通貨を切り替える難しさ

 6日間の旅を終え、ユウとトリスタンの所属する隊商はリロの町にたどり着いた。リトラ王国の隣国ワック王国の王都であり、岩塩と穀物を運ぶ中継拠点の町だ。岩水の街道と穀物の街道が交差し、交易が盛んである。また、岩水の川流域で牧畜産業が発展していた。


 荷馬車が原っぱで停車すると荷台から一斉に人が降りてくる。ユウとトリスタンもその中にいた。ユウは篝火かがりびを設置するため、トリスタンは馬の面倒を見るためだ。しかし、この日は夕食の準備が不用だった。荷馬車に残る者以外は町の酒場に繰り出すからである。


 最初に町に繰り出すのは見張り番を除いた傭兵たちだ。護衛隊長であるキースの元へと集まると順番に報酬を手にしていく。そして、仲間と共に元気いっぱいに去って行った。


 その脇で人足たちにはまだ作業を続けている。しかし、傭兵たちを羨むようなそぶりは見せていない。自分たちも作業が終われば繰り出せることを知っているからだ。


 篝火を設置したユウは次いで他の人足と一緒に天幕を組み立てる。今晩と明晩は人足たちも荷台ではなく天幕で眠れるのだ。誰もが笑顔である。


 やがて隊商内の作業が一段落すると、手の空いた人足から隊商長アイヴァンの元へと向かった。報酬を手にした人足たちは傭兵たちと同じく酒場へと足を向けていく。


 自分の作業を終えたユウはトリスタンの元へと向かった。馬の面倒を見ている相棒は荷馬車の停車している場所の隣にいる。


「トリスタン、作業は終わった?」


「こんなもんかな。お、ユウか。今終わったぞ」


「それじゃ報酬をもらいに行こう」


「いいね! 仕事をしていて一番嬉しいときだぜ。早く酒場で一杯やりたいねぇ」


 嬉しそうに隣を歩くトリスタンに返答しようとしてユウは首をひねった。何か致命的なことを見落としているような不安に襲われたのだ。敵の来襲などといった外敵に関することではない。それだけに一層落ち着かない。


 急に様子がおかしくなったユウに気付いたトリスタンが怪訝な表情を浮かべる。


「ユウ、どうしたんだ?」


「何て言うか、こう、大切な何かを見落としているような気がするんだ。でも、それが何かわからなくて不安っていうか」


「なんだそれ。とりあえず報酬をもらって早く酒場に行こうぜ。寒くてかなわないよ」


 相棒の報酬という言葉を聞いたユウは目を見開いた。何かがわかりそうな気がしたのだ。酒場に行ったら何をするのか。まず席に座って、次いで給仕女に注文をして、それから代金を支払って。そこまで考えてやっと不安の原因に気付いた。


 そうして立ち止まったユウは呆然とつぶやく。


「そうだ、僕たちってこのワック王国の通貨を持っていないじゃない」


「は?」


 同じく立ち止まって振り向いたトリスタンは理解できないという表情を浮かべた。


 契約時、ユウとトリスタンは報酬を町ごとに最終目的地の通貨で支払うように要求している。今回はセレートの町なのでセレ王国の通貨だ。そのため、銀貨と銅貨でもらえるだろう。ところが、ここはワック王国だ。セレ銅貨は使えない。そうなるとセレ銀貨を使うことになるが、おつりで戻って来るのは多数のワック銅貨だ。リロの町に数日間滞在するのならばまだしも、2日後にはこの町を去る身としてはそんなにワック銅貨は必要ない。そして、この銅貨はセレ王国では使えないのだ。


 隊商や荷馬車に同行して複数の国を一気に通過するということがどういうことが、ユウはようやく実感できた。以前にも南方辺境で似たような旅をしたことがあるが、あのときは圧倒的に強いリーアランド通貨に助けられてその点を気にする必要がなかったのだ。


 この点についてユウは隣に立っているトリスタンに説明した。理解するにつれて目を大きく開いてゆく。


「ユウ、どうするんだ? このままだと俺たちだけ酒場に行けないぞ?」


「う~ん、アイヴァンさんに相談するしかないかなぁ」


「受け取るときに報酬の一部をワック銅貨にしてもらうのか?」


「うん。隊商には各町で色々と買い付ける必要があるからワック通貨もあるはずなんだ」


「なるほどなぁ。だったら何とかなるんじゃないのか?」


「そうだね、そう信じよう」


 一度報酬を受け取ってからだと両替扱いとなり、手数料などの問題が発生する可能性が高かった。しかし、受け取る前なら報酬の受け取り方の一部変更なので何とかなるかもしれない。


 期待と不安が入り交じった表情で隊商長アイヴァンの元を2人で訪れた。そうして報酬を受け渡そうとする雇い主に対して、ユウが事情を説明して報酬の一部変更を願う。


「あ~、いつもなら応じてやっているんだが、今回はちょっとできないな」


「どうしてですか?」


「確かに各町で買い付けのためにいくつかの通貨は持ってるんだが、今のワック通貨の量は極端に少ないんだ。今回の買い付け分のギリギリだから、今はその要求に応じられないんだよ」


「そうですか」


「ただ、明日の買い付けが終わってからなら、きみたちのワック銅貨を融通できるかもしれない。それだけ残っていればの話だが」


「そうなると、夕方ですか?」


「そうだ。買い付けは三の刻までに終わるはずだからな」


 説明を聞いたユウは渋い表情を浮かべた。しかし、これは自分たちの落ち度でもあることを理解しているのでそれ以上は何も言えない。隣でトリスタンが肩を落としている。


 こうして、ユウとトリスタンはリロの町での滞在日初日をおとなしく天幕で過ごすことになった。




 翌朝、隊商はリロの町で1日滞在した。町にたどり着く度に色々と不足した消耗品などを買い込むためだ。


 この役目は通常算術のできる者が担当している。商隊長であるアイヴァンはさすがにやらないものの、信頼できる使用人に任せていた。


 同時に多量の品々を買うため荷物運びとして人足が駆り出される。今回はユウとトリスタンも荷物運びとして任命された。水、干し肉、塩、薪、布などを買ってゆく。その度に人足たちの負担が大きくなっていった。


 朝の間に消耗品の購入が終わると昼からは隊商内の作業だ。荷馬車の補強、荷物の点検、馬の世話、そしてアイヴァンが商品として買い付けてきた荷物の運び込みなどである。


 そうして夕方、ようやく人足たちは町での作業を終えた。今日1日分の報酬をもらって再び歓楽街へとその姿を消してゆく。


 自分の作業が終わったユウとトリスタンもアイヴァンの元に向かった。今度こそワック銅貨を手に入れられると期待して。


 雇い主の前に立ったユウが尋ねる。


「アイヴァンさん、報酬の通貨は何ですか?」


「ワック銅貨だ。ギリギリ手元に残ったんだ。良かったな」


「はい! ありがとうございます!」


 ようやく町に繰り出せることにユウとトリスタンは喜んだ。昨晩はお預けを食らっただけに気が逸っている。1日分のワック銅貨を懐に収めた2人は歓楽街へと向かおうとした。


 そんな2人に対してマーカスと一緒に近寄ってきたルイスが声をかけてくる。


「ユウ、トリスタン、もう作業は終わったのか?」


「終わったよ。それにほら、今日の報酬でワック銅貨を手に入れたんだ。これでやっと酒場に行けるんだよ」


「え? 昨日はどうしたんだ?」


「この町で使える通貨がなかったから、ずっと天幕で寝ていたんだよ」


「あははは!」


 予想外の返答だったらしく、ルイスが大笑いした。珍しく表情を表さないマーカスさえも笑顔だ。


 気恥ずかしくなって顔を赤くしたユウが黙った。代わりにトリスタンが口を開く。


「そんなに笑うなよ。旅をしていたらよくあることだろう?」


「まぁそうなんだけどね。その辺抜け目なさそうなユウがそんな失敗をするなんて意外だったんだ」


「あーそれは俺も思ったなぁ。珍しいって」


「何だよトリスタンまで。君だって一緒だったじゃないか」


「いやまぁそうなんだけど」


 1日に何度も会わないので4人は話が弾んだ。嬉しそうにしゃべり続ける。


 そのとき、少し強めの寒風が吹き付けた。思わず全員が身をすくめる。真冬の原っぱで立ち話などするものではない。


 再び無表情に戻っていたマーカスが他の3人に提案する。


「みんなで酒場に行かないか?」


「珍しいじゃないか、マーカスがそんなことを言うなんて」


「だって、まだユウとトリスタンの2人と一緒に食べたことがない」


「あー、そういえばそうだな? まだ1つ目の町についただけってのもあるんだろうけど」


 そう言いながらルイスがユウとトリスタンへと顔を向けてきた。もちろん2人とも承知する。すぐに4人で酒場へと向かった。


 テーブルを囲んだ4人は楽しいひとときを過ごす。冒険者同士、お互いに今までのことやこれからのことを語り合った。やりたいことを話すのはとても楽しい。


 すっかり興が乗った4人は夜遅くまで杯を酌み交わした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る