危険地帯の中の街道

 3月も最後の週に入ると日の出の時間は二の刻に近くなる。冬の間は二の刻の鐘を聞いてから起きて出発の準備をしても充分に間に合っていたが、今はもう無理になった。隊商関係者ならば誰もが更なる早起きを強いられる時期である。


 隊商の護衛をしているユウとトリスタンも同じだ。しかし、この日はトリスタンが荷馬車の見張り番をしていたのでユウが寝坊することはなかった。手早く出発の準備を済ませると荷台に乗り込んでそのときを待つ。


 空が白み始めた後、急に辺り一帯が明るくなると共にアールの隊商の荷馬車が先頭から順番に動き始めた。途中まで原っぱを進んで鉱石の街道に入る。最後尾の荷馬車が街道に入ったときにはすっかり朝だった。


 鉱石の街道の南側、少し離れた場所に鉱石の川が流れている。大岩の山脈に端を発するこの川は一旦内陸へと向かった後、東に折り返して南ブレラ海へと流れ込んでいた。その雄大な川の上には何艘もの船が川下かわしも川上かわかみへと往来している。川面かわもが朝日で輝くのと相まって、まるで光の上を進んでいるように見えた。


 荷馬車に揺られながらユウは過ぎてゆく景色を眺める。東に向かって進んでいるので直射日光を浴びずに済むのは幸いだ。ファーケイトの町が少しずつ遠ざかっていった。


 朝まで見張り番だったトリスタンは気持ちよさそうに眠っている。春先なのでまだ朝方は冷えるが、それでも真冬のときのように震えるほど冷え込むわけではない。外套で身を包めば充分にしのげる。


 隣で眠っている相棒のことをちらりと見るとユウも眠たくなるが、さすがにどちらか1人は起きていないとまずい。例えここが比較的安全な場所であってもだ。思わずあくびが出てしまう。


 それでも、ユウは首を振ってその眠気に耐えた。




 昼頃になると隊商の荷馬車は一時的に原っぱへと乗り上げた。そうして、停車した荷馬車から順次商売人、人足、傭兵、冒険者が降りてゆく。仕事で動き回る者もいれば背伸びして体をほぐす者もいた。


 荷台から降りたユウとトリスタンは体を動かして体をほぐす。半日も座りっぱなしで荷馬車に揺られていると体のあちこちが凝り固まって仕方ない。


 とりあえず落ち着いたユウが大あくびをする。


「ふあぁ。あ~疲れた。昼休憩かぁ。当分この生活が続くんだよねぇ。あれ? トリスタン、どこ行くの?」


「へへ、ちょっとな。聞いた話が本当か確認してくるぜ」


 割とげすい笑みを浮かべたトリスタンが最後尾の荷馬車から離れた。


 わずかに気になったユウだったが、ろくでもないことのように思えたのでその場にて待つことにする。あまり長くなるようなら先に昼食の干し肉を囓るつもりだ。


 しかし、予想に反してトリスタンはすぐに戻って来た。笑顔である。良い感じのする笑顔ではないが、機嫌が良いのは確かだ。


 何となく嫌そうな顔をするユウにトリスタンが近づく。


「ユウ、いい話を持ってきたぞ」


「絶対ろくでもないか、しょうもない話だよね」


「しょうもない話なのは確かだな。けど、聞くとすかっとするぞ」


「そんな話なんてあるの?」


「あるんだな、これが。ブランドンとチャーリーの話だよ」


「あの2人には関わらないって決めたじゃない」


「別に関わってなんていないぞ。ただ、人づてに話を聞いたり遠巻きに眺めたりしているだけだって」


「随分と話したそうにしているけど、何があったの?」


「あいつら、昨日賭場に入ったのを見ただろう? 知り合いの傭兵に聞いたら、そこで前の報酬を全部スッちまったらしいんだ」


「ええ? 僕たちと同じ額なら結構あったんじゃない?」


「そうなんだ。どうも飲み代を稼ぎたかったらしいんだ。でも、実際は素寒貧になったみたいで、今すごく機嫌が悪いんだよ」


「それじゃ、さっき確認してきたのって」


「本当に機嫌が悪いかどうか見てきたんだ、いい顔していたぜ」


「本当にしょうもなかった」


 最後まで話を聞いたユウは肩を落とした。聞いても何1つ良いことのない話である。疲れた表情を浮かべて相棒と共に荷台へと上がった。


 こうしてファーケイトの町からの旅はのんびりと始まったのだが、そうやっていられるのも長くはない。鉱石の川から小鉱石の川が分流している宿場町の途切れる地点からは危険地帯となるのだ。ここからの昼の警戒は一層真剣になり、夜の見張りは厳しくなる。


 例えば、荷馬車に乗る傭兵と冒険者の配置換えが行われた。ここからは本格的に盗賊や魔物が襲ってくるので、可能な限り傭兵と冒険者を組み合わせて荷馬車に乗せるのだ。古鉄槌オールドハンマーの場合、ユウが最後尾の荷馬車に残り、トリスタンがその1つ前の荷馬車へと移る。そして、トリスタンの代わりに傭兵2人が荷馬車に乗り込んできた。そのうちの1人がエイベルである。


「エイベルさん、こっちに来たんですか。しかももう1人?」


「ええ、最後尾とその辺りは狙われやすいですからね。ここから4台ほどは傭兵2人に冒険者1人です」


「うわ、いよいよ危険地帯に入ってきたという感じがしますね」


「そうです。昼も盗賊が襲ってくるので気を抜けませんよ。夜は更に魔物もやって来ますからね」


「僕は主に夜に働くわけですか」


「昼間も余裕がなければ手伝ってもらいますよ」


 不敵に笑うエイベルを見たユウは顔を引きつらせた。


 他にも、昼休憩のときの荷馬車の停車位置も野営のときと同じようになる。盗賊が昼間にも現れる以上、停車している荷馬車は標的になりやすい。そのため、守りやすい形にする必要があった。


 昼までこのような工夫をするのだから、当然夜には更に襲われにくいように備えている。普段は街道の北側の原っぱに野営しているのだが、危険地帯に入ってからは街道と川の間、更に言うと土手の斜面近くに野営場所を移している。盗賊や魔物の夜襲で攻められる方角を減らすためだ。そして、傭兵2人に冒険者1人の3人一組で四隅を守る。


 こうして具体的に色々と変化を目の当たりにすることでユウたちはいやが上にも緊張した。




 備えていれば何かあっても安心というのは一般的には正しいのかもしれないが、このときばかりはそうとも言えなかった。ユウとしてはできれば備えが無駄になってほしかったと強く感じる。


 町を出発して3日目の夜、ちょうど数が合うということで荷馬車に乗る3人で四隅の一角を見張っていたときのことだ。槍を持つエイベルともう1人の傭兵は篝火かがりびの近くに、槌矛メイスを持つユウは少し離れた場所で周囲を警戒していた。篝火に寄るかそこから離れるかは当人次第になっている。ただ、あまり離れすぎないようにという注意はあった。


 最初の打ち合わせのときに説明されていたことだが、魔物が襲撃してきたときは冒険者が真っ先に対応することになっている。同じ戦いでも傭兵よりも対魔物戦は冒険者の方が慣れているからだ。反対に、盗賊が襲撃してきたときは傭兵が矢面に立つことになっている。冒険者は傭兵の支援に回ることになっていた。


 この体制がどのくらい有効なのかはまだユウにはわからない。今は信じて警護するのみである。ただ、既に月末で新月に近いため月明かりが弱かったため、あまり遠くを見通せないのは嫌な感じがした。


 時間はそろそろ半ば頃かとユウがぼんやりと考えていると、遠くから何かが聞こえてくる。動物の鳴き声のようだ。すぐに声を上げる。


「北西から動物のような鳴き声が聞こえてきます。警戒をしてください」


「わかりました。ユウ、前に出てください」


「篝火を背にしたら僕、ほとんど何も見えなくなりますよ?」


「荷馬車に突っ込まれると厄介です。獣か魔物は冒険者の担当なので、指示に従うように」


 冷静なエイベルの声にユウは眉をひそめた。しかし、理由は理解できたので声のする方へと近づく。


 鳴き声の元は急速に近づいてきた。かろうじてその輪郭が見えてくる。豚のような鳴き声だが大きさが違った。より近づいて来てその姿がぼんやりと浮かび上がる。


突撃猪チャージボア?」


 知識だけで知っている特徴でユウは初めて見る魔物を判断した。突進してくる巨体をぎりぎりで躱して左手で持った悪臭玉をぶつける。その途端、魔物から悲鳴が上がり、地面を転がった。


 暴れる魔物に近づきながらユウはエイベルに声をかける。


「悪臭玉で苦しんでいる今のうちに槍でとどめを刺してください!」


「面白いやり方ですね!」


 笑みを浮かべたエイベルが魔物に近づきながら声を返した。もう1人の傭兵と共に離れた場所から槍で突撃猪チャージボアを刺す。とどめはユウが刺した。


 結果だけを見ると3人であっさりと魔物を倒したことになる。しかし、何か釈然としないものがユウの胸の内に湧き上がった。同時に、この護衛の仕事を引き受ける冒険者が少ないという話を思い出す。その理由もなんとなくわかった気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る