歩く条件が悪くなると

 現地の実態に合わせて予定を変更した結果、1日で調査を終えたユウとトリスタンは翌日にトレハーの町を出発することにした。与えられた羊皮紙に報告するべき内容も既に書き終わっている。


 二の刻に起床した2人は旅の準備を済ませると夜明け前に安宿を出た。最も冷え込む時期に白い息を吐きながら町の北にある郊外へと向かう。


 原っぱに荷馬車はほとんど停まっていなかった。その数少ない荷馬車4台は1箇所に集まっている。交易がほとんどできない町の状態を表しているかのようだ。


 前回同様にユウは宝物の街道近くの原っぱで立ち止まった。寒そうに体をさするトリスタンが隣で震えている。


 日の出が近くなるにつれて少しずつ周囲が明るくなってきた。その間にユウたちの周りに少しずつ人が集まってくる。その様子を見ていると大半が貧民だ。


 それに気付いたトリスタンがユウに声をかける。


「なんか、前のときと集まってきた人の質が違うな」


「そうだね。もしかしたら、仕事のある町に移りたいのかもしれない」


「今のこの町じゃ食っていけそうにないものな」


 つぶやいたトリスタンが何とも言えない表情を浮かべた。


 東の地平線から太陽が姿を現すと周囲が一気に明るくなる。それを合図に4台の荷馬車が動き始めた。1列になって宝物の街道に移って北を目指す。


 充分に距離が開いたと判断したユウも歩き始めた。隣のトリスタンも同様だ。その2人に他の徒歩の集団も続いた。今回は目算で30人以上と結構な大所帯である。中には家族連れもいて、年寄りや子供もいた。


 今朝の天気は快晴で南から寒風が吹き付ける。真冬の今、温かい日差しは結構なことだが冷たい風は身に沁みた。


 トレハーの町を出発したその日は何事もなく旅を終える。荷馬車の集団の野営場所から離れた所に徒歩の集団が腰を下ろす。


 終始集団の先頭を歩き続けたユウとトリスタンも原っぱに身を寄せ合って座っていた。背嚢はいのうを風よけにして少しでも寒さをしのごうとする。


「うう、寒いなぁ」


「天幕がほしいよな。あれを持ってくるには馬がないといけないが。それにしても、あっちは大体一塊になっているのに、どうして俺たちだけ離れたところに座るんだ? トレハーの町に行くときはそんなことしなかっただろう?」


「あの人たち、なんか嫌な感じがするんだ。追い剥ぎとかそういうのじゃなくて、こっちに寄りかかろうとする雰囲気が前のときよりも強くてね。特に家族連れの人たち」


「こっちをちらちらと見ていた人らのことか。そんなに気にしないと駄目か?」


「今は何もないから平気だけど、何かあったら頼ろうとしてくるよ。子供やお年寄りがいるから特にね」


「助けてやりたいと思うんだが」


「助けられるならね。それに、家族連れを助けたら、他の人も頼ってくると思う」


「あの人数はさすがに無理だ。はぁ、嫌なものだな」


 渋い顔をしたトリスタンがため息をついた。今の徒歩の集団の中だと2人は確かに頼りになる者だろう。


 2人が夕飯である干し肉を食べ終わり、夜の見張り番を最初にどちらがするのかを決めていたときのことだ。少し離れた場所にまとまっていた徒歩の集団から鳴き声が聞こえてきた。子供の1人が泣いたのである。しかも泣き止まない。いい加減腹に据えかねた1人の男が親に文句を言う。それがまたちょっとした争いに発展した。


 嫌そうな顔をしたユウとトリスタンが顔を見合わせる。


「トリスタン、荷馬車の集団の前に行こう」


「気持ちはわかるが、危なくないか? この辺りだと獣も出るんだろう?」


「ある程度月明かりがあるから今晩は視界が利く。だから大丈夫だよ。それに、このままだと眠れないし」


「仕方ないか。せめて大人は喧嘩をしなけりゃいいのに」


「旅慣れていないんだと思う。あれじゃ獣を呼び寄せかねないから一緒にいると危ないよ」


 しゃべりながらユウは立ち上がって背嚢を背負った。反論しなかったトリスタンも仕方なさそうに続く。荷馬車の集団を迂回してその前方にたどり着くと再び腰を下ろした。鳴き声と争う声は小さくなる。


 最初の見張り番はトリスタンに決まった。座ったまま周囲を見張る。一方、ユウは外套で身を包んで横になった。背嚢を枕代わりにして横になる。そうして目をつむった。




 町を出発して2日目の朝がやってきた。この日は空一面が雲で覆われ、吹き付ける寒風がなかなか厳しい。


 荷馬車の集団が朝の準備を終えると1台ずつ出発した。順番に宝物の街道へと荷馬車が入っていく。


 昨晩場所を移したユウとトリスタンは近づいてくる荷馬車を座ったまま眺めていた。既に準備を整え終わっているが、まだ歩くときではないからだ。


 そんな2人の脇を荷馬車が1台ずつ通り過ぎて行った。その間の反応は様々で、まったく無視する者や興味深げに目を向けてくる者がいる。


 30人以上いる徒歩の集団はその馬車からそれほど離れずに固まっていた。その集団もまだ座ったままのユウたちのそばを通り抜けてゆく。


「ユウ、行かなくてもいいのか?」


「あの徒歩の集団は荷馬車に近すぎるよ。あれじゃ余計な揉め事が起きかねない。もっと離れてから歩き始めよう」


「結構面倒だな」


「相手の顔色を窺いながらだからね。僕もできればやりたくないよ。そろそろ良いかな」


 2つの集団を眺めていたユウが立ち上がった。自分の背嚢を背負ってから歩き始める。その後ろにトリスタンが続いた。


 この日の天候は最初こそ曇り空であったが昼近くに雨が降り始める。最初は小雨であったが、昼食後しばらくしてから雨足が強くなった。


 雨は全員に等しく降り注ぐ。荷馬車と馬も、子供も年寄りも、ユウもトリスタンも分け隔てなくだ。


 夕方、荷馬車の集団が街道から脇の原っぱに移った。野営の兆候だ。しかし、4台が身を寄せ合うように集まりはしたものの、外で準備をする様子はない。鬱陶しそうな顔をして雨濡れになりながら馬の世話をする者が動き回るくらいである。


 徒歩の集団はその荷馬車の集団からかなり離れた場所で座り込んでいた。昼食時に荷馬車の護衛の傭兵に追い散らされて距離を離さざるを得なかったのだ。誰もが疲れ切っていた様子だった。


 2人組であるユウとトリスタンは荷馬車の集団と徒歩の集団の中程に座る。もちろんすぐに尻の辺りが水濡れになった。


 顔をしかめながらユウがつぶやく。


「冷たいなぁ」


「雨が降るなんて最悪だな。凍えてしまう」


「この1日で外套もぐっしょりだし、今晩はこれで我慢するしかないね。ああ寒い」


「歩きの旅って最悪だな!」


 渋い顔をしたトリスタンが取り出した干し肉を囓った。


 冬の雨は体に堪える。冷たい雨だけでなく、冷えた空気と寒い風が容赦なく体温を奪っていくからだ。これは体力がない者を容易に脱落させてしまう。


 翌朝、雨はわずかに降っていた。しかし、もうそろそろ降り終わるのではと思えるくらいに雨脚は弱い。


 そんな中、徒歩の集団の辺りが少し騒がしかった。喧嘩をするような罵声ではなく、誰かの死を悼んでいる鳴き声だ。


 朝から嫌な声を耳にしたユウとトリスタンだったが何となく気にはなった。トリスタンに荷物番を頼むとユウが徒歩の集団に近寄る。すると、横たわる年寄りに縋って泣く中年女の姿を目にした。別の場所では、若い女が横になったまま咳き込む子供を心配そうにあやしている。


 相棒の元に戻ってきたユウは嫌そうな顔のままその隣に座った。背嚢から取り出した干し肉を囓る。


「ユウ、どうだった?」


「お年寄りが1人死んだみたい。あと、子供が1人起き上がれないみたい。昨日から降るこの雨に耐えられなかったんだろうね」


「爺さんはしょうがないとして、子供はどうなるんだろう?」


「父親か母親がおぶさるんじゃないかな」


「その家族、町まで歩けると思うか?」


「それは子供を背負う人の体力次第だよ」


「貧民はいい物を食べているわけじゃないからなぁ」


「あの様子だと、今日から脱落する人が増えるだろうね。ろくに眠れなかった人もいるはずだから」


 暗い話をしているので2人の表情は優れなかった。食もあまり進まず、いつもよりも時間がかかる。助けられないということがわかっていても嫌な気分にはなるのだ。


 この日の朝はまだ空全体が雲に覆われていたので、日の出がいつかおおよそにしかわからなかった。そのため、ある程度明るくなってきたときに荷馬車の集団が出発する。


 それに合わせてユウとトリスタンも歩き始めた。徒歩の集団も同じく続く。しかし、全員ではなかった。死亡した老人の家族と起き上がれない子供を抱える家族がその場に残ったのだ。そして、その日の夕方までに更に数人が脱落していった。


 旅を始めて3日で徒歩の集団は3分の2ほど縮小してしまう。旅程はまだ半分残っていた。

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