、船内の作業はできるだけ身軽な状態でした方が疲れねぇぞ」


 老水夫の話を聞いたユウとトリスタンは顔を見合わせた。今までの話で最も重要かもしれないことを聞けたと感じる。気持ちがわずかに前向きとなった。


 次いでトリスタンが老水夫に尋ねる。


「冒険者ギルドで海の魔物は追い払うものであって倒す物ではないと聞いたんだが、これは正しいのか?」


「大体は正しい。海に住んでる魔物はなぜかどれもバカでかくなりやがるんだが、そういうでっかい魔物はそうそう倒せるもんじゃねぇ」


「例えば、どんな魔物がいるんだ?」


「ワシが見たことがあるのだと、飛翔嘴魚フライングビルフィッシュに、巨大烏賊ジャイアントスクイッド大海蛇シーサーペントくらいか」


 そこから老水夫による海洋の魔物談義が始まった。


 飛翔嘴魚フライングビルフィッシュは体長が4レテムもある魚の魔物だ。大きさは嘴魚かじき程度で、槍のように伸びた上顎が特徴である。勢いを付けて海上に飛び上がり、船上の人間に向かって上顎で突き刺そうとする凶暴な魚だ。


 次いで、巨大烏賊ジャイアントスクイッドは体長が40レテム以上もある巨大な烏賊いかである。長い腕に付いた強力な吸盤で船に張り付いて転覆させようとする厄介な魔物だ。


 最後に、大海蛇シーサーペントは体長が100レテム以上もある大きな海蛇である。この魔物は行動は他の2種よりも多彩で、船に巻き付いて沈めようとしたり、船上の船員を丸呑みしようとしたり、酸や毒を吐きかけてくることがあった。


 このように、老水夫は知っている魔物の話を機嫌良くしてくれる。いずれも初見で出会うのは危険な魔物ばかりだ。たまにエールで口を湿らせながら話は続く。


「そうそう、他にも歌人鳥セイレーンっていう厄介な鳥野郎もいたな。頭だけが人間の女で、首から下はでかい鳥っつー不気味なヤツだ。こいつは歌って人間を引きつけて食い殺そうとするんだよ」


「歌?」


 トリスタンは首をかしげた。姿形も不思議だが、歌で引きつけるというのが理解できないといった様子だ。


「そうなんだよ。それはもう魅惑的な歌を歌ってワシたち船乗りを誘惑しやがるんだ。ダメだってわかってても引きつけられるんだから、ありゃ一種の呪いに違いねぇ」


「そんなのを相手にどうやって戦えばいいんだよ?」


「耳栓だ。こいつをすぐに耳にはめ込んだら誘惑されなくなるぞ。ただ、他のヤツと話もできなくなっちまうが、それでも食い殺されるよりかはましだ。それと、歌人鳥セイレーンと戦うときは弓矢が必須だぞ。あるいは近づいて来たときに反撃するなら槍だな」


「さっき言っていた魚や烏賊や蛇だったらどんな武器なんだ?」


「ワシは斧を使っていたぞ。何も考えずにぶっ叩きゃやっつけられる斧が一番扱いやすかった。次は槍だったが、狙い澄ますっつーのがちょっと苦手だったなぁ」


「剣は駄目なんだよな」


「そうだな。斧みたいにぶっ叩くと折れちまうし、槍みたいに突こうとしても槍より短いから届かねぇときがあるんだ」


 ここでも明確に剣を否定されたトリスタンは肩を落とした。


 言葉の途切れた相棒に代わってユウが口を開く。


「金属製の防具は錆びるってさっき言っていましたけど、同じ金属製の武器も錆びますよね?」


「戦うときにはどうしても必要だから、よく磨いて油を塗るしかねぇな。戦いで使った後なんて特に手入れが面倒なんだよなぁ」


「金属も革も駄目になりやすいんですね。困ったな」


「大切な道具があるんなら、潮風にやられねぇように袋に入れておくんだぞ」


 神妙な顔つきになったユウを満足そうに見ながら老水夫は木製のジョッキに口を付けた。ところが、次の瞬間目を見開いてそれをテーブルに置く。


「そうだ忘れてた! まだ一番大切なことを教えてやってねぇな!」


「何ですか?」


「船乗り病を防ぐ方法だ。みんな嫌がってやらねぇが、これさえやっていたら船乗り病にはなんねぇぞ」


「そもそも船乗り病って何ですか?」


「こいつぁ恐ろしい病気でよ、長いこと船の上で暮らしてると、最初に体がだるくなって顔色も悪くなるんだ。そのまま放っておくと、口の中の歯茎なんかから血が出て息が臭くなり、体のあちこちで内出血になる。ちょっとした切り傷も全然血が止まらなくなるんだよ。下手すりゃ古傷も開いちまう。そうして最後は弱って死んじまうんだ」


「どうして船の上で生活しているだけでそんな病気になるんですか?」


「わかんねぇ。わかってたらみんな何かやってるだろ。ワシも若い頃に一度だけ船乗り病になりかかったことがある。ありゃ怖かったな。でも、これを防ぐ方法があるんだよ。しかも簡単なんだ」


 若い冒険者2人に顔を近づけた老水夫が顔を突き出した。そして、声を低めて口を動かす。


「その方法っていうのはな、柑橘類を食うんだ。船に乗ってる間、2日か3日に1個食ったらまず船乗り病には罹らねぇ。ワシが今、こうやってピンシャンしてるのが何よりの証拠だ」


「本当にそれだけでその怖い病気にならないのかよ?」


「おお、絶対なりゃしねぇよ。しかも船乗り病に罹っても治るんだ。間違いねぇ」


 すっかり酔っ払っている老水夫だったが、このときばかりは真剣な顔だった。その表情に若干気圧されてトリスタンが黙る。


 柑橘類は別に珍しい果物ではない。どこでもというわけにはいかないが、売っている町では売っている食べ物だ。ユウがエンドイントの町の外周を巡ったときも市場でちらりと見かけたことがある。それを食べれば恐ろしい船乗り病を避けられるのなら安い物だ。


 問題は、そんなに簡単なことならなぜ誰も試さないのかという点だ。老水夫によると、柑橘類は大抵酸っぱいので皆嫌がるからだという。それに、迷信だと信じない者も多いらしい。何とも呆れた理由である。


 その後も、ユウとトリスタンは柑橘類の話を始め、船に関する話を老水夫から色々と聞き出した。自慢話や怪しい噂なども多かったが、有用そうな話もたまに聞き取る。


 結局、話は延びに延び、そのまま3人で夕食も一緒に食べることになった。

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