酒場で出会った老水夫(前)

 休暇後のことを考えるようになったユウとトリスタンだったが、今のところ次に向けての行動は緩やかだった。相変わらずゆっくりと寝たり自伝もどきを書いたり模擬試合をしたりしている。


 そんなある日の昼頃、2人はとある安酒場に入った。客入りは結構なもので騒がしい。


 いつものように大量の肉を食べた2人は木製のジョッキを片手に食後の雑談に入る。内容は様々で、自伝もどきのこと、賭博のこと、模擬試合のことなどだ。


 いつもはある程度しゃべると酒場を出るユウたちだったが、この日は話が長引いた。テーブル席に座っていた客が昼からの仕事のためにほとんど出払ってもまだカウンター席でしゃべっていたのだ。


 店内の喧騒がすっかりなくなった頃、ようやく2人も長居していることに気付いた。ユウはトリスタンに促される。


「ユウ、そろそろ出ようぜ」


「そうだね。あれ、あのお爺さん、まだいるんだ」


「爺さん? あの隅っこのテーブルの人か?」


「うん。僕らが店に入ったときから1人だったみたいなんだけど、今も同じように見えたから。あ、ちょっと」


 テーブルの片付けを終えて戻る途中の給仕女を捕まえたユウは気になる年寄りについて尋ねた。すると、最近あの場所に居着くようになった元船乗りだと教えてもらう。最近引退してずっと1人でちびちびと飲んでいるらしい。


 話を聞き終えたユウがトリスタンに顔を向ける。


「トリスタン、もうちょっとここにいない?」


「あの爺さんと話をするのか?」


「うん。前に冒険者ギルドで船の仕事について話を聞いたでしょ。今度は実際に船に乗って仕事をしていた人の話を聞こうと思うんだ」


「だったら、エールの1杯でも持っていって気持ち良くしゃべってもらおうぜ」


 相棒の提案に賛成したユウは給仕女にエール1杯を注文して受け取った。それを手にトリスタンと老水夫に近づく。


 テーブルの前にユウとトリスタンが立つと、日焼けしてしわくちゃの老水夫が顔を上げた。若干訝しげな視線を2人に向ける。


「なんじゃい、お前ら」


「こんにちは。さっきお店の人にお爺さんが元船乗りだって聞いたんですよ。それで、その話を聞きたいなと思いまして。これ、どうぞ」


「お? お前ら、わかってんじゃねぇか!」


 片手で持っていた木製のジョッキをユウがテーブルに置くと老水夫は目を輝かせた。すぐに手に取って口を付ける。


 その間にユウとトリスタンはテーブルを挟んで老水夫の向かいに座った。うまそうに息を吐き出した元船乗りにユウが話しかける。


「僕たち冒険者なんですけど、近く船の仕事をするかもしれないんです。でも、今までその手の仕事はしたことがないんで、お爺さんに教えてもらいたいんですよ」


「ワシみたいに何十年と船乗りをしとったヤツの話を聞きに来るのは、いい考えだぞ! お前ら、若いが見込みがあるな。で、どんなことを聞きたい?」


「冒険者が船長に雇われる理由は魔物や海賊と戦うためらしいんですけど、その他にも雑用をしないといけないそうですね。具体的にどんな仕事を頼まれるのか教えてもらえますか?」


「船ってやつぁ、最新の技術で作られた乗り物でな、それを扱うには相応の知識が必要だ。だから、素人が乗り込んできてもできることはそうない。それでも素人に何かさせようとなると、単純な仕事くらいしかないぞ。例えば、甲板の掃除、碇の巻き上げ、荷物の積み込みや積み卸し、倉庫内の整理、なんかだな」


「単純な重労働ですか」


「その考えで間違いない。下手な所を触らせて間違いがあれば、みんな死んじまいかねないからな!」


 機嫌良く笑う老水夫にユウは相づちを打った。船乗りになるために乗り込むのならばともかく、一時的に乗り合わせるというのならば任せられることは限られる。それは船に限った話ではない。


 各作業について丁寧な説明をすると、老水夫は酔っ払った視線をトリスタンに向ける。


「しかし、船での生活ってのぁなかなか厳しいぞ。お前ら、船には乗ったことがねぇからわかんねぇだろうが」


「川を下るときにちょっと乗ったことはあるぜ、爺さん」


「川船なんぞ乗ったうちに入るもんかよ。あんなの全然揺れねぇじゃねぇか。いいか、海の上に浮かぶ船ってのはな、そりゃもうとにかく揺れるもんなんだよ。何しろ海自体が休みなく波立ってるもんだから、それに合わせて揺れるしかねぇんだ」


「そんなにひどいのか?」


「おうよ。慣れねぇヤツだと一発で吐いちまうな。ま、海からの手荒な歓迎ってところだな。その揺れのせいで船のあちこちが悲鳴を上げっぱなしだし、船の横っ腹に当たる波の音も1日中聞こえる。更にだ、船の中にゃ荷物に紛れて鼠がうろちょろしてやがる。そいつらの動き回る音も地味に鬱陶しいんだよな」


「そんな鼠、捕まえて放り出せばいいんじゃないのか?」


「たまにやっちゃいるが、きりがねぇんだ。荷物を積み込む度に新しいのが入って来やがるからな」


「それはたまらないなぁ」


「まったくだ。ああそうだ、たまんねぇと言やぁ、船内の臭いも相当きついぞ。揺れで吐くヤツもいるが、あの悪臭で吐くヤツもいる」


「本当かよ。なんでそんなに臭いんだ?」


「船底に溜まった汚れた水や鼠なんかの糞尿クソが原因さ。貧民街の臭いとはまた違うから、慣れるまできついぞ」


 若い冒険者2人を脅かすようにしゃべる老水夫は言葉を句切って笑った。それからうまそうにエールを飲む。


 冒険者ギルドとは違い、具体的な話を聞いたユウとトリスタンは顔を引きつらせた。なぜそんなきつい環境で何十年も生活できたのか不思議に思う。


 言葉を失ったトリスタンに顔を向けられたユウも相棒に目を向けた。それからすぐに老水夫へと向き直って声をかける。


「船に乗っているだけでかなり大変そうですね。そんな状態ですと、食べることくらいしか楽しみがなさそうだなぁ」


「まぁな。ただ、食い物は食い物でちと厄介なんだよ」


「どういうことなんです?」


「船ってやつぁ、一度港を出ると何日も、場合によっちゃ何週間もずっと港に帰れねぇんだよ。だから、食い物も日持ちするやつを大量に持ち込んでそれを食うんだ」


「そうなんでしょうね」


「持ち込むのは、からっからに乾いた豆類、ぱさぱさのビスケット、強烈に塩漬けされた肉や魚なんかが中心だ。とにかく日持ちするよう水を抜いてあるんだよ。何しろ海の上だと腐りやすいからな」


「荷馬車の護衛でも干し肉だけっていうことはありましたけど、あんな感じですか?」


「もっとひどい。肉や魚は塩を食ってるんじゃないかっていうくらい辛いし、豆やビスケットは水なしじゃ食えねぇ。けどな、それはまだいい方なんだ。航海が長引くとそんな食い物も腐ったり鼠に食い荒らされたりウジが湧いちまうんだよ」


「だったらもうその保存食は食べられないじゃないですか」


「バカ言え、食い物は他にねぇんだぞ。だからそいつを食うしかないんだ。鼠に囓られた豆、ウジの付いたビスケット、それに塩漬けしたのに腐った肉や魚をな」


「そんなに厳しいんですか」


「航海が長引けばな。ここいらだと、陸に沿って行き来する船だと長くても2週間くらいの航海だからそこまでひどいことにはならんだろう。嵐なんかで遭難しない限りはな」


 町から町へと移動する荷馬車も途中で補給できないことは多い。船もそんな感じだと思っていたユウとトリスタンはそうではないと教えられた。


 これは陸路で進んだ方が良いのではと思い始めたユウは尚も老水夫に問いかける。


「ご飯もかなり厳しいんですね。ということは、たまに温かいものを口に入れることも無理なんですか?」


「でっかい船なら船首にかまどがあるからスープや粥なんかを食えるが、小さい船だと無理だな。かまどを取り付ける場所がねぇし、薪を置く場所もバカにならねぇから」


「この辺りで大きな船ってやって来るんでしょうか?」


「そりゃやって来るが、大きい船だと大抵長い航海をすることになるだろうから、さっき言った食い物が腐る問題にぶち当たるぞ」


「船ってきついことばかりなんですね」


「つらいことは確かに多いし、命の危険も陸より多い。けど、大陸のいろんな場所や海のあちこちにある島に行けるっていうのは楽しかったぞ。苦労してたどり着いたときなんかは泣くほど感動したもんだ」


 すっかり調子良くしゃべっていた老水夫はユウとトリスタンから目を離して遠くを見つめた。過去を懐かしむ表情を顔に浮かべる。それから一転して、船の旅がいかに素晴らしいかを2人に語り始めた。


 今まで具体的な船旅の厳しさを聞いたユウたちは戸惑いながらその話に耳を傾ける。内心では今更感が強いが、聞き出せる話は聞いておきたい。


 ユウもトリスタンも老水夫の機嫌を損ねないように注意を払った。

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